短編 | ナノ




私は家族に売られた。そんなに秀でた外見がなくとも女ならば売れる場所があると言って。去っていく両親は貰ったばかりのお金を取り合っていた。ああ、なんと醜い。それでもやっぱり親というのは特別で、そんな人でも捨てないでと泣いて叫んだ。

芸事を学ぶのは楽しかった。舞は特に好き。クルクル綺麗に回る姐さんたちは本当に綺麗で、思わずヨダレが出てしまうほどだ。
私がついた姐さんはとても優しい人で、私たちにもお菓子を分けてくれたり、芸事を教えてくれたりした。数年後、私たちに幸せになってねと言って姐さんは愛おしい人の元に行ってしまう。また捨てられたような気持ちになった。それから努力のかいあって、私は一人前の芸妓になった。

それから暫くして、蕨姫はやってきた。とっても美人な彼女はみんなの目をあっという間に奪った。私も一目惚れした。でもその事が一部の姐さんたちを不快にさせたらしく、嫌がらせをされるようになる。
ある時、花魁が一番のお気に入りの旦那さんが来た時に蕨姫を呼ばせて、その場で罵倒した。私なら泣いてしまうような恐ろしい状況に彼女は強く睨むだけだった。それに腹を立てた旦那さんが茶碗を彼女に投げつけた。気がついた時には彼女の前に立って庇っていた。
投げつけられた茶碗は利き腕に当たり、大きく腕が腫れる。あまりの痛みにその場で蹲る。
花魁は勝手なことをした私にとても怒っていた。私はその場で土下座をしてお詫びするしかない。
「どうか、ご容赦ください。蕨姫は今後花魁にもなりうる遊女です。どうか、どうか旦那様お気を納めて頂けないでしょうか?」
「なんだ、お前はその女の家族か?」
「いいえ、まだ出会ったばかりでございます。私の一目惚れです。」
旦那さまはその場から立ち上がると私の前までやって来て顔を覗き込んでくる。
「ならばお前が代わりに相手をしろ。」
花魁が怒るのを無視して旦那さんは私を奥の部屋に連れていく。驚いた顔をした蕨姫ににっこりと強がって笑ってみせた。そのあとは地獄のようだった。痛い事ばかりの夜。腫れた腕をさらに痛めつけられ、痛みで涙を流す私を楽しげに虐げる旦那さん。でもいいのだ。どうせ私は底辺の女。輝く未来なんてないのだから。
次の日の朝、ボロボロになった私を女将さんは叱った。歯向かうから悪いのだと。花魁のご機嫌まで損ねたと罰まで貰った。少ないご飯がさらに少なくなる。それでも私は元からあまりご飯を貰ってなかった子供だったから困りはしなかった。
そんな私に蕨姫が声をかけてきたのは騒ぎから10日は過ぎた頃。ねぇ。と呼ばれて振り返ったら彼女がいたのだ。彼女は怒っているようだった。
「なんで私を庇ったりなんかしたの」
なんでと聞かれると明確な理由はない。気がついたら庇っていたのだから。なんと返事をするか悩んで、悩みに悩んで結局分からなくて、笑ってしまうことしか出来ない。
「一目惚れなの。貴方はきっと花魁にもなれるから、その将来を壊したくなかったの。」
「ふん。それでそのザマなの?私が感謝するとでも思った?」
私のことを睨めつける蕨姫に、思わずまた笑ってしまう。何がおかしいと怒る彼女に、ごめんなさいと笑ったことを謝る。
「貴方は凄いわ。あんな状況でも強気で負けじと睨み返してた。私なら泣いてしまうもの。貴方は強い人ね。私はとても好きよ。貴方が私を嫌いでも。」
私の言葉を聞いて蕨姫はますます顔を顰めた。それ以上言うことがなかったのかそのまま去ってしまう。あらら、残念だ。
利き手を怪我した私は芸事を上手に出来なくなってしまう。ある程度のレベルは出来ても、長時間や難しい舞は出来ない。そうなれば売れるのは体しかない。芸妓とは名乗るものの、一度ゆるした体を守ってくれるものは何も無かった。
私につく旦那さんは虐げることを好む人ばかりだった。勿論仕事に支障がない程度にだけれど、日に日に傷が増えていく。自分以外がつけた傷が気に入らないと怒る旦那さんたち。夜の営みとは愛し合うことではなく、旦那さんの欲求を満たすものだと知った。
涙を流すほど子供にはなれない。自分の状況を嘆くほど現実に夢はない。今の私の状況は私の中の最大限の幸せなのだと思っていた。

