※社会人
鬼道くんとずっと一緒にいられないことは分かっていた。どんなに好き合ったって俺たちにはいつか終わりが来る。神様は見過ごしたりなんかしないから。案の定、鬼道くんは良い奥さんをもらってかわいい子供まで授かった。子供を自慢する鬼道くんはとても嬉しそうだったし、奥さんを大事にしている。それなのに鬼道くんは俺を手放そうとしなかった。
「うわ、ほんとに来たのかよ」
「迷惑だったか?」
「べっつにー」
"今日お前の家に行く"というメールをもらったその日の夜、鬼道くんが缶ビールを何本か携えてやって来た。会うのは二週間ぶりくらいか。
「さすが鬼道くん、気が利くじゃん?」
「つまみはないぞ」
脱ぎ散らかしたままだった服をクローゼットに仕舞って、下品な笑いが耳につくテレビを消した。鬼道くんが定位置に座り部屋を見渡す。
「彼女と別れたのか?」
「…鬼道くんエスパー?」
「部屋を見れば雰囲気で分かる」
鬼道くんと違って俺には奥さんどころか彼女すらいない。まだ二十代の折り返しだからそんなに焦ってないけど、俺はなんとなく結婚できない気がしてきていた。縁がないわけじゃねぇけど、どんな女と付き合っても満たされないっつうか、つまりまぁ。
「俺にはどーしても鬼道くんが一番だから」
言葉にしてすぐ後悔した。今のひとことは鬼道くんを責める言葉でしかない、たとえそんな意図がなくとも。
「…すまん、」
「鬼道くんは悪くねぇよ。つまみ、ニラたまでいいか?」
「ああ」
さっさと適当にニラたまを焼いて半熟になったところで一口大に切り皿に盛る。その間鬼道くんは酒を飲むでもなくテレビを点けるでもなくただぼうっとしていた。
「はい、どぉぞ」
「いただきます」
鬼道くんは律儀に両手を合わせてからニラたまを一切れ食べ、缶ビールのプルタブを開けた。プシュッと小気味良い音を立てた缶に口を付け喉に流し込んだ。
「ん、今日奥さんは?」
「子供を連れて実家。…別にケンカしたわけじゃないぞ」
「ならいーけど」
俺もビールを開けてごくりと飲んだ。あー旨い、生き返る。
「じゃあ泊まってく?」
「折角だからそうするか。…明日は会議があるから早朝に勝手に出ていく」
また俺の知らない内にいなくなってしまうのか。仕事があるから仕方ないのは分かってる。だけどどうしても、温もりを与えられた後の喪失感には慣れない。
「そんな顔をするな」
鬼道くんは困ったように笑いながら俺の頭を撫でた。俺はその手を掴み掌にキスをした。たしかキスする場所によって意味が違うらしいが、掌は一体なんだったか。
「…不動、俺は」
「言わなくていい」
「俺は×××のことも子供のことも勿論愛してる。だけどお前のことも、」
それ以上言わないように俺は自らの口で鬼道くんの唇を塞いだ。その言葉は俺ではなく鬼道くんを苦しめる。唇を離すと鬼道くんは今にも泣きそうな顔をしていた。
「分かってるから」
俺が鬼道くんから離れるべきなんだと思う。鬼道くんは馬鹿みたいに優しいから俺の手を今さら離すことはきっとできやしない。だから俺から関係を断つべきなのに。頭では理解していながら手を離さない俺はずるい、本当に。どこで間違ったのか、どこで引き返すべきだったのか今となってはもう分からない。気づいたらもう戻れなくなっていた、その温もりを手放せなかった。道徳だとか秩序だとか条理なんて考えてられない。
「俺も鬼道くんを愛してるよ」
そう、 結局はただ愛してるだけなんだ、どうしようもない程に。