師匠は僕のことを一体何だと思ってるんだろう。安宿の硬いベッドの上で目を覚ました時、部屋には僕ひとりしかいなかった。一瞬まさかと疑ったけど、無造作に置かれた彼の大きな鞄を見て安心した。置いて行かれてはないみたいだ。テーブルに乱雑な字で高いお酒の名が羅列されたメモがあった。これでまた生活が厳しくなる。どうにかやりくりして、もっとイカサマの腕を磨かないとなあ、と考えながらリボンタイを結ぶ。そうして僕は朝からお酒を買うために外に出た。空は重く陰る、肌寒いある日の話。


愛と少年と


 目当ての物を全て買い終えると、ぽつりぽつりと雨が降りだした。タイミングよすぎだ。ここから宿まで少し距離がある。どこかで雨が止むのを待つか、このまま急いで帰るか。傘を買うという選択肢は借金まみれの僕にはない。もしも師匠が僕より先に宿に戻っていた場合、早く帰ってお酒を渡さなければひどい目に遭わされるに決まってる。生憎すぐに止みそうもない雨に小さく溜め息を吐いた。仕方なく宿への道を進む。雨足が強まってきていた。

 宿に着く頃には石畳の地面が水浸しで、当たり前だけど僕もずぶ濡れだった。酒瓶のせいで思ったように走れず、僕はまた小さく溜め息をひとつ。歩く度にぐちょぐちょ音を立てる靴が気持ち悪い。部屋のドアを開けると、真っ赤な髪の色が一番に目に入った。雨宿りを選ばなかった僕を心の中で誉めてから声を掛ける。

「戻ってたんですね、おかえりなさい」

 師匠は僕を一瞥して椅子から立ち上がりずんずん近づいて来た。

「あの、すみません。お酒濡らしちゃって」
「まったくだ」

 お酒の入った袋を引ったくるように奪って僕の手首を掴むと、そのままシャワールームへ乱暴に押し込んだ。何も言わずに扉を閉められて、僕はいそいそと服を脱いだ。汚いからシャワーを浴びろという命令だと思う。ちょうどいい温度のお湯をかぶりながら、借金の一桁まで計算する。それを終えてシャワーのコックを閉めたところで替えの服もタオルも持たずに入ったことを後悔した。びしょびしょのまま扉を半分ほど開け、「あの…」と控え目に声に出した。

「目の前の棚」
「あ、はい」

 僕が買ってきたお酒を飲んでいる師匠の機嫌は悪くないらしい。僕は棚からタオルを取り、体を適当に拭いてからそれを腰に巻いた。着替えを探してとりあえず下着とズボンだけ穿くと、師匠にクツクツと笑われた。

「今さらタオルで隠すこともないだろう」
「そういう問題じゃないんです」

 師匠は僕のことを一体何だと思ってるんだろう。拾ったガキを弟子にして、しかし便宜上そう呼んでいる感じだし。実際はまるで召し使いのように僕を扱い、気まぐれか知らないけどセックスの相手だってさせられる。愛してるとか、そういうあからさまな言葉を向けられたことは一度もない。僕を愛してると言ってくれたのは、世界でただ一人マナだけだ。ならばそのセックスは単なる性欲処理なのか、僕はまったく愛されていないのかと考えてみれば、肯定できない。師匠は女の人にはまったく困っていないからわざわざ僕なんかを使って処理する必要はない。それに何だかんだといいつつも僕を傍に置いてくれている。師匠に僕は大きな利益をもたらすわけでもないというのに。これが愛されていないと言えるのか。答えはきっと、ノーだ。

「拭けてないじゃねぇか」
「え、うわっ」

 師匠はタオルで僕の髪の毛をガシガシと拭いてくれた。痛いくらいの力だけど、どこか優しさがある。というより師匠が僕の髪の毛を拭いている時点でおかしい。これは、優しすぎる。普段がああだから違和感倍増だ。時折見えるこういう優しさに僕は戸惑う。いっそ徹底的にひどく扱ってくれれば僕はこの人を大嫌いになれるのに。

「濡れると分かっていながら雨の中帰ってくるとはな」
「お酒が遅いと師匠に怒られますから」
「ま、その通りだ」

 僕の髪の毛を散々乱して気が済んだのか師匠は僕から離れて、椅子に座りお酒の入ったグラスを傾けた。暫くその様子を黙って見ていたけど、タオルを床に落として今度は僕から近づいた。

「師匠にとって、僕って何ですか?」

 鋭い目付きで射抜かれたかと思えば、突然足を払われて僕は見事に尻餅をついた。痛いと抗議する前に師匠が僕の上に覆い被さってきて、板張りの床に完全に押し倒されてしまった。何も纏っていない上半身が鳥肌をたてた。

「俺がお前を、何だと思ってるかって?」

 キスされるって気づいたけど、僕は顔を背けなかった。静かに重ねられた唇は、存外すぐに離れていく。ああ、お酒くさい。

「馬鹿弟子に決まってるだろ」

 もう一度されたキスは、より深く熱いもの。このままセックスする流れだろうな。困った、僕はあなたとのセックスが好きじゃないんですよ。だって愛してるなんて言葉よりもずっと愛を感じてしまうから。徐々にふやけていく思考の中、僕はただ師匠からの愛をどこか片隅で恐れつつ、口から出そうになる愛の言葉を何度も飲み込んだ。言ったら負けだと、僕は知ってる。




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