「ねぇ、お昼ご飯素麺で良い?」
「・・・」
台所から話しかけた私の声が聞こえていないのか一向に返事がない洋一の様子を見ると、彼はソファーに座りながらテレビに映っている一生懸命走り回る球児たちの姿を真剣に見つめていた。
テレビの中では全国高等学校野球選手権大会・・・いわゆる夏の甲子園がちょうど中継されている。
普段はよく話す洋一が、私の声も聞こえないくらい真剣にただ黙ってテレビを見ているなんて珍しいこともあるんだなぁ。そこまで考えて、彼が学生の頃野球をやっていたということを思い出す。もしかすると昔の自分の姿に重ねているんだろうか。
付き合いたての頃、何度か高校の頃のアルバムを見せてもらったけれど、確か都内屈指の野球強豪校で何年もレギュラーを張って副キャプテンまで務めていたはずだ。
今中継されている甲子園で活躍する球児たちと同じように昔の洋一もきっと毎日朝から夜寝る瞬間まで野球でいっぱいだったんだろう。そんな大変な練習を同じように重ねた強豪校は果てしないほど居るはずで、そんな努力をした中でもその頂点にたどり着くのはたった一校だ。
その一校の重みがどんなに大変なのか、何も知らない私には想像もつかない。
そこまでを考えると洋一のことが途端に愛おしくなり、試合の回替わりのタイミングを見計らって彼に抱きついた。
「は!?・・・どうしたんだよ、いきなり」
私が後ろから抱き着いたことでようやくテレビから視線を外した洋一は少し驚いたようにこちらを見た。
「んーん。何でもない」
「はぁ?何だよそれ」
変な奴だな、と言いながら彼は自分に抱きついている私の頭をわしゃわしゃと子犬とじゃれあうみたいに撫でまわす。
私は今の洋一しか知らない。それはとても寂しいけれど、タイムマシンに乗って時間を巻き戻さない限りは仕方ないと諦めるしかない。それでも、色んな思いをしてきたであろう洋一の隣で同じように泣いたり笑ったりしたかった。そんな思いを込めて彼を抱きしめる腕の力を強める。
「私も洋一と一緒に野球やりたかったな」
「は?」
突拍子もないことを言う私へ眉をひそめながらそう聞き返す洋一の反応が予想通りすぎて思わず笑ってしまう。
「マネージャーとかさ、楽しそうじゃん」
「お前体力ないからぜってー無理。マネジって体力すげぇ要るんだぞ」
「それはそうだけど・・・洋一のユニフォーム姿とか見たかったし、あとほら漫画とかであるみたいに私を甲子園に連れてって〜とかさ」
わざと拗ねるように冗談めかしてそういうと、洋一はそんな私のおでこに向けてデコピンを繰り出した。手加減はしてくれているだろうけれど、わりと強い衝撃に涙目になってしまった私を見て洋一はヒャハハと楽しそうに笑う。
「お前ほんと馬鹿かよ。野球部なんて年中野球ばっかでお前のこと構ってる暇なんて無ぇっつーの」
そう言いながらも私がただ純粋に自分のことを応援したいと思っていることを察しているのか、洋一は少し困ったように笑いながらも後ろから抱きついていた私の腕を自分の方に引き寄せて優しく抱きしめた・・・かと思いきや床へと押し倒す。
「つーか、今じゃねーとこういうこと出来ねぇじゃん」
意地悪そうな笑顔と発言とは正反対に洋一がふわりと触れるだけの優しいキスを落とす。それだけでさっきまでモヤモヤとしていた心がすっと晴れた気がした。
彼が今までどんな気持ちで野球と関わってきたかはわからないけれど、洋一も同じようにこうして冷房の利いた涼しい部屋で2人で過ごすことも悪くないと思ってくれているなら、それで良いのかもしれない。
210717