短編 | ナノ




あの日初めて見た花はとても大きくて、お日様のようだった。まるで彼のようだ。最後に彼に触れれたような気持ちになった。


その夜、いつもの様にお使いで他の旅館に行った帰り道、面倒なことになってしまった。
お酒を飲んだ男達が私を囲い、腕を無理やり掴んで薄暗い道に引きずり込もうとした。
助けてと叫ぼうとした口を塞がれ、泣きそうになっていた時、彼が現れた。
「乱暴とは頂けんな。」
その場の雰囲気とは合わない、明るい人だった。あっという間に男達を倒して、男は私に手を差し伸べた。
「君、大丈夫だったか?」
その手を取った時、助けられたのだと実感した。ありがとうございます。とお礼を言い、なにか返せないかと少ないけれど持っていたお金を渡そうとするけれど、男は受け取ってはくれなかった。代わりに宿を探しているらしく、いい所を知らないかと聞かれる。だから直ぐに自分の働く宿を紹介した。
宿泊費は私のお給金からだして下さいと女将さんにお願いして、連れてきたばかりの男を部屋に通す。
「そういえば名乗っていなかったな。俺は煉獄、煉獄杏寿郎だ。」
「煉獄、杏寿郎さまですね。私は」
名前を名乗ろうとすると女将さんに呼ばれてしまう。そうだ。仕事中だったのだ。
「今日は本当にありがとうございます。宿とお食事のお金は私が払いますので、お礼と思ってお受け取りください。」
それだけ言うと急いで仕事に戻る。やってしまった。仕事中だったのに、私用を優先してしまった。女将さんに謝って、恩人だという話をする。お金もお給金から引いてくださいとお願いした。

次の日の朝、彼は宿を出ていった。けれど宿泊費などは全て自分で支払って行かれた。宿を教えてくれただけで十分だと言付けを残して。
なんと優しい人だろうか。煉獄杏寿郎さま。きっともう会うことは無いだろうけど、素敵な人だった。

そう思っていたのに彼は再び現れた。夜にお店の前の掃除をしていると、肩をポンポンと叩かれて、振り返ると彼がいた。
「煉獄杏寿郎さま!!」
「うむ、長いな。杏寿郎で良い。」
彼はこの近くで仕事をする機会がまた合ったらしく、夜も遅くなり、どこに泊まろうかと悩んだ時に此処を思い出してくれたらしい。
直ぐに部屋に案内して、お食事を準備する。私にも食べるか?と聞かれていえいえ、これは杏寿郎さまのですから!と断ると不服そうな顔をされた。
けどご飯を食べるとうまい!と言ってくださる。お顔もいつもの様に明るくなった。
よかった。お口に合ってた。言ってもいいだろうか?これは私が作ったのだと。そう言いたかった。けれど、本当に美味しそうに食べてくれている顔を見たら、そんなことを言う必要なかった。変な気を使わせるのは嫌だ。褒めてもらいたいなど、浅ましい考えだ。
「それではそろそろ仕事に戻りますね。ごゆるりとお寛ぎください。」
「ありがとう。」
部屋を出ていつもの様に仕事に戻る。朝早く出かけてしまう彼を私は見送ることが出来ない。だから会えるのはこの夜の間だけ。次はないかもしれない。けど、またもし次があれば嬉しいな。

