短編 | ナノ




確かに死んだと思ったのだ。それでも何故か生きて、蝶屋敷で目を覚ました。何故俺は生きている。生きれるわけがない。あの傷は致命傷だった。
驚きのあまり自分の腹を見る。そこにはあったはずの傷が綺麗さっぱりなくなっていた。
「炭治郎くんのお話によりますと、急にもう1つの鬼の気配を感じたそうです。直ぐに消えたそうですが。」
胡蝶に教えられたことだ。身に覚えがない、訳ではない。一人だけ、可能性があった。お守りだと貰った袋の中をあける。その中のものを取り出すと、真ん中に大きな穴が空いていた。女人の形に折られた折り紙、そして腹に大きな穴。考えにくいことだが、この人形が俺の代わりになってくれたのだろう。
なぜ鬼が俺を助けた。ありえん。なぜだ。
俺の知っている可能性のある人間は、一人の女。宿で働いており、うっすらと鬼の気配がした。そう、うっすらなのだ。
強い鬼が上手く気配を消しているなら分かるが、あの鬼は強くはない。見かけではなく、事実だ。見張ってみたが人を襲うこともせず、夜働き、朝に寝て、普通に生きていたのだ。
優しい鬼だ。俺がどれほど隙を見せても決して襲うことは無い。俺がどれほど近寄っても逃げもしない。
こんな俺を可愛いというような、馬鹿な鬼だったのだ。きっとあの鬼は誰かを食らったことも、誰かを襲ったこともないのだと竈門禰豆子を見て思った。
折り紙の身代わりは本当に折り紙だけに影響するのだろうか。それとも彼女にも影響するのだろうか。早くて会わねばならん。そしてもし鬼になってしまっていれば殺さねばならん。
そんなことを考えていると部屋の中に竈門少年が入ってきた。俺の姿を見て、泣いて良かったと言う。心配を掛けさせてしまったようだ。
「あの、これ。帰る途中で拾いました。」
そう言って渡されたのは折り鶴だった。見覚えのあるその紙に目を見開く。
「これも一瞬感じたって胡蝶さんに話した同じ鬼の匂いがしたんですけど、嫌な匂いじゃなかったので。それに、煉獄さんに渡した方がいいと思ったんです。」
手の上に乗せられた折り紙を直ぐに広げた。その行為に竈門少年は驚いていたが今はそれどころではない。あの宿からあそこは近くない。いるはずがない。そんなはずない。彼女がいるはずがないんだ。


拝啓、煉獄杏寿郎さま

この手紙は貴方様に届いているでしょうか。
この手紙は貴方様とのお別れを言うためのものです。
私が鬼であることを、貴方様は気づいていらっしゃいましたね。
私も知っております。貴方様が鬼を狩るものだと。
私と貴方様は相容れぬ存在。もうここに来ては行けません。
ここには私を見張るために強い方も来られます。
私の血気術はあの方のお気に入りで、あの方のためだけに使うように命じられて来ました。
それを貴方さまに使ったと知られれば貴方様の身が危ないのです。もし、私の力を使うようなことがあれば尚更ここに来てはいけません。
安心してください。あの力は私の身体を身代わりにするだけで、他の誰かを傷つけたりは致しません。
人を喰らえば、あの方に力を使ったこと知られ、私は殺されるでしょう。
ですので人を喰らうこともありません。だから安心して、私を忘れてください。
生まれてからずっと物として生きた私を、初めて貴方様は、助けてくださいました。
私を初めて人のように扱ってくださいました。
これ以上、幸せなことはありません。どうか、優しい貴方様が、心を痛ませないでください。
杏寿郎さま。私はあなたと会えたことが、私の生まれた意味と思います。
次に会う時は同じ人となれますように。

