短編 | ナノ




陸奥守は夜に何故か1人ゲートの前に立っていた。本人もなぜここに立っているのかさっぱりわからない。でもただただ胸が痛くて仕方がなかった。そこに【主さま】がやってくる。どうしたんだ?と聞いてくる【主さま】に陸奥守は何も言えなかった。何も失っていないはずなのに、何かがなくなった気がした。

でも結局何もわからずにその晩は眠った。そしていつも通りの生活が始まる。大好きな【主さま】と変わらない日々。幸せだった。幸せなのに何かが足りなかった。そんな時【主さま】が現世に出かけると言い出した。刀剣達はそれをひどく嫌がった。
なんで嫌がるのか、陸奥守には分からなかった。けど和泉守の言葉で一瞬だけ意識が過去に戻る。それは正しい歴史で【主さま】を失った日のあの悲しい記憶だ。
「現世でまた暗殺されかけたらどうすんだ」
「現世で何かあったらどうするつもりじゃ?」
それはあの日、【主さま】に陸奥守が言ったこと。
陸奥守は急いで離れに走った。そこは変わらない、物置になっている。だけど一部屋だけ、違う。あの審神者の私室だけはどうしてかまだ残っていた。綺麗に片付いているそれは、きっともう帰ることがないと思っていたからだろう。
死んだはずの【主さま】がいる、そして審神者がいない。審神者はあの日、ゲートを潜った。それが答えだ。審神者は【主さま】を助けるために過去を変えてしまった。そして自らの命を捨ててしまった。
その事に気づいたら陸奥守は涙が止まらなかった。胸が痛くて痛くて、たまらなかった。あの時の痛みの正体がやっと分かった。あの時、ありがとうと笑った審神者を思うとただひたすら胸が苦しくなる。
だからといって審神者を助けに行けば【主さま】が助からなくなる。いいや、本当は助けてはいけないのだ。これは間違った歴史だから。その事にきっと政府は気づいていて、優秀な審神者故に目をつぶって知らぬふりをするのだ。
なぜならそれは勝手な少女が勝手なことをした、それだけの話だと言えてしまうからだ。審神者はだれかにそそのかされたわけでもなく、自分の意思でそうしたのだから。
でもわからなかった。なぜ審神者がそんなことをしたのか。審神者が【主さま】を助ける必要などない。陸奥守にはわからなかった。なぜなら陸奥守には審神者には感謝される覚えがないからだ。陸奥守は陸奥守のために審神者と上手くやっていただけなのだから。
「なして、こんなことをっ、した!!」
誰もいない部屋で叫ぶ。どこにこの怒りをぶつけていいのか分からない。審神者を助けたいが助ければ自分の【主さま】は死ぬ。どちらを取るかなどできない。このまま間違った歴史に気づかないふりをすれば【主さま】はここに残れる。陸奥守さえ、黙っていれば。
しばらくして母屋に帰ろうと立ち上がり、部屋を出てすぐの廊下でなぜか今剣と出会った。今剣は縁側で座り込み、ぼーっとしている。心配になった陸奥守はどうしたのかと尋ねると、彼の手には金色の刀装が大事そうに抱えられていた。
「むつのかみもやっとおもいだしたようすですね。」
「おんし、まさか審神者のこと覚え中がか?!」
「ぼくはわすれたことはありません。このとうそうのおかげかもしれません」
今剣の手に大事そうに抱えられていた物には陸奥守も覚えがあった。優しい審神者が嬉しそうに見せてくれたから。
「ぼくのこれは、さにわがはじめてきんいろのせいこうをつくったものです。そのひ、しゅつじんだったぼくにくれました。なんとなく、こわしたくなくてこわれないようにまもってきました。」
金色の刀装を優しく撫でて泣きそうな声で今剣は話を続ける。
「ぼくはあそぼうといったさにわに、ぼーるをなげてにげました。ぼくはさにわが、なにかなやんでいるとわかっていたときにふかくききませんでした。ぼくもむつのかみとさにわがなかよくするのをよくおもってなかったから、しらぬふりをしました」
突然引きこもりがちになった審神者。陸奥守の誘いさえ断り、なにかに没頭していた。
「さにわにごはんをとどけたら、あさのごはんがのこっているんです。いつもならぜんぶきれいにたべているのに。さにわにごはんをたべてほしくて、ごはんがもったいないですよっていったら、もうじぶんのごはんはつくらなくていいというのです」