蕨姫はあっという間に花魁になった。怪我の手当をしてくれた他の姐さんから教えて貰った。そして蕨姫に意地悪をしようとした姐さんはどこかに消えてしまったらしい。
私の周りにいる姐さんたちはみんな優しい。こんな私を可哀想と涙を流してくれる。何も出来ずにごめんねと言ってくれる。そんな人達がいるのだ、私はやっぱり幸せものだと思う。

「今日からお前は、蕨姫だけの芸妓だ。」
「え?」
突然女将さんに言われたことに首を傾げた。どういうことだろう?蕨姫だけの?何がどうしてそうなるの?
私が固まっていると蕨姫は私の後ろ襟を掴んで部屋の外に引きずっていく。え。え。え。何事??蕨姫ってそんなに力あるの?
どこかの部屋に思いっきり投げ込まれて転がり込む。痛たと擦りむいた腕を撫でると、蕨姫がグイッと顔を近づけてきた。
「今日からあんたは私のなんだからね!これ以上私以外のあと付けさせるんじゃないわよ!」
蕨姫はよくわからないことを言う。跡とは??分からないことだらけだ。分かることはあの日ぶりに蕨姫と目が合ったこと。やっぱり綺麗だった。美人だ。
「蕨姫は本当に綺麗ね。その目も、唇も、髪の毛も全部綺麗ね。良かった、あの時変な傷つかなくて。本当に良かった。」
蕨姫はその言葉を聞くと顔を真っ赤にして馬鹿じゃないのと怒る。プンプンとしながら私の身体中にある傷に薬を塗ってくれた。ブスは嫌いなんだって。頑張って自分磨きしなければ。
蕨姫の力のおかげで私は暴力的な旦那さん達の相手をしなくて良くなった。彼らは出入り禁止だそうだ。けれど噂ではその男たちも姿を消してしまったらしい。この街ではよくある事だし、苦手な人達だったよでそれは良かったと安心した。
蕨姫は暇があるとすぐ私に構えという。髪を結い上げるのもいつの間にか私の役目になっていた。蕨姫に着いている禿たちと蕨姫の部屋を片付けたり、蕨姫を待っているお客さんに芸を披露したり。
蕨姫は私のもう上手くもない芸を何故か気に入っていて、旦那さんがいる所にも連れていかれ、三味線を弾くこともある。でも私がするのはそれだけ。私の夜は毎晩蕨姫に買われていたから、夜は蕨姫の部屋で寝るだけだった。そんなの悪いと断っても蕨姫は黙って言うこと聞けと怒るだけ。申し訳ないと思いながらお礼を言うしか私には出来なかった。
蕨姫には実はお兄さんがいる。たまにこっそり遊びに来ているのだ。お兄さんは本当は私に会うつもりはなかったらしい。たまたま部屋に忘れ物を取りに来た時にその人がいて、慌てて蕨姫に怒られますよと言うと自分はその兄だと言われた。それだど今度は女将さんに怒られる。たとえ兄弟だろうと勝手に部屋にいたとなれば蕨姫もお兄さんもタダでは済まない。
慌てて禿立ちに部屋に来ないように、そして誰も近づけないようにお願いする。その後すぐに蕨姫にこっそりお兄さんがいた事を伝える。彼女は驚きもせずに私に相手をしといてと言って部屋から追い出した。蕨姫は真面目だ。旦那さんの相手なら私がかわるのに。少しくらいお兄さんと会ったらいいのに。お兄さんも会いたかっだろうに。申し訳ない、私の力不足で。そんなことを考えながら蕨姫の部屋に戻ってくる。
「蕨姫花魁はまだ戻れそうにないので、私がお相手させて頂きます。」
「なら三味線引いてくれ。アイツが気に入ってんだ。」
「そんなことで良ければ。」
どんな曲がいいかと聞くと落ち着いたものがいいと言われ、一番それに近しい曲を丁寧に弾く。一曲引き終わると次を言われて、その繰り返し。とても穏やかで大好きな三味線も出来る、幸せの時間だった。
私は基本的に夜は蕨姫の部屋で過ごした。蕨姫を待つ旦那さん達だけに芸を披露して、それ以外の時は部屋で大人しくしているか、あれからたまに現れるお兄さんに曲を聞かせる。
蕨姫が戻ってくれば共に寝て、お昼は蕨姫が甘えてくるのでうんと甘やかす。可愛いと褒めたたえ、いい所をいくつも上げていく。蕨姫は満足そうな顔をしていた。
たまに蕨姫が私に出しているお金より多く払い、私に話し相手をさせる旦那さんがいた。蕨姫はそういう時はすごく不服そうにしている。でも夜は共にしていないので苦痛はない。普通に話を聞いて、相槌をうち、楽しそうにするだけでいい。あとは戻った時蕨姫の機嫌をどう直すか考えるだけ。
蕨姫は優しかった。私を酷い旦那さんたちから守ってくれた。こんな私の夜を買ってくれた。我儘も多いけど、私には可愛い我儘ばかりだった。
蕨姫は私の日常を輝くものに変えてくれた。大好きだった芸をできるようになった。女を売らなくて良くなった。幸せな日々が過ぎていく。
「アンタがおばあちゃんになっても私が買ってあげる。だからずっと私を褒めるのよ。」
「蕨姫は優しいね。そうね、こんな私を貰ってくれる人はいないだろうから、その時はお願いします。」
くすくす私が笑うと、私の膝を枕に横になっていた蕨姫がむくれた顔をする。ずっとこんなふうに暮らせたら、どれほど幸せだろう。でもきっと蕨姫には素敵な旦那さんが現れる。その時は、そっと身を引く覚悟はもう出来ている。