宿の女より。

腹に穴が空いたのだ。決して小さくない。その傷を彼女が俺の身代わりになったのだ。
もう分かっている。きっと彼女は生きてはいない。どんな最後を迎えたかはわからん。だが、あの傷を受けて、人も喰わずにいられるとは思えん。
確かめねばならん。御館様に事情を直ぐに説明して、行かせてくださいと頼み込む。少し考えるような仕草をした御館様は炭治郎と禰豆子を連れておいきと言ってくださる。許可を得たら直ぐに飛び出した。
烏を使って竈門少年を見つけ、着いてきて欲しいと言うとまだ事情も説明してないのに彼は分かりましたという。なんと優しきことか。
直ぐに屋敷をたち、宿を目指して走り出す。何度か藤の家に泊まり、ようやく着いた時には昼になっていた。
「煉獄さん、血の匂いがします!」
「行くぞ、少年。離れるなよ。」
覚悟を決めて宿の中に入ると宿のそこら中に血が飛び散っていた。なんだこれは。どうなっている。彼女がやったのだろうか。
警戒しながら彼女の部屋に向かうと部屋の前に割れた花瓶だった破片とそのすぐ傍に彼女の着ていた着物が落ちていた。
部屋は荒れてはいるが、血が散らばっている様子はない。彼女の着物にも血はついていない。この惨事は彼女がやったのではないのだ。恐らく、彼女の言っていた『飼い主』が約束を破り、死した彼女への怒りをぶつけてこうなったのだろう。
彼女は俺の代わりに死んだのだ。
「この部屋から悲しい匂いもするのに、幸せそうな匂いもします。」
「幸せだと?生まれてからずっと物として生かされ、売られ、鬼にされ、監禁されていたんだぞ。」
「よくは分かりませんが、きっと辛いこともあったけど幸せだと思えたこともあったんじゃないでしょうか?」
そう言われて、手紙に書いてあったことを思い出す。あんなものを幸せと呼ぶなどあってはならない。普通の人間ならば当たり前に過ごせる日常を、幸せだと、そんな悲しい幸せがあっていいわけが無い。
「煉獄さん、もしかして。」
「言うな、少年。立場を弁えろ。俺も、君も立場がある。」
鬼殺隊の柱である俺が、鬼に要らぬ感情を抱くなど許されない。そう思っていたからずっと言わなかったのだ。
俺の頭を膝に乗せて、幸せそうに彼女が笑っていたのを知っている。この時間が続けばいいと願う言葉に俺はそうかとしか返さなかった。いつか彼女が鬼に落ちた時に、殺せるように。
「そんなに気にすることでしょか?」
「なに?」
竈門少年はキョトンとした顔で俺を見ていた。彼女が倒れていたであろう着物の隣にしゃがみ込み、そっと着物を持ち上げる。その下には枯れてはいたが、俺の渡した花があった。
「煉獄さんは向日葵に似てます。きっとその鬼もそう思っていたんじゃないでしょうか?」
「確かに、そう言われたことがある。」
「だったらきっと、この鬼が人を食べなかったのは煉獄さんのお陰ですね。」
「俺の?」
何を馬鹿なことを。眉間に思わず皺がより、怖い顔になった自覚があったが竈門少年は気にせず話を続ける。そっと枯れた花を壊れないように両手で拾い、俺の手の上にその花を乗せた。
「煉獄さんにまた会いたかったから、食べなかったんですよ。だって鬼になってたら煉獄さんが殺さなきゃいけなくなるから。」
気がついたら両目から豪快に涙が零れていた。ああ、そうなのか。俺に会いたいと、思っていてくれたのか。別れの手紙を書きながら、君は俺を思っていてくれたのか。
いつも君は自分ばかり貰っていると言っていたがそんなことは無いぞ。俺の方がよっぽどたくさんのものをもらっている。
共にいる穏やかな時間が好きだった。優しく撫でる手は母を思い出させた。俺と共にいる時の嬉しそうな顔を見るのが好きだった。君の心が『人』である間は殺さなくていい。だからずっとそのままでいてくれと願った。竈門少年の妹のように、人を襲わない鬼でいてくれと。
「最後まで、『人』であったのか!」
君は本当に凄い人だ。

来世と言うものがあるのなら、必ず俺が君を迎えに行こう。君が忘れていても構わない。俺の事を好きじゃなくても、例え人ではなくても。
そして今度こそ、この気持ちを俺から伝えよう。


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