それは陸奥守も気にしていた事だった。食事よりも何かを優先して、いつか体を壊してしまうんじゃないかと不安だった。いつか【主さま】のようにいなくなってしまうんじゃないかと。
「しょくだいきりにたのんでおにぎりにしたらやっとたべてくれました。ぼくはそれがすごくうれしかったんです。ひきこもってしまったさにわにぼーるあそびをさそいました。そしたらじぶんのことはきにしなくていいというのです。なんだかまるできえてしまうようなきがしてこわくなりました。あしたもういちどさそってみようとおもったら、もうさにわはいません。そんざいごといなくなりました」
今剣の目からは大粒の涙が溢れ出す。まるで本当の子供のようにえぐえぐと泣きながらそれでも溢れ出す気持ちを言葉にするために口を開き続ける。
「ぼくがあのとき、あんなこといわなければ。ぼくがあのときむつのかみにおしえていれば。ぼくがあのとき、いっしょにあそんでいたらさにわはこんなことしなかった。きらいだったんじゃありません。ただ【主さま】をわすれたくなかっただけなのに。それなのに。」
わかっていた。それは痛いほど陸奥守も分かっていた。いや、ここにいる刀剣みんなが分かっていたのだ。もちろん【主さま】よりは劣るかもしれない。でも人として、努力家で心優しい彼女は、自分たちが愛した人間だった。
「やさしいさにわは、ぼくたちのことをおこりもしません。ぼくたちのいうことをきいておとなしくしてます。ひとりぼっちできっとさみしかったんです。さにわがゆいつむつのかみをたよることを、どうしてぼくはみとめられなかったんですか。そんなちいさないやがらせをしなければさにわは、いきていた」
審神者を思って今剣は涙を流した。今剣だって分かっていた、審神者の優しさを。【主さま】を忘れられない哀れな刀剣たちのことを、受け入れてくれている広い心を。
「あとになって、こうかいして、それからこえをかけてもおそいのです。さにわはもうあのときにはけついしてしまっていたんです。ぼくがさせてしまった。【主さま】にあえたのに。ぼくはさにわのあのときのかおをおもいだしてしまうんです。ぼくがあのひとにいきることをあきらめさせたんです。」
今剣は金色の刀装をぎゅっと抱きしめて、ここにいない審神者の温もりを求めた。
「さにわにあいたい。あやまりたい。 【主さま】にあわせてくれたことかんしゃしてますが、さにわがきえるならあえなくていいです。あいたくない。にせものの【主さま】に」
「ひでぇ事言ってくれるな、今剣。」
そこに突然 【主さま】が現れた。驚く二人に 【主さま】は豪快に笑う。どこから話を聞いていたのか、いつからいたのか、いやなんのためにここに来たのか。何を先に聞くべきなのか二人には判断がつかなかった。
「俺がさ、前に現世に行った時に殺されかけたの覚えてるか?」
その日のことを二人とも忘れるわけがない。行ってきますと笑顔で出かけていった彼は冷たい亡骸となり帰ってきたのだ。
「不意打ちでさ。気がついた時にはもう刀が目の前に迫ってた。ああ、ここで死ぬんだなって覚悟した時、優しい光が振り降りたんだ。」
まだなんの事か分からないふたりは首を傾げる。【主さま】が何を言いたいのか全く分からなかったのだ。
「可愛らしい女の子が、俺を庇ってその刀を受けた。血を吐き出して痛々しい怪我をしてるのに俺を見て嬉しそうに笑うんだ。その子が死ぬ間際に俺に言った。【どうか長生きしてね。】ってな。」
お前らの知ってるやつじゃないか?と【主さま】は確信を持ったように言う。そう、それは過去へと飛んだ自分たちのよく知る審神者だったのだ。
「俺はあの日、本当は死んだんだろ?なぁ、むっちゃん。」
気丈に振舞っていたが、審神者の声は震えていた。それもそうだ。自分の死を認めるのが怖くない人間なんていない。けれど、もう陸奥守はこれ以上嘘はつきたくなかった。何より、今まで【主さま】が守ってきたものを守り続けたかった。正しい歴史を。
「そうだ。あの日、確かにおんしゃぁ死んだ」
「ありがとう、陸奥。お前に聞いてよかったよ。」