そんなことを話して数ヶ月過ぎた頃、突然私を迎えたいという人が現れた。その人は蕨姫に通っていた一人の男だった。前座として私が話し相手をしたことがある。そう言えば最近よく蕨姫じゃなくて、私を呼ぶことが増えていた。お金が無くて蕨姫を一目見るためにそうしてのかと思ってたのに、どうやらそうじゃなかったらしい。
「貴方と話していると安らぐんです。僕と、幸せになりましょう。」
女将さんは喜んだ。ようやく面倒なのを一つ追い出せると。私の気持ちは関係なかった。悪い人じゃない。むしろ私には勿体ないくらいの人だ。
私は"幸せ"になるんだろうか?
話を聞いてからその日のうちに蕨姫の元に報告をしに行った。私から訪ねてきたことに機嫌を良くしていた蕨姫は、話を聞いていくうちにどんどん怖い顔をする。
「アンタはずっと私達といるんじゃないの!」
「出来ることならそうしたい。でも、ね」
「その男がいるからアンタが出ていくのね。」
その時の蕨姫はとても怖い顔をしていた。蕨姫?と恐る恐る名前を呼ぶと、何故かその時には機嫌が戻っていておめでとうと言ってくれる。突然の変化に私もついていけない。
「外に行っても蕨姫に手紙を書くわ。どこに行っても蕨姫が一番好きよ。ずっと貴方を思ってるわ。」
「あたり前よ。貴方は私が好きなの。一番好きなの。その次にお兄ちゃん。そうでしょう?」
蕨姫の問いかけに頷くと蕨姫はますます機嫌が良くなる。良かった、蕨姫の機嫌が良くなって。喧嘩別れなんてことにならなくてほんとに良かった。
その数日後、私を迎えるはずだった旦那さんは行方知れずとなった。蕨姫は良かったね。まだ一緒にいられるわよ。と笑っていた。私も頷いた。
それから私と一定以上の距離になろうとする人はよく姿を晦ました。私に深く関われば不幸になると噂が広まるのはあっという間だった。
蕨姫目当ての旦那さんたちは優しかった。噂なんて気にするな。蕨姫に会うまでの時間君と話せるのは楽しいよと言ってくれた。それだけで私は十分だ。蕨姫がいて、お兄さんがいて、優しい旦那さんたちがいる。痛いことも無く、怖いことも無い。私がここから出ていこうとしなければ。蕨姫から離れようとしなければ。
そんなことをして数年が過ぎた頃、彼は現れた。何故か私を指名して呼んだのだ。私は一応肩書きは芸妓だ。芸を披露するのが仕事。夜を遊ぶ相手として指名するのは驚いた。何度か蕨姫の知り合いで知り合った相手ならまだしも初対面だ。どこかで会った覚えもない。会ったら覚えている。こんな色男。
「小梅でございます。」
「おう。早速噂の三味線聞かせてくれや。」