次の日も杏寿郎さまは朝早くに帰られた。けれど、一枚の手紙を置いていってくれていた。
『また来る。』
たったそれだけの言葉。それでも泣きそうになるくらい嬉しかった。私は杏寿郎さんが来るのを毎晩待ち続けた。
何度か会ううちに休憩時間は一緒にお喋りするようになった。杏寿郎さまのお話はとても面白い。仕事で色々なところに行くらしくて、その土地の面白かったことを話してくれる。
「君はなんでずっと夜に働いているんだ?」
「それは、私の持ち主の命令なんです。」
「持ち主?」
「私は人にお金で買われた人間です。なので主の命令は絶対なんです。」
「すまん。知らぬとはいえ、失礼なことを。」
「気にしないでください。私もあまり気にしてませんので。」
私の言葉に杏寿郎さまは驚いた顔をした。それもそうだろう。買われたというからにはそれなりの扱いをされる。私だって辛いことがなかった訳じゃない。
「主さまはたまにしか来ません。その時に言いつけを守っていれば罰せられることも、意味もなく傷つけられることもありません。普段は普通の人として働いています。」
「言い付けとは、夜に働くということか?」
「正確にはお日様を見ないこと。深い付き合いになる友人を作らないこと。この宿からあまり出ないこと。」
たったそれだけのこと。確かにお日様はもう何年も見ていない。けれどお月様だって負けてない。友達はいないけれど、今は杏寿郎さまがいる。宿の外は殆ど知らない。けど、泊まりに来た人から聞くお話があるから私には十分だ。
「辛くはないか。」
「いいえ、幸せですよ。だって、そのおかげで杏寿郎さまにもお会い出来ましたから。」
杏寿郎さまの顔が少し歪んでしまう。悲しそうな顔をするから、大丈夫ですよと頭を撫でた。その手をグイッと引っ張られて、あっという間に杏寿郎さまの腕の中に入ってしまった。
私の背中に回った手は、優しかった。彼は何も言わなかった。言わなくていいのだ。何も言葉なんて要らない。私は、今この時間が全てなのだから。
それから杏寿郎さまは必ず月に一度は訪れるようになった。あまり頻繁に来すぎると君の主に怒られかねないから自制していると言われたけれど、月に一度、必ず会えるなんて幸せが過ぎる。
いつしか、杏寿郎さまを私の部屋に通すようになった。部屋にちょこちょこと置いてある折り紙を見て彼は好きなのかと私に聞いた。それは杏寿郎さまと出会うまでしていた趣味のようなものだと伝えた。
「一枚、俺にも何か折ってくれないか?」
「わかりました。」
何にしようか悩んでる振りをする。決めてるの。本当はずっと前から。丁寧に丁寧、心を込めて一つ一つ折り目をつけて行く。そして小さな女の子の形を折った。杏寿郎さまに見せると上手だと褒めてくださる。
ちょっと待っててくださいねと言って部屋を出て、女将さんにお願いして小さな布袋を貰った。部屋までの戻る道、誰も居ないのを確認してから指を素早く紙で切って折り紙に血をつける。
バレないように内側に付けた。きっと大丈夫。布袋に女の子の折り紙をしまって部屋に戻る。
「お守りです。肌身離さず持っていてくださいね。きっと、私の代わりに悪いことから守ってくれますから。」
「わかった。君だと思って大事に持っていよう。」
彼が懐にしまってくれるのを見届けてそろそろ仕事に戻らなければといい、また部屋を出る。どうか、あのお守が捨てられませんように。
杏寿郎さまがいらっしゃらないとある夜のこと、私を訪ねて、一人の男がやって来た。その男は私に変化がないかと尋ね、私が変わりないと答えたら赤い液体が入った小さな瓶を渡してすぐに去っていく。目に参の数字が刻まれていた。
杏寿郎さまはいつも突然やって来る。そしていつも私を驚かせてくれる。
今日は一本の花を持ってやって来て土産だと言って渡してくださる。そのお花は黄色くて大きなお花だった。
「【向日葵】という花だ。初めてか?」
「初めてです。大きくて、綺麗で、まるで杏寿郎さまみたいですね。」
「今は下を向いているが、その花は太陽に向かって花を咲かせるそうだ。」
「ますます杏寿郎さまみたいですね。では、部屋の前に飾ります。」
「俺は自分がそんなに可愛らしいとは思わんが。」
「可愛らしさも似てますが、まるで太陽のような形なのも、陽の光が似合うのも、そっくりでございます。」
「うむ。わからん。」
本当に分からないらしく、まだ悩ましげな顔をしている。そんな杏寿郎さまに正座をして、自分の膝をとんとんと叩いて見せるとすぐさまそこに頭を乗せてくれる所が本当に可愛いのだ。優しく頭を撫でてお疲れ様ですと労る。
今日も生きて帰ってきてくださりありがとうございます。怪我もなく、貴方がここに居てくださることが何よりも幸せです。
「杏寿郎さま。」
「なんだ?」
「何時までも、この時間が続けばいいのにと思いました。」
「そうか。」
俺もだとは言ってくれなくていい。許されないのは分かっている。それでも今だけはこの時間を大切にしたい。今だけは。私は一人の『女』で居させてほしい。

最近、烏がよくいる。私を見張るように、木に止まっていた。もう潮時なのかもしれない。これ以上は彼に迷惑を掛けてしまう。
一枚の紙に手紙を書いてそれを鶴の形に折って、一滴自分の血を垂らす。
「行って、あの方の所まで。」
外を飛んでいく折り鶴を見届けて仕事を再開する。無事に届いただろうか。届いてくれてるといいのだけれど。夜にしか飛べない、私の鳥。
考え事をしていたせいかあっという間に夜は過ぎていく。そろそろ寝なければ。
お日様が少しだけ顔を出す。眩しいそれを私は直視することは出来ない。私は太陽に嫌われてしまったから。
光を避けるように部屋の奥に入ろうとした時、お腹に異変を感じる。そこがポッカリと無くなったような感覚を感じたのだ。ぐっと歯をくいしばる。これは私の血気術だ。発動してしまったのだ。これは本来杏寿郎さまが受けた傷。
あまりの痛みに思わず声が出てしまう。その場に倒れ込みお腹を抑える。ああ、ダメだ。鬼になったから死なない体になったとはいえ痛みはある。それにこの傷は大きすぎる。人間を食べたことの無い私はこの傷を治せる力はない。
いつもあの方から頂いた少量の血と寝ることで私は私を保っていた。それはあの方が私の血気術に興味を持ち、大事にして下さったから。襲われることの無い、襲うことの無い世界で生きてこられた。
けれど、この傷を治すにはもう人を食べなければならない。生きるためには人を殺さなければ行けない。死にたくない。死にたくない。私はまだ、死にたくない。

その時、外に飾っていた向日葵の花が目に入った。そう。それは杏寿郎さまがくださったお花だ。死にたくない。死にたくないけれど。

「杏寿郎さま」

杏寿郎さまはあの日の下で生きる人。私とは違う。杏寿郎さまにはあの光がとても似合う。
「鬼の私など、不釣り合いでございましょう。」
それでも私は貴方に恋をしたのです。一度として人して生きることも出来ず、ものとしてあの方に売られ、興味ある物としてここに囲われ、ずっと物でしかなかった私を、貴方が人のように扱ってくださるから。勘違いをしてしまった。私も、いつかは人のように生きれるんじゃないかと。
人になりたい。彼と釣り合うようになりたいから。だから、人を殺して本当の意味で鬼になりたくない。
震える手で向日葵に手を伸ばす。向日葵はそんな私を無視するように陽の光に顔を向ける。ああ、やっぱり、私には叶わない想いだけど。
「だいすきです、きょうじゅう、ろう、さま」
身体がどんどんチリにになって行くのを感じながら目を閉じた。私の鳥はきっと届かない。それでいい、それが正しい。どうか私の事など、忘れてください。だって貴方は太陽が良く似合うお人だから。
消える寸前、やっと向日葵に触れることが出来た。




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