【第4話:生きるためによく忘れがちなこと】

成功すると信じてやまなかった計画は、いっそ清々しいほど見事に破綻した。あそこで命を終える気満々だった私はこうして息をして、どういう訳か穏やかな日々を過ごして生きている。



「あーれ?どっちだっけ」

暖かな部屋に一人で居るのは、いい加減に飽きた。じゃあ一人でなければそれで良いのかと聞かれたならば、それはそれで違う。じっとしているのは、性にあわないだけの話だ。

早朝の散歩と称して寺院内を散歩していれば、数十分後には立派な迷子になっていた。絵に書いたような迷子になって初めて、寺院内の案内をしてもらっていないと、やっと気付く。馬鹿みたくデカい寺院だし、どこもかしこも似たようなデザインになっているのが悪い。

部屋に戻ろうにも、気の向くまま何も考えずに歩いていたせいで、通って来た道が分からない。正確には、帰り道が分かっても、三蔵の部屋を見分けられる自信が無い。

「……ん?」

さて困ったぞと悩んでいれば、タイミング良く耳へと入った読経の声。もはや部屋の主を出待ちして、拾ってもらうしか帰る手段が無い。

そっと扉を開けて覗いた先に、見知った白衣装を着た姿を見つけてしばらく様子を観察した後、音を立てぬよう扉を閉じた。

(……そうだ、三蔵だった)

忘れがちな事実を再認識する。仕事の邪魔をするわけにはいかないから、黙って大人しく待つしかない。だが、ひたすら座っているのも暇だ。

連日の雪に寺院のあちらこちらに積もった雪をしばらく見つめ、一つやってみたいことがあったのを思い出す。時間もたっぷりある。そうとなれば、実行に移すしかあるまい。



「紫雨……てっめえ朝っぱらから何してんだ」

廊下の端に屈みこんで、ぎゅっぎゅっと一心不乱に雪玉を握っていれば、頭の上から困惑で溢れ返った声が落ちる。振り向くより先に頭が鷲掴みにされて、逆さまの視界に三蔵の顔が広がる。

「雪だるま作ってた。靴ないから、小さいのだけど。あ、朝のお勤めご苦労さまでーす」

出待ちは成功したようだ。毎朝他の坊主より一足先に経堂を出てくる三蔵に、無事拾われ迷子を脱した。

「雪だるまを量産して喜ぶな」
「寒いし冷たいから、もうやらない」
「何なんだ、お前は?」

現在形で握って固めてていた雪玉を、胴体しかない雪だるまの上にポンと乗せれば、たちまち雪玉は雪だるまへと変身する。雪を払った沓脱ぎ石の上に新しく作ったそれを並べると、すっかり冷え切った手のひらを振って水気を払う。

「三蔵が三蔵してて驚いた」
「ブッ飛ばされてぇのか」
「あ」
「ッ!?!?」

朝の勤行を見た、率直な感想。背中だけで視線を惹き付ける、凛とした姿にしばらく目が離せなかった。

廊下を歩きつつ、考えた中でも最上級の褒め言葉を告げれば、危うく中庭に突き落とされるところだった。当の本人は軽く押したつもりだろうが、弾みでよろけた身体は廊下の外に傾き、焦り顔の三蔵が腕を掴んで引き戻す。

「ちゃんと地に足つけて歩きやがれ!クソバカチビウサギ!」

ギャンと怒鳴った三蔵に、視線を逸らしながら耳を塞いで苦笑いする。先に手を出したのは三蔵だ。それなのに何故、私が怒られなければならないのか。

「歩いてる、歩いてるよ。初対面なのに路地裏で約二メートル投げ飛ばしたゴリラは誰だっけ?」
「俺だな」
「開き直ったよ、この人」
「俺からすりゃ開き直ったのはお前だ」

三蔵に拾われて、ちょうど今日で一週間。何を考えたのやら、血まみれの私を連れ帰ってきて、何をトチ狂ったのか養い始めてしまった男は、天下に名高い最高僧サマだった。

見かけによらず、善行が趣味なのかと思いきや。寺院内の坊主たちの噂話を聞きかじる限り、まずそれはない。むしろ正反対で積極的に関わろうとしないスタンスを貫いている三蔵に、ますます私を拾った謎は深まる。今のところ頭がいかれてしまった説は、脳内で不動の一位の座を独占している。

「それはそうとて。凄い見られてる気がするんですが」

背中に集中する視線が鬱陶しい。そう感じたのは私だけでは無いらしい。余計なやり取りをしていたせいで、他の坊主が外に出始める。見慣れない姿に向ける物珍しいものを見る目から推測するに、あまり出歩かない方が吉かもしれない。

グサグサと刺さっている視線に、これでもかというくらい深く刻まれた三蔵の眉間の皺に苦笑いする。不機嫌なのはよく分かったから、所構わず殺気を撒き散らさないで欲しい。

「寺院で刀持って歩いてりゃ見られるだろ」
「同じくらい三蔵も見られてるけどね。こういう格式高い寺って、色々と規則とかあったりするんじゃないの」
「何言ってんだ。ここでは俺がルールだ」
「アンタが何言ってんだ?」

俺様がルールと言い張る三蔵に溜息を吐く。担ぎあげられるだけの器に収まる人間でないのは、初めから分かりきっている。

こうして話している最中にも、興味と疑惑の混濁した視線が全身に刺さる。たまたま三蔵が盾になって、大部分を跳ね返しているから声をかけられないだけで、これが一人の時なら捕まって即質問攻めにされていたパターンだ。

ライオンの捕食対象の気分を味わいながら、微妙な表情を隠せずに言葉に詰まる。そうしているうちにジャイアニズムを全面に押し出している三蔵に、勇気ある坊主の一人が遠慮がちに歩み寄る。

「あのう、三蔵様。其方のお方とは一体どういう御関係で……?」

ちらりと此方に向けられた視線に、当たり障りのない余所行きの笑顔を返しておく。「どういう関係なんでしょうねえ?」と聞き返しそうになった言葉は、飲み込んでおいて正解だった。

言われて思い出したといった顔で足を止めた三蔵に、わざわざ聞くまでもなく理解する。「今更、説明する必要があるのか?」とでも言いたげな表情から、本音が駄々漏れになっていた。

「ええっと……むぐっ」

少し考えて出た答えに、面倒臭がる主のため代わりに答えようとすれば、三蔵の右手が言葉を発する前に素早く口を覆う。

「……説明は朝飯の後だ!散れ!」

下手に喋らせて厄介事を引き起こすか、自身で答えて回避をするか。瞬時に三蔵の脳内で弾き出された被害予測は、甚大だったらしい。



「朝飯が終わったら、此処の高僧どもにお前を紹介する。余計なことは言わんでいい。大人しく座ってろ。ここに置くのに文句を言われては敵わん」

朝食の並べられた膳を境に向き合いながら、思いもよらなかった三蔵の言葉に対して冷静さを欠く。

「は?ここに置くって、正気?」
「帰る場所があるなら、いつでも出て行きやがれ」
「……そ、れは。うーん」

随分と狡い言い回しをする。三蔵には、私に行く場所も帰る場所も無いことが分かっている。

だからといって、長居するつもりもない。けれども、行く場所が無いから、結局はだらだらと居座り続けている。

「つべこべ言う暇があるなら、飯を食え」
「十分食べた」
「生命活動を放棄すんな。また口に突っ込まれてぇのか」

食事はあまり食べる方ではない。というより、まともに摂れなかった状況に身体がもう慣れてしまった。向かい合ってチマチマと朝食を摂り、それでも先に箸を置けば、すかさず脅し文句が飛んでくる。

この男はやると言ったらやる。実際に昨晩の夕飯は半分以上を三蔵の手によって無理やり突っ込まれたが、あれは途中から乱闘になっていた。

「三蔵。人形と人間は違うよ」
「俺とお前の何が違うんだ」

正気かと疑うくらいの扱いをしてくる三蔵に呆れ混じりの独り言を漏らせば、しっかりと耳に入ったらしい。

「え」
「俺とお前。どこが違うか言ってみろ」

思いもしなかった質問に返答に詰まる。上っ面の言葉ではなく、本心から生まれた言葉には嘘がない。

「俺からすれば。所々常識が致命的なまでに欠けてる以外、普通だと思うが」

紫暗の瞳をじっと見つめ返して呆けた顔になっていれば、無防備な額をペシッと人差し指が弾く。

「それとも何か。お前は自分が地球外生命体にでも見えてんのか?」
「地球外っ……!?」
「鏡ならそこにあるぞ。心ゆくまで確認しろ」

白米を口に運びながら、斜め上の切り返しをしてきた三蔵に呆気に取られる。

「ああ、もう。この際、三蔵が物好きってのは身に染みて理解したから置いといて……私たちの関係って、どう説明するの」

将来、殺してもらうために居ます。なんて言った日には、坊主が卒倒するのが目に見える。「やっぱり飼い主とペットの表現が最適じゃない?」と思っていたことを言った瞬間、つねられた頬に絶対に言ってはならないと身をもって学んだ。

何も間違ったことを言ったつもりはないけれど、とりあえず今すぐ三蔵は魚の小骨でも齧って、カルシウムを摂った方がいい。

生きるためによく忘れがちなこと

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