No.4 | ナノ

突然の言葉に驚いて間抜けな顔になるとあいつはそれを言葉にして笑う。きっと、そんな顔を見るのはしばらく無理だろな。この話をすれば。そう思ってふぅ。と息を吐いた。あいつとおれは一応恋人だ。高校の時、俺が告白して、付き合った。もちろんその頃は一途だったし、あいつのことだけを見てずっと一緒に居るつもりだったんだ。一生はコイツに捧げると若かりし俺は思っていたんだ。

高校生と言える最後の年になるといろいろな球団からお誘いをもらったが俺はすべてを断り、大学に進んだ。ほかのことを学んでからでも遅くはないと思ったからだ。もちろん野球は続けてた。たとえすぐにその道のプロにならなくても将来はこちらに行こうと思ってたから。部活に迷うことなんてない。それなりの設備の整った大学に進学だってした。たまたま行きたい大学が被って、あいつとまた4年間一緒の大学に通えることになったときは驚いたけどかなり嬉しかった。そのまま結婚でもすっかな。なんて思っていたなんて倉持以外誰も知らないだろう。

だけどそれは2年になったとき揺らぎだした。ひとつ下の後輩。マネージャーになった女の子。危なかっしくて、ほっとけなかった。いつの間にかその笑顔を見るたびに心をなごませている自分に気づいた。それからだ。あいつと何かがずれ始めたのは。何か違和感を感じるようになったのは。強がってばかりのあいつに苛立ったり、甘えられないことを不満に思ったり。気がついたら、あいつと過ごすよりも後輩と出かけることのほうが多くなっていた。いつの間にかあいつに向けていた思いが、違う方を向き始めていた。
そんな自分が嫌で、一度無理して後輩を避けた。あいつとの時間を増やして前みたいに戻ろうとした。けど、いつまでたっても違和感は増えて、もやもやして。あいつに八つ当たりまでしちまって。高校と卒業同時にお揃いで買って渡したシルバーリングさえ、うっとおしく感じた。そして後輩に泣きながら告白された大学最後の1年で、ああもう逃げれないと悟る。その頃にはあいつと同棲が始まっていたのに。

プロになって、二股という感じになっていた。後輩はそのことを知っていて、あいつは知らない。浮気相手が後輩なのに、本名のあいつより大事にした。そう、いつの間にかすり替わっていた。自分の気持ちが。高校の時に渡したシルバーリングを俺は指から外し、机の中に入れていたそれを買った時のケースにしまい、後輩とおそろいで買ったあいつに買ったのとソックリなリングを指に通す。罪悪感がないわけじゃない。けど、ただもう好きじゃない。そう思ってしまったのだ。
そう思ってからは気まづくて会う回数も減って。ただ大事だって思っていた思いは変わらなかったから、傷つけたくなくて、ひたすら隠し続けた。けど、もう頃合だと思ったのだ。メールだけはしてたけど、もうそれすらも苦痛に感じてた。だから今日、別れを言うつもりで同棲していたマンションに久々に訪れたのだ。すぐに出てけなんて言うつもりはない。落ち着いてからでいい。なんなら家賃は俺が払い続けるから住んでてくれてもいい。ただ、もうお前じゃない。お前じゃない人が好きなんだ。そう伝えるつもりだった。

マンションに入ってエレベーターを待つ。痛いくらい心臓はバクバクいっている。泣かせてしまっても、絶対に抱きしめてはいけない。傷つけるってわかってても、もう言わなければならない。そう覚悟を決めた瞬間エレベーターの扉が開く。そしてなかにいた人物に目を見開く。なんでお前がここに。そう言いそうになった言葉をなんとか飲み込んだ。そいつは俺の彼女のなのだった。
「ひ、久しぶりだね」
「ああ」
なんとか声が出て良かった。声が震えそうになったことを気づかれなかっただろうか。ふと目の前のなのが両手で握っているダンボール箱に気づく。大きさは大したものじゃないが、少し重そうだ。大丈夫か。そう言いかけた言葉も飲み込んだ。優しくしたらダメだ。
「・・・・ゴミ捨てか。それ」
「あ〜、そんな感じかな。って、ごめんね。疲れてるのに引き止めて」
「いや、大丈夫。」
それ以降お互いに口を閉じてしまう。もう、これが最後の会話になるのに。なんでこんなことになってるんだろ。最後くらい、ちゃんと笑顔で、笑って見せたかった。なんでこんな重たい空気にしちまったんだよ。ちゃんと、これで終わりにしなきゃいけねぇのに。今にも逃げ出したくなる。こいつを泣かせたいわけじゃなかったのに。
「・・・・あのさ」
「なに?」
「それ捨ててからでいいから、話したいことがあんだけど」
俺がそう言うと一瞬驚かれたけどすぐに笑顔を向けられて頷かれる。背中を押され、エレベーターの中には入ってからもなのを見つめる。なんとなく、胸騒ぎがした。なの。そう名前を呼ぼうとするとあのさ、御幸と声をかけられてん?と返す。一瞬間を置いたなのはにっ。といきなり俺に笑みを向けた。いーって、歯をむきだしにして子供みたいな顔をして。

「負けんなよ。人気者のイケメン捕手さま」

突然の言葉に俺ははきょとんと間抜けな顔になる。間抜けな顔。そういって最後に笑って扉が閉まる。その瞬間、何かが体の中を駆け抜けた。あんな笑顔、いつぶりだろうか。なの。そう声を出そうとしたとき、ドアの向こうから微かに高い音が聞こえた。泣いた時、出てしまうそれだ。ああ、気付かないはずがなかったんだ。こんなに距離をとったら、傷つけてないわけがなかったんだ。ちゃんと話そう。全部話そう。それから二人でちゃんと今後のことも話そう。そう思って部屋の鍵を開ける。ただ、いま。久々にこの部屋で言った言葉になんだか鼻の奥はつんとなる。いつか、もう一度笑い合えるようになるだろうか。友達に戻れるだろうか。
靴を脱いで部屋に入った瞬間目を見開く。余りにも部屋が綺麗になりすぎている。綺麗なんてレベルじゃない。殺風景。その言葉がよく当てはまる。あいつの私物が、部屋から消えていた。キッチンを見ればお揃いで買っていた食器は全部なくなっている。俺が個人的に買っていたものだけが残っていた。あいつの部屋に行くと家具以外のすべてが消えている。化粧品も、飾っていた写真も。全部なくなっている。唯一本棚に入っていたアルバムを取り出せばあいつの顔にだけ油性ペンで真っ黒に塗りつぶされている。
慌てて家を出てマンションのゴミ捨て場に行けばあいつの姿はない代わりに家にあったはずのものが全部捨てられていた。お揃いのマグカップ。俺があげた服。全部そこにあった。あそこにあったはずものが。その時やっとマンションにずっと止まっているタクシーがいたことを思い出す。あれはあいつがよんでたんだ。あいつはここを捨てて出て行ったんだ。やっぱ、やり直したい。とかすがってはくれないんだな。なんて身勝手ながらにもショックだった。
部屋に戻って、俺もここを出るために荷物をまとめるか。とおもってリビングに入ると机の上に置いてあるものに目が止まった。そこには一枚の置き手紙と、あいつと俺のお揃いのリングが二つ、綺麗に箱に入って置いてあった。紙にはありがとう。たった五つの文字だけが書いてある。知ってたんだあいつはずっと。俺がほかに好きな人ができたことも、お揃いのペアリングを外して、違う女とのペアリングをつけていたことも。俺が、別れを言おうとしていたことも。それを俺がなかなか言い出せなかったことも。だから自分から出てって、俺からその役目をなくしてくれたんだ。こんな最低なことをした俺に最後に負けるな。なんていってあんな無邪気な笑みを向けてくれたんだ。
携帯のバイブがなって開くと倉持から連絡が来ていた。なんだと思えばこれどういうことだ。とURLが貼られている。そこをタップすると出てきたのは俺と、後輩の熱愛を報道するニュース。ああ、あいつはこれを見たのか。相手のことまでもう分かっていたのか。俺のために身を引いたっていうのか。それとも、こんな俺に愛想を尽かしたのか。

「負けんなよ。人気者のイケメン捕手さま」

あの言葉を、あいつはどんな気持ちで言ったんだ。あの時、俺がここに来なければあいつはほんとに何も言わずに消えたのか。俺がいつ気づくかもわからないのに?もう二度と、俺の前に現れないつもりなのだろうか。それは嫌だ!そんな身勝手な思いで慌ててあいつに電話をかけるとぷちっという音がして電話がつながる。話がしたい。そう言い出す前にグッバイフォーエバー、ダーリン。なんてふざけたセリフが聞こえた。そしてセリフを言い終わるとすぐに通話が切れて、何度かけ直しても繋がらなかった。友達にすら、戻れない。そう決定づける出来事だった


切れたふたりを繋ぐ糸を手繰り寄せた


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