※影山生きてる未来編


 真っ白な病院の一室、扉の横には"影山零治様"と几帳面な字で書かれたプレートが掲げられている。この中に本当にあの人がいるのかと思うと、途端に足が竦んだ。FFIの後、行方知れずになってしまったこの人とは一切連絡を取っていなかった。取れなかったと言った方が正しいかもしれない。ただ、風の噂で小さなサッカークラブの監督をしているだの、まだ刑務所にいるだのと、真偽の分からない話を小耳に挟むことはあった。何となく、あの人のことだから何処かで生きているんだろうとは思っていた。

 そして今日、久々に雷雷軒を訪れてみれば響木さんが厨房に立っていて、俺は飛鷹が店を手伝っていると聞いていたからてっきり響木さんのラーメンは食べられないと予想していた。"まだ店を譲るほど老いぼれちゃいない"と言った彼に奢っていただいたラーメンの味はまったく変わっていなかった。思い出話にひとしきり花を咲かせ、鉄塔広場に寄って帰るかと腰を上げれば、"影山が稲妻町の病院に入院している"と教えてくれた。"あまり長くないらしい、行ってやれ"。その言葉を聞き俺は混乱しながら礼を言って、結局頭の整理がつかない内に病室の前に辿り着いてしまった。

 いつまでもここに立っているわけにもいかず、俺は扉を二度ノックした。

「どうぞ」

 彼の口から"どうぞ"なんて、少し可笑しさを感じながら静かに扉をスライドさせる。当たり前だがそこには、影山零治がいた。半身を起こして本を読んでいる姿は少し痩せたようにも見えるが、昔とあまり変わっていない。髪は黒に戻っていて、その目をいつも隠していたサングラスが今はないだけだった。声を掛けられないことを不思議に思ったのか総帥は本から視線を上げ、そこに立っているのが俺と分かると鋭い目を大きく見開いた。あなたのそんな顔を拝める日が来るとは思ってもいませんでしたよ。

「お久し振りです、影山総帥」
「鬼道、か」
「はい」

 総帥は小さく笑うと(こういう笑顔を見るのは二度目だ)、読みかけの本をぱたりと閉じた。俺はベッドの横の丸いすに座り、何と切り出そうかと思い悩んでいた。言いたいことは山ほどあったはずなのに、こういう時に限って一つも思い出せなくなる。

「…元気にしていたか」
「は、はい」

 総帥が先に口を開いたことに驚いて少しどもってしまった。未だにこの人と話すのは緊張するな。

「いくつになった」
「21です」
「もうそんなにか」
「はい」
「今は何をしている」
「大学に行きつつ、父の仕事を手伝っています」
「サッカーは」
「たまに円堂がみんなを誘ってやってますが、最近はあまり」
「そうか」

 今日の総帥はえらく饒舌だ、こんなに質問されたのは初めてかもしれない。この人は基本多くを語らず必要最低限のことしか話さない人だったから。……いや、今思えば俺が話そうとしなかっただけかもしれない。もっとたくさん話していれば、より早くこの人を闇から救い出せたかもしれないのに。今更ながら後悔の念にかられて、俺は拳を強く握った。

「何故、私がここにいると?」
「響木さんから」
「あいつか、…息災にしているのか」
「ええ、お元気ですよ」
「フ、憎たらしい奴だ」
「…総帥に病院は似合いませんね」
「そうかもしれんな」

 あの総帥とこんな他愛もない会話をする日が来るなんて、夢にも思っていなかった。

「ゴーグルとマントはやめたようだな」
「はは、そうですね、さすがに」
「もう必要もないか」
「ちゃんと取ってありますよ、ゴーグルもマントも。ただ、俺には小さすぎるものになってしまいました」
「それもそうだ」

 俺は今やっと、影山零治という人間を見ることができている気がする。深い闇から抜け出した総帥との会話はひどく心地の良いもので、このまま時間が止まってしまえばいいと子供じみたことを願った。

「…総帥は、」
「その呼び方、懐かしいな」
「え?あ、そうですね」
「もう私はお前の総帥ではない」
「…いいえ、あなたはずっと、俺の総帥です」
「……そうか」

 上着のポケットに入れている携帯が震えた、しまった、電源を切るのを忘れていた。慌てて取り出すと父からの着信で、これは切れないなと思い総帥に一言謝って電話に出た。

「はい、もしもし。…ええ、はい。…え?……はい、分かりました。すぐに戻ります」

 それは簡潔に言えば"帰ってこい"という連絡で、俺は携帯をまたポケットに仕舞った。

「帰るのかね」
「はい、そろそろ」
「さっき、何か言いかけなかったか?」

 俺は総帥に聞きたいことがあった、次に再会する時には必ず聞きたいと思っていたことが。

「総