彼は天元と名乗った。こんなところに来なくてもモテモテになれるだろうという男前だ。何故こんなところに来るのか。その顔の通り遊び人なのだろうか。言われたとおり三味線を弾きながらそんなことを考える。
「お前、あんま上手くねえのな。」
その言葉を聞いた瞬間思わず手を止めてしまった。言われたくなかった事実だ。一瞬顔を強ばらせてしまい、慌てて笑顔を作り直す。
「申し訳ございません。」
「噂になるくらいだから超上手いとかと思ってたんだが。思ったより普通だな。」
恥ずかしかった。私よりあとに入ってきた可愛い女の子は私よりもどんどん上達してる。私はあの日からなんの成長も出来てない。今の実力を発揮するので精一杯だ。
それでも芸を出来ているのは蕨姫がいるから。彼女がいなければ私はあの恐ろしい夜に帰らなければいけなくなる。
分かっていたことだけど、そう思うと怖くてたまらなくなる。深呼吸して自分を落ち着かせようとするけど上手くいかない。
そんな時すっと手が伸びてきた。指一本一本が芸術品のように美しく、思わずその指を目で追ってしまう。その指が私の手を握ったことに気づいたのは肩を抱き寄せられてからだった。
「心が乱れてると良い演奏なんて出来ねぇぞ。」
彼は私を自分の膝の上に乗せて、私の手を上から握り、いやらしい事もせずに普通に三味線を教えようとしてくれた。その体勢が恥ずかしくて顔を赤くすると彼は無邪気に笑うのだ。
彼は三味線が上手だった。私を覆い尽くすほど大きな体身体をしているのに、なんて繊細な音だろう。恥ずかしい気持ちもその音を聞いているうちに無くなり、穏やかな気持ちになる。
そんなふうにしばらく遊んでいた後、突然旦那さんは私の項に口付けをした。ぷにっとした柔らかい感触に驚いて声を上げてしまう。慌てて口を両手で抑えると、旦那さんは驚いた顔をしたあと、獲物を狙う雄の顔をした。
いとも簡単に私のことを抱き上げて、奥に敷いてある布団の上に優しく降ろされる。恐ろしい夜がくる。久々にやってきた夜に私は怯えてしまう。そんな私を優しく宥めるように、口付けの雨が降る。
縛られることも無く、怖がる私に優しく触れるだけ。そんなこと初めてだった。
「旦那、さん」
「天元だ。そう呼べ。」
今までの旦那さんは縛ったり、噛み付いたり、突然始められたりした。それなのに天元さんはあの綺麗な指を使って私が傷つかないように優しく解してくれる。痛くない夜は初めてだった。だから怖かった。
「旦那さん、やだ。優しくしないで、怖い。」
涙を流しながら懇願すると、天元さんは優しく笑って俺様の好きにする。だから優しく抱く。これは決定事項だといって変わらず優しく私に触れる。
感じたことの無い感覚に恐怖した。怖いと縋るように天元さんの着物を握るとその手の上に天元さんの手が重なる。

