あの狭い檻の中で、俺たちはただひたすら自由を求めた。自由ばかりに目を奪われて、結局この手に掴めたものなんて矮小で惨めな俺の命だけだった。


俺が絶対に守りたかったたった二つのもの


 毎日美味しいのか不味いのか分からない料理を食べ、何が正しくて何が間違ってるのか分からない"型落ち"の殺戮を繰り返した。ここ以外知らないから比べようがないけど、きっと"外"は素晴らしい世界なんだろうなと思いを馳せる。首輪の違和感を忘れた頃、俺も"型落ち"のひとつになっているんだろうか。無感情に引き金を引く。むせ返るような血臭の中、遠くですすり泣く声と歌うような声が聞こえた。この二つの声だけは絶対に聞き逃しはしない。

「やめろリリィ!」

 誰かが悲痛に叫ぶ、また、か。暴走したリリィの元へと走る。アーサーの首に手を伸ばして締め上げながら無邪気に笑っているのが見えた。リリィは最近特に不安定で、日に日に暴走が深刻化している。俺はリリィとアーサーの間に入り、彼女の肩を爪が食い込むほど強く掴んだ。自分の手が返り血で真っ赤に染まりぬるついていることには、とっくの昔に慣れてしまった。そのまま床へ押し付けて覆い被さると、リリィの指が容赦なく俺の腕を抉る。

「リリィ、大丈夫だ。目を開けろ、何も怖くなんてない」

 理性を失った瞳に、光が宿る。途端リリィはただのか弱い存在になって、この状況に酷く怯えた表情を見せた。

「ハイネ…こわい、よ」

 俺の腕から指を離すと、血の滴る自分の手を見て絶望したように嘆く。

「もう分かんないよ。真っ暗になっちゃって、次に目を開けたときは真っ赤で…だから目を開けるの、こわいよ……」

 震える彼女の額に己の額を優しく当て、柔らかな髪に指を通す。

「俺が、ついてる。お前を一人になんてしない」

 リリィは少し落ち着いたようで、曖昧に笑ってみせた。後は他の奴に任せて大丈夫だろうと、俺は部屋の隅へ向かう。壁に背を預け自分の体を抱き締めるように小さく丸くなって座っているソレ。誰よりも弱くて、泣き虫で、臆病なジョヴァンニ。

「おい」

 声を掛けると大袈裟に肩を揺らしてゆっくりと顔を上げた。長い前髪がいつ見ても鬱陶しい。ジョヴァンニの向かいにしゃがみその前髪を掻き上げてやると、瞳からポロポロと涙が溢れ続けていた。

「ハ、イネ…」
「何泣いてんだよ。もう全部終わった」
「……どうして、」

 ジョヴァンニの涙は透き通ってキラキラ光り、俺の穢さが一層際立つようだった。

「どうしてぼ、僕は、何もできないんだろう、どうし、て…僕は、こんなに」
「泣き止めよ」

 人が涙を流しているのは苦手だ、涙そのものがあまり好きじゃない。俺は泣いたことがないから得体の知れないその液体が怖いのかもしれない。流れ続ける涙を止める方法を、俺はひとつしか思い付かなかった。自分の唇を、ジョヴァンニの唇に重ねた。重ねた、というより押し付けた、寧ろぶつけたの方が正しいだろう。ジョヴァンニは唖然と俺を見つめた、涙はもう流れていない。

「…俺がお前を守ってやるから」
「そっ、そんな、足手まといじゃないか、」
「イイんだよ、お前はただ俺の傍を離れるな。分かったか?」

 ジョヴァンニが頷く、前髪がさらりと垂れて色白の顔を半分隠した。

「ハイネも、いなくなったり、し、しないでね」
「分かってる。ほら、食堂行こーぜ」

 これだけ気持ち悪い血だとか肉片を見た後でも、平気で食事ができるようになってしまった。戦闘服から着替えて、顔と手を洗ったら全く気にならない。体に染み付いた血の臭いさえ今では当たり前のことだ。

「ハイネ」

 半歩後ろを歩くジョヴァンニが、控えめに俺の服の裾を掴んだ。目線だけで返事をすると、ジョヴァンニはいつものように口をもごもごさせながら俯いた。

「何だよ」
「…」
「言えよ、怒んねぇから」
「さ、さっきの…」

 引っ掛かりながらも言葉を紡ぐ姿を見て、やっぱ守ってやんねーとなって改めて思った。

「僕を泣き止ませたやつ、も、もっかいしてほしい、な」

 さっきの?口同士をぶつけた、あれか。キス、だっけ、知ってる気がする。ジョヴァンニとリリィがハナを見たことないのに知ってるように、俺はキスを知っていた。

「あれ、落ち着く、から」

 ジョヴァンニの身長に合わせるために少しだけ身を屈める。俺より小さくて、細くて、弱っちいジョヴァンニ。俺はさっきより優しく唇を重ねた。絶対に守ってやるんだって、そのとき強く誓った。二人を自由にするために、力がほしかった。そうしてその何日後か、傍にいると言ったのに俺がジョヴァンニから、みんなから離れてしまった。そんなつもりじゃなかったのに。きっと、大切なものから目を離すべきではなかった。結局俺はリリィを殺してジョヴァンニを檻の中に置き去りにし、たった一人で"外"に出た。自由にもなれていない、未だ忌々しい首輪は着けられたままだ。

「…ジョヴァンニ」

 静かな教会に俺の声がやけに響いた。隣に座っていたニルが不思議そうに俺を見ていた。目を瞑っていたら、少し眠ってしまったらしい。ここ数日、バドーがいろいろ引っ掻き回したせいで後始末がハードだったからさすがに疲れが溜まっていたのかもしれない。驚異的な再生能力を持ってはいるが、疲労を知らない肉体ではない。ニルの頭をぽんと叩き、何でもないと伝える。ジョヴァンニは、今も魔女の元にいるんだろうか。生きてるのか死んでるのか、すっかり飼い慣らされてるかも。なんでもいい、どうだっていい。気にしたって無意味だ。ああ、でも、ジョヴァンニが魔女の狗になっているならいつか会うことがあるかもしれない、銃を向け合う日が、来るかもしれない。もしそうなった時には何の躊躇いもなく、鉛玉をいくつもお見舞いしてやろう。どうせ死ねないんだ、だったら楽しむしかないじゃないか。再開の日を夢見ながら、俺は欠伸を噛み殺した。




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