ディアレストファンタジー


大きな天蓋つきのベッドで少女は、少年と一緒に分厚いドイツ語の本を読んでいた。
『綾華はまるでおやゆび姫のようだな』
そう言われて、喜んでいた少女。どういう由来とか、そういうのを考えずに聞けば、どういう意味が含まれていたとしても嬉しいだろう。特に、小さい頃はお姫様に憧れない女の子を探すほうが簡単だろうし。

けれど、そんなの、幼い頃だけだ。




「…どこ、ここ…」


パッと目が覚めれば、緑オンリーな視界。そんな声を上げながらも冷静に辺りを見渡せば、緑、緑、緑の一色だ。建物なんて本当に遠くにコンビニだろう建物の光しかない。人通りも少なく…と言うか、ほぼないに等しいぐらいの田舎で、都会では到底出会うことのない自然豊かな場所だった。こんな場所に住んだら、楽しいんだろうな、と思いながら緑を視界に入れる。まあ、私はいわゆる誘拐というやつに出くわしたのだろう。それでも、私はあんまり驚かない。こんなジャングルみたいなところに誘拐されたのは初めてだけど、何度か誘拐されたことはあるし、もう手なれたものだ。
不幸中の幸いだったのは、小腹を満たすために用意していたパン、そして水が手元にあること。あえて動かない方がいいだろうと思い、私はそのまま座って某有名ブランドの腕時計を見る。――午前8時か。

なんでこんなことになったんだっけ…。あ、そういえば昨日婚約者の彼と喧嘩して、『婚約解消したい』と言ったら両親に反対されて、家を飛び出したんだっけ。本気でこんな家、出て行ってやる!と思って。昨日は警備部隊が祖父母に着いて行っていたから、手薄で、簡単に逃げられた。それで、家から少し離れたところで誘拐、みたいなところ。

強ち金目の物がなかったから捨てられたんだろう。まあ、ラッキーだった。何事もなく捨てられて。いいんだよ、心配かけちゃえ。あんなロクでもない家、迷惑かけまくっちゃえばいいんだ。そう思いながら、私はその草むらに座る。


「本当、良いことない…」


気を失っていた時間は長かったようだ。薬品を嗅がされているからか、頭が少し痛い。何がともあれ、何もなくてよかった。こんな長時間、一人でいたこと、今まであったかな。思い返しても、ない。『一人になりたい』そう言っても、絶対に誰かはいて。うっとおしいと思ったことも何度もある。けれど、いざ一人になってみると、寂しいものだと思う。そして、どうしてあんな夢なんか見てしまったのだろう。“おやゆび姫”の本を、その婚約者と一緒に見ていた。あの頃はまだ、彼も可愛かったのに。
本気で婚約解消したいと思ったことは一度もなかった。けれど、今回ばかりは本気で思った。ただ単に、『友達と国内旅行に行ってくるから』と。それだけだったのに、駄目だとか言うから。

おやゆび姫だ、と比喩される由来は、私の身長が140cmしかないことからだと思う。身長はそうかもしれないけれど、おやゆび姫のように私は可愛くない。素直に感情を表現できるほどの愛嬌のある女の子じゃない。思い通りにならなかったらすぐに拗ねる、厄介な女だ。そんな私が、将来を約束されている立場でありながら、自らの品格も自らの努力で上げつつ、生まれ持ったカリスマ性、ポテンシャルの高さが彼をより高みに上げ、眉目秀麗で、スポーツだって万能で。あんな、完璧な王子様…いや、王様のような彼の隣に経つ事は、私には出来ないような気がする。ずっと、そうとは思っていた。なのに、私に付き合ってくれる優しい人だってことも知ってる。けれどどうしても、今回は引き下がりたくなかったんだ。

所詮この婚約だって、親同士が気まぐれに決めたもの。子供な私には、どうすることもできない。大口叩いたって、こんなもの。家の中でも社会的にも、私は認められることはない。今あるものも、親の物を借りているだけだ。

高校だって、『外部進学したい』と言ったらすぐに却下。『短期でいいから、発展途上国に留学したい』と言えば、『危ないから』の一言で有耶無耶にされて。景吾に後押ししてもらったら行かせてもらえるんじゃないかとお願いしたら、『アァン?ふざけんな、そんなところに綾華を行かせられるわけないだろう』と剛速球のお返しを頂き、結局行けなかった。家では両親に、学校では景吾に。私は一体いつになったら、自分の足で立てるようになるんだろう。ずっと、思ってた。


「…あんな家、もう嫌」


私の意思なんて、いつだって皆無で。モノや愛情はたくさんもらえた。でも、そういうものじゃ満たされないものがある。今までこれからの人生もこんなに縛られないといけないのかと思ったら、もう考えたくない。そう思ってしまったの。このまま、逸れたままだったら自由に生きられるのかな。

……でも、嫌な思い出ばかりじゃない事も確かで。いつだって、却下された後にはその場所の事が詳しくガイドされたモノを送られた。現地に行きたい気持ちは止む事はないけれど、温かい気持ちになったのは言うまでもなくって。それも、自らの手で渡すのではなくて、執事さんに預けて私に渡す。『景吾坊ちゃまからです』と。…そういう優しさを知っているからこそ、…今、こんな気持ちになっているんだ。完全に、家のことが嫌いだとか、婚約を解消したいって思えないのは。

そう思っていれば、警察と思しきサイレンの音が近付き、私の傍に止まる。そして『おられたぞ!』と言う声と共に、警官の服装をした男たちが私の方に向かってくる。ああ、もうこの誘拐劇は終わっちゃったのね。そう思いながらも、安心している私もいた。


「桐沢綾華さんですよね?!」
「…はい」


数人の警官のうちの一人が内線で『対象者発見しました』という内線を掛けていた。ブランケットを掛けられて、私はパトカーに連れて行かれる。初めてパトカーに乗るな、と思いながら、貴重な経験が出来るとわくわくしていた。キキッと音を立てて止まる黒塗りの、長い車。『退けろ!』と言う荒々しい言葉と共に、その中から降りてきたのは、他の誰でもない、


「……っ綾華!」


慌てた姿の景吾の姿で。目の下にはクマがあって。きっと睡眠を取ってなかったのだろう、運転手も安心した表情の中に、疲れたような顔をしていた。私を視界に入れたとたん、安堵の表情を浮かべて。あんなにいつも冷静な彼が。こんなにも、冷静さを忘れて、取り乱した様子を見せるなんて。私は夢を見ているのかと思うほどに驚いていた。そして、私の肩にかかっているブランケットの上から私を抱きしめた。175cmの景吾は少し屈んで。そして呟いたのは、『無事でよかった』と言う言葉。あんな別れ方をして、私だって酷い言いようをして出て行ったというのに。彼は私の心配をしていた。私は景吾の腰に腕を巻きつけた。何も言わずに、ただ、ほんの少しの涙を流した。

そうだ。おやゆび姫の話は、ヒキガエルやコガネムシに誘拐されてしまって。コガネムシには置き去りされてしまう。そして、花の国の王子様と結婚するという話だったっけ。まるでおやゆび姫の話のようだ。そう思いながら、私は景吾に『酷いことを言って、ごめんなさい』と謝る。

私の王子様はきっと、この人だから。


((end))
<うおさま主催企画・「童話企画/親指姫」提出作品>



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