私は初めて幸せな夜があると知った。

それから天元さんは何度も私の元に通ってくれた。夜を共に過ごさない日もあるけれど、いつだって優しかった。優しさを怖がる私に怖がらなくていいと言ってくれる。そっと抱きしめてくれる。その腕の中にいる時、私も"幸せ"になれるのではと錯覚しそうになる。違う。私は蕨姫とずっと一緒にいると言った。それに天元さんは、決して私を愛してるわけじゃない。悲しいかな、それを気づけた日に私は彼に身請けの話をされた。
最初は騙されそうだったけど、何度も会ったらわかった。彼には目的がある。何かを、誰かも探しているのだ。最近消えてしまった姐さんの話にいつもより興味を示した。あまりで不信なことはないかと心配するように聞かれた。だから分かってしまった。彼は私に逢いに来てるんじゃない。彼は"不信な噂を持つ芸妓"に会いに来てるのだ。
彼は私のことを愛してない。そんなの最初から分かっていたことだけど、何故だか私はそう確信を得た時、涙が零れた。
彼は変わらず優しかった。その優しさが辛かった。半ば意地のように私は彼の名前を呼ばなかった。床でも旦那さんと呼び続けた。心の中では何度もその名前を口にするくせに、口からは絶対に発しない。その名前を呼んでしまえば、きっともう戻れないから。
天元さんが私に通っているという話は段々と広まる。蕨姫にもそのうち届いてしまう。ああ、今夜が最後だとわかった。女将さんに話をして、天元さんが来た時人目につかないようにこっそり部屋に連れてきてもらった。
既に部屋で待機していた私に天元さんは少し驚いていた。深く頭を下げて、これが最後だからと気合いを入れて三味線を引く。今できる私の精一杯。
一曲引き終わると天元さんは手を叩いて褒めてくれた。聴き惚れたと。嘘でもいい。そう言って貰えたことがきっとこの先の支えになるから。
「旦那さん、今夜で貴方と会うのは最後です。」
「は?」
突然の宣言に彼は驚いている。それもそうだろう。こんなこと普通は芸妓は言わない。
「身請けの話を断るってことか?」
「はい、私は勿体ないお話です。それに私はここを出る訳には行かないのです。」
「だからもう会わないって言うのか。」
「私はこれでも長く此処にいます。だから、知っています。貴方が他にも入れ込んでいる芸者が居ることを。」
その言葉は予想外だったのだろう。天元さんは目を見開いていた。天元さんにとっての私は、無力で無知などうしようもない女。違う、私はそんなのじゃない。私は知ってる。汚い世界を。ずっとその中で生きてきたのだから。貴方の思うような女じゃないの。
「私はただでさえ悪い噂をされています。これ以上変なことを言われて、行き遅れるのは嫌なんです。女将さんにも許可は取ってあります。」
「確かに、俺は他の女にも会ってる。それは理由があっての事だ。お前を身請けしようってのは嘘じゃない。俺には妻が3人いる。4人目にはなるが、お前のことを迎えたいと本気で思ってる。」
「いいのです、ここは一夜の幻をみる場所。貴方は何も悪くありません。正しい使い方です。」
「小梅話を聞け!」
「今夜が最後です。最後に私を抱きますか?それとも、帰られますか?」
私の気持ちが変わらないことを悟った彼は直ぐに私を床に連れ込んだ。私の気持ちを変えようと必死になっていた。何が貴方にそこまでさせるのだろうか?そこまでしてもらえる人が羨ましい。
「名前を呼べ、小梅」
「旦那、さん」
「違う、名前だ!俺の名前を呼べ!」
「だんなさん」
その晩、初めて天元さんは私を乱暴に抱いた。乱暴に抱くくせに、その中に優しさもあって涙が出そうだった。
朝、先に起きると横に眠る天元さんの顔を覗き込む。
「どうか生きて、幸せになってね天元さん。」
最後に私から眠る彼に口付けをする。そして彼が起きる前に部屋をあとにした。

身体を綺麗にしてから蕨姫の部屋に向かうと途中の廊下で彼女は前から歩いてきていた。にっこりと笑みを浮かべている。彼女が何かを言う前に自分から口を開く。
「お別れしてきたの。私は蕨姫がいる、此処に残るってお断りしたわ!」
蕨姫はきっともう知ってる。彼が身請けの話を出したことを。そんな顔をしてる。
「偉いじゃない!よく言えたわ小梅!」
蕨姫は今までにないほどに喜んでいた。私の手を引いて蕨姫の部屋に連れていく。
「小梅はずっと私の傍にいるのよね。」
「ずっといる。蕨姫が望んでくれる限りずっといる。」
「いい子ね!」
だから殺さないで。そう心の中で願った。どうか彼に蕨姫が手を出しませんように。
蕨姫のことは何があっても変わらず好き。でも、嘘ばかりの彼のことも好きになってしまったの。もう二度と誰かの手を取ろうとしたりしない。だからお願い神さま。蕨姫にこれ以上酷いことをさせないで。