もう一度嘘をつかれたら、生に縋りそうだった。そう言って笑う【主さま】に今度は陸奥守の声が震え出す。
「あの日、おまんを守れのうてすまなかった」
ポロポロと涙をこぼす陸奥守の頭を【主さま】が優しく撫でる。つられたようにまた泣き出した今剣のことを抱きしめる。
「でも良かったよ。最後にちゃんとお前らと会えて。別れも言えなかったのは悲しいからさ。この機会をくれた彼女は引き継ぎかな?お礼を言っといてくれ。」
さよならだ。今までありがとう。そう言って【主さま】は二人の背中を押す。一歩踏み出した二人は決心する。審神者を取り戻し、元の正しい歴史にすることを。
「愛しちゅうよ、主。これからもずっと、変わりはしやーせん。」
陸奥守は走り出す。審神者の元に。もう振り返りはしない。もう後悔はしない。もう一度、ちゃんと審神者と話をするためにも。その隣を今剣も走る。そして2人でゲートに飛び込んだ。

キラキラと体が光り、透け始める。【主さま】はそんな自分の体を見て思わず苦笑をもらした。そして最後の仕事をするために動き出す。彼は最後までその本丸の【主さま】だった。
飛びこんだゲートは過去に戻った審神者の上に開かれた。驚いた顔をする審神者を陸奥守は捕まえ、今剣の方に投げる。そして襲われている過去の【主さま】を切り掛る敵を切り捨てた。陸奥守にはやっぱりどちらも選べない。だから両方守ると決めた。震える声で死を決意した彼を、見捨てるなんてできなかった。過去を変えることは間違っている。けれど、目の前で救える命があるのに見捨てるのも間違っていると陸奥守は思った。
過去の【主さま】は陸奥守の行動をみて何が起きたのか悟る。そして泣きそうな顔で馬鹿野郎と陸奥守の胸を優しく掌を丸め殴った。
なんで、と未だに状況が理解できない審神者は呆然と立ち尽くしていた。審神者は死ぬ気だった。死ぬ気で守るつもりだった。なのに死ななかった。
「どうして・・・、私は失敗したの?」
「おまんが死んだ世界は一度体験した。そこで主は生きちょった。」
「だったらなんで?【主さま】は生きてたんでしょ?全部成功してたのに、どうしてこんな危ないことしたの?これは、禁じられた行為なんだよ?」
審神者はパニックになっていた。こんなことをして陸奥守や今剣がもし政府に罰を受けたら。【主さま】が政府に捕えられたら。審神者は自分のことをよく理解していた。きっと政府にとって自分は必要性がないこと、だから何をしても自身の勝手な行為として処理されるだろうことも。陸奥守達が【主さま】と再び再会出来たのがその証拠だった。それなのにどうして彼らがここに来て、自分を助けたのか、そんな危ない橋を渡ったのか、審神者は捨てられることを望んだのに。
「助けてなんて言ってない。」
「知っちゅー。」
「あの本丸になんて帰りたくない!」
「ああ。」
「もう私はっ、身代わりとして生きるなんてイヤなの!!」
審神者の悲痛な叫びは陸奥守にも今剣にも胸にトゲが刺さる。そうだろう。ずっと要らないと言われて誰が傷つかないだろうか。それに彼女はまだまだ若い女人なのだ。
現状に自分は口を挟むべきではないと【主さま】は口を噤んだ。今剣は泣きそうな顔をして審神者の足にしがみつく。今度は自ら己を消してしまいそうな審神者を止めたくて。
陸奥守は考えた。何を言ったらいいのか、何を言えば審神者は生きることを諦めないでくれるのか。どれだけ考えても分からない。だからもう思ったことをそのまま言葉にすることにした。
「おまんが死んだと知った時胸が痛かった。主はいてもおまんがおらんなら意味が無い思うた。わしゃ、おまんに生きちょって欲しい。傍に、いて欲しい思うちゅー。」
考えずに並べた言葉はあまりにも雑で、自分の気持ちが上手く表現出来ているようには思えなかった。だけど陸奥守はそれをする術を持ち合わせていないからそういうしか無かった。
「わしの事を嫌いでもええ。それでもええき帰って来てくれんか?」
審神者の手を陸奥守はそっと握る。審神者は目から大きな粒となった涙を零し、震える手で陸奥守の手に握られてる反対の手を重ねる。
「もう、嘘をつかないで。」
