※年齢操作
目が覚めた時、自分がどこにいるのかすぐには理解できなかった。周りを見渡して病院だと気付く、だがどうして自分が病院のベッドの上に寝ているのか分からない。自分の名前が不動明王だということしか思い出せなかった。
"記憶喪失"だと医者は言った。今までの人生ほぼ全て無くしてしまったらしい。人との繋がりがなくなったわけだ。記憶というものは小さなきっかけで戻ることがあると教えられて、俺はそれを適当に流して聞いていた。別に何とも思わなかった。自分の名前は覚えていたし、一人で生活するくらいの知識はある。交友関係はまた一からやり直せばいい、たったそれだけのこと。俺はバイクで事故ったらしく、轢き逃げってやつ。まあ死ななくてよかったと思う、その程度だ。
二、三日して見舞いに来た人間がいた。それは背の高い男で、ひどく情けない顔をしていた。
「不動!不動、よかった…よかった、生きてた……」
今までは俺の混乱を防ぐために面会謝絶になっていたが、そんなことしなくても誰かが面会に来るとは思えなかった。何となく自分がどういう性格なのかは分かっていたからだ。友好関係なんて無に等しいと思っていた。
「お前が事故に遭ったって聞いて、俺、もう…どうしようかと、」
こいつは、誰なんだろうか。たぶん俺が記憶喪失だってこと知らないんだろうな。随分と心配してくれてるみてぇだけど、家族か、親友か、何も思い出せない。何ひとつ思い出せない。
「体調は?起きていて平気なのか?」
「……あ、のさ」
「ん?」
俺の安否を確認して安心したように笑った男を、俺は知らない。少しだけ、さすがに罪悪感が募る。
「…あんた誰だ?俺の何?」
「え……どういう意味だ?」
「や、その…俺、記憶なくてさ」
男は一瞬息を呑んで、そうかそうかと呟きながら俯いた。そのうち鼻をすする音が聞こえてきて、泣いているのが分かった。人に忘れられるのって、やっぱ泣くほどきついのか。
「不動、そうか…、俺、お前と一緒に住んでるんだ」
男と同居かよ、色気なさすぎるだろ。もしかしたら美人の彼女でもいるかと期待してたが、望み薄みたいだな。
「餃子の皮、俺が買い忘れてさぁ。餃子作るつもりだったのに。それで、別のメニューにしようと思って。…そしたら、不動がな、買ってきてやるって、餃子食べたいって」
その時どうしてか俺は、目頭が熱くなるのを感じた。俺はもしかして、一番忘れちゃいけない人を忘れたんじゃないだろうか。
「それで、それで、…俺が行かせなきゃよかったんだよな。不動、ごめん、痛かったろ?ごめん、俺の、所為で、ごめん不動……ごめん、ごめんな」
何度も何度も謝られて、俺は呆然としていた。下らねぇこと言うなって言いたかったけど、そんなことより俺はこいつの名前を呼びたくてたまらなかった。呼びたくて、だけど呼べなくて、俺は泣かないように奥歯を噛み締めることしかできず、男はただ謝り続けた。頼むから泣くな、笑ってくれ、さっきみたいに。そしたら思い出せる気がするんだ。なあ 、笑えよバカヤロウ。