それから彼はお店に来なくなった私の言葉を聞き入れて来なくなったのか、はたまた私が面倒になったのかはわからない。それでもこれでいいのだと思えた。
しばらくしてまた新しい女の子が入ってくる。蕨姫程じゃないけどとても綺麗な子。
雛鶴ちゃんと言うらしい。彼女は凛とした美しさがあって、あっという間に人気者になる。そんな彼女は私にも優しかった。蕨姫を待つ、お兄さんもいない暇な時間の時、彼女は私に声をかけてくれた。なんでもいつもは蕨姫がずっと構っているから話せなくて、どんな人か気になっていたとか。
私も綺麗な人だと思っていたと言うと彼女は顔を少し赤くして照れる。可愛い人だ。
「小梅さんにはいい人はいないの?」
「え?」
「こんな場所でも恋の一つや二つ、あるでしょう?」
興味津々に聞いてくる雛鶴ちゃんはとても可愛いのだけれど、女の恋の話は厄介だと困ってしまう。絶対にこの恋は見つかるわけにはいかないの。
「私には蕨姫がいれば十分。それ以上はいりません。」
「そうなの?確かに二人は仲がいいけど、それだって身請けをすれば離れ離れになってしまうわよ。」
心配そうな顔をする雛鶴ちゃん。彼女はとても優しい人だ。
「私に"幸せ"をくれたのは蕨姫なの。彼女が今も私の幸せを守ってくれてる。」
「それは本当の幸せなの?""」
真っ直ぐした目をした雛鶴ちゃん。どうだろう。本当なんてものは私にはわからない。だってここには偽りしかないのだから。分かっているのは私が蕨姫に一目惚れしたこと。そして彼女のことが好きなこと、それだけ。蕨姫がどんな考えで私を守ってくれてるのかは知らないし、知らなくていい。
「本当の"幸せ"なんて私は要らないの。」
そう答えると雛鶴ちゃんは悲しそうな顔をしていた。きっと雛鶴ちゃんは知らないの。幸せじゃない日常を。
次の日の晩、蕨姫は私を部屋に呼んでずっとそこに居させた。絶対に出てくるなと言われた。誰が来ても部屋を開けず、そこで蕨姫を待ち続けるように。
次の日の朝早くに戻ってきた蕨姫は部屋の真ん中で座って待っていた私を見て嬉しそうな顔をしてただいまと言う。私も笑っておかえりと蕨姫を迎えた。
朝からお昼まで二人とも寝て、起きてから支度をしてまた夜に華を咲かせる。蕨姫の前座をしていると蕨姫の禿がそろそろ蕨姫がやってくると教えてくれたので、頭を下げてその部屋から出て部屋に戻る。
「蕨姫花魁が今日はもうお部屋から出ないようにと」
「そうなの。」
伝言をありがとう、と禿に旦那さんから貰った飴をあげる。こっそり食べるのよ。と言うと喜んでいた。
これは別に優しさであげてるわけじゃない。私は蕨姫から貰ったもの以外食べないように言われてるだけだ。変なものを渡されるかもしれないからと。蕨姫はあれで過保護だ。きっとお兄さんの影響だろう。
「蕨姫花魁の機嫌が悪くなったらすぐに教えてね。私が変わるから。」
「はい。」
行っていいよというと禿は去っていく。一人残された部屋はどうしてか少し寂しく感じた。
私は部屋からほとんど出ることは無い。だから私の手足となってくれるのは蕨姫についている禿達だった。蕨姫花魁は最近機嫌が悪い。雛鶴花魁のことを睨んでいた。女将さんが蕨姫花魁のことを疑っている。優秀な彼女の禿たち。彼女たちは小さな体で沢山の話を聞いてきてくれる。
ある夜、久々に雛鶴ちゃんと会った。たまたま廊下をすれ違っただけ。その時こっそ小さな声で告げたことを彼女が聞いてくれてるといいのだけれど。

「雛鶴花魁が蕨姫花魁に姐さんのこと聞いてたの。蕨姫花魁とっても怒ってた。」

これ以上ここにいれば彼女も消されてしまう。


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