審神者が唯一願ったのはそれだった。側にいてと願う訳ではなくそう願ったのはどれだけ審神者が苦しんでいたのか二振りにはよくわかった。
話がまとまったことに少し安心した【主さま】はようやく自分も話の中に入る。
「まず、君には謝らせてくれ。きっと俺の家族が失礼なことをしたんだろう。すまなかった。改めて未来で詫びはさせてくれ。」
「え、あ、あの」
「今回の禁じ行為についてだが、これは俺が片付けて置くから君は心配しないでくれ。アテがある。」
「さすがあるじさま!」
さっきまで泣きそうだった今剣は【主さま】の言葉を聞いて笑みを浮かべる。それをみて【主さま】は呆れたように溜息をつき、二度目はないからなと注意する。
「君のことは君さえよければこれからも俺の本丸で家族として迎えたいと思っている。政府が君だけにしたら何をするか分からないしな。何、審神者が二人でひとつの本丸を運営するなんてよくあることさ。」
「流石はワシの主!」
調子に乗りそうな陸奥守に【主さま】は大きくため息をつく。
「そして最後になったが、俺を助けに来てくれてありがとう。理由はなんであれ俺は君のおかげで助かった。」
審神者はその言葉を聞いて弁明をしようとしたが過去に長居しすぎたせいで身体の力が抜けてしまう。慌てて陸奥守が支え、今剣がゲートを開く。【主さま】は笑顔で3人を見送る。また未来で。そんな声を最後に聞いた。

審神者が目を覚ますと自分が布団に寝かされていたことに気づく。ここは何処で、今どうなっているのか。審神者の最後の記憶は過去で終わっている。
「起きたか?」
他人の声に驚き、声がした方を見ると陸奥守が近くで座っていた。ここは?と聞くと戻ってきたのだと教えられる。【主さま】は?と聞くと俺がどうかした?過去で見た【主さま】がひょっこり現れる。
またパニックになりそうな審神者を落ち着けと陸奥守が頭を撫でた。
その後【主さま】はあの後のことを教えてくれた。話していた通りアテを使い、今回のことはお咎めなしとなったらしい。政府は審神者を引き渡すように要求したが審神者は自分の本丸預かりとすると力技で押し通したとか。なんてパワーだと審神者がうっかり口が滑って漏らした言葉に優秀だからね。と【主さま】が笑いながら言う。最早それはちょっと怖かった。
「君は俺から審神者についてしばらくの間学んでもらう。そして二人で本丸を、この家を守ろう。」
「でも私には、力不足です」
「はは、そんなことないさ。他人のために自分が死ぬ覚悟をできるような人間なんだ、君は。強いよ。俺なんかよりも。でも二度とその決意はしないでくれよ。もう、俺にとっても君は恩人であり、家族なんだ。」
【主さま】の言葉に審神者は涙を零した。初めて自分の居場所だと言ってもらい、心から安心したのだ。審神者は泣きながらお礼を言う。こうして事件はようやく終わりを迎えた。

【主さま】は部屋の中から外を見て大きなため息をつく。
「あの甘ったるい空気、いい加減どうにかならねぇかな」
「あるじさまいけませんよ。ヘタにつつくとじぶんにとびひします。」
隣でお茶を啜っていた今剣は首を横に振る。外では一緒洗濯物を干している陸奥守と審神者の姿が見える。あの後審神者にみんな謝罪をし、ゆっくりと距離を縮め今に至る。審神者も少しずつ遠慮をしなくなってきていい傾向に向かっていた。
今一番の問題は陸奥守と審神者の関係である。
「もうあの時殆どプロポーズしてただろ?なんで今更目が合っただけで照れてんだよ!同じもの取ろうとして手が重なって顔赤面させてるんだよ!少女漫画の世界か?!こっちが小っ恥ずかしいわ!!」
「あるじさまこの前のふたりをくっつけようとしてのろけじごくにあったばかりですよ。」
「3時間無意識惚気事件な。アイツらやべえよ。俺は二人が付き合って結婚してその子供にこの本丸引き継がせるって夢があんだよ!諦めてたまるか!」
どうにしようと唸る【主さま】の隣で今剣は外を見つめる。まだ認めてあげるつもりは無いということを【主さま】には黙っておこうと今剣は心の中で呟いた。


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