これの続き


 不動と暮らし始めて数週間したある日、突然不動はいなくなった。驚いている自分の中に、どこか納得している自分もいて。最近あいつは居心地悪そうに苦笑うことがあったが、私の思い過ごしではなかったようだ。あまり多くはない不動の荷物はすっかりなくなっていて、ただ食器類だけは残されているのが変に息苦しく感じた。



 嬉しかったし、楽しくもあった。道也たちとの生活はまるで家族と一緒にいるみたいで、その"家族"ってのは俺の知ってる"家族"とは随分違うものだったけど。毎日冬花と登校してはからかわれ、休み時間ごとに円堂やらが机に集まってきて煩くて。道也に雷門中に編入届けを出したと言われたときはぶん殴ろうかと本気で思ったけど、そう悪いものでもなかった。だけど、何て言うか、やっぱり違った。こういう生活は性に合わなくて、いつの間にか居づらくなってる自分がいた。そんな自分が嫌で荷物を適当に鞄に詰め込んで家を出た。前に一度礼は言ったが、何も言わずに出て行くのは少々心苦しかった。

 当然行く宛なんかなくて、結局俺が行き着いた先は実家だった。自分から出て行って二度と帰ってくるかと思ったのに、俺にはここ以外帰る場所なんてない。ドアノブを回すと鍵が掛かっていて、俺は玄関脇に裏返して置いてある植木鉢を持ち上げた。鍵はいつもこの下に隠しておくからと小さい頃に教えられて、今でも変わらずそこに鍵があったことに安心している自分に笑えた。鍵を開けて家に入ると懐かしい匂いがした。母さんの靴はなかった。

「た…、お邪魔、します」

 ただいまと言おうとして、そんなことを口にする資格はないと思い直した。リビングは俺が出て行った時とあまり変わっていなかった。当たり前か、何十年も経ったわけじゃないんだから。鞄を放り出して寝転がってみると、今まで反発していたことが馬鹿みたいに思えた。クソ親父は出て行ってしまったんだから、母さんを一人にするべきじゃなかったのに。

「……ただいま」

 小さく呟くと心がふっと軽くなった。俺の帰る場所はきっとここだったんだ。

「明王…?」

 名前を呼ばれて慌てて体を起こした。母さんだった、よく分かんねぇけど少しだけ気恥ずかしい。母さんは買い物から帰ってきたようで、冷蔵庫に食べ物を入れ始めた。

「見たわよサッカー。頑張ってたのね、知らなかった」
「…言ってなかったからな」
「世界一になったんでしょ?すごいじゃない」
「俺はあんま試合出てないけど」
「でも日本代表じゃない、すごいわよ」

 サッカーなんて意味がない、社会で上を目指すためには必要ないって言われてきたから誉められたことが単純に嬉しかった。

「あ、おかえり明王」
「……おう」

 にこりと笑った母さんの顔は久し振りに見た、昔は笑うゆとりさえなかったからな。

「…俺、バイトする」
「中学は?」
「ちゃんと行くけど高校は行かない、就職して母さん養う」
「簡単じゃないわよ?でも、明王がしたいならそうしなさい」

 中学は家から近いとこに変えよ、またひとりになるけど俺は全部一からやり直したかった。これからどうなるかなんて分からない、それで良い、それが良い。

「そういえば、今までどこにいたの?」
「……好きな人のとこ」



 不動がいなくなって四ヶ月経っただろうか、冬花との二人暮らしに慣れだした頃だ。車に乗っていてガソリンが残り少ないことに気づきスタンドに立ち寄った。車を止めて窓を開けエンジンを切ると、店員が駆け寄ってきた。

「いらっしゃいませ!」

 その声に、顔に、俺は目を見開いた。不動だ、間違いなくそれは不動だった。

「…レギュラー満タンで」
「はい」

 不動は白を切るようだ、私はそうはしたくない。これでも心配したんだ。

「車内にゴミはございますか?」
「いや」
「窓をお拭きしてもよろしいでしょうか?」
「明王、」

 普段はあまり呼ぶことのなかった名を呼べば、罰が悪そうに笑った。

「折角知らん振りしようとしたのに」
「できるわけないだろう。今どこに住んでるんだ」
「実家だよ。……あ、転校したぜ」
「冬花から聞いた、何故だ?」
「だって俺、雷門の制服ちょー似合わねぇもん」

 ふざけたように笑って、ガソリンが入り終わったようで栓を閉めに行く。安心した、不動はそれなりに楽しく生きているみたいだった。私はもう、必要ないらしい。

「キャッシュ?カード?」
「カードで」
「はーい」

 慣れたようにカードを受け取り精算機へ向かう。中学生をバイトに雇うなんてあり得ないから、おそらく年齢を誤魔化したんだろう。

「ほい、カードとレシートとクーポン券」
「よくその髪で雇ってもらえたな」
「今伸ばし中ー。ちょっとしたコネで」
「そうか…頑張れよ」

 次の客が待っているから名残惜しいがエンジンをかけ窓を閉める。

「道也のこと好きだったよ」

窓が閉まる直前にそんな言葉が聞こえた気がした。不動を見ればすっかり営業の顔に戻っていて、私はアクセルを踏んだ。

「これから先も、たぶんずっと好きだ」

 不動がそう呟いたことなど知らずに私はガソリンスタンドを後にした。レシートの裏に汚く書かれた"今までありがと"の文字に気付くのは数日してからだった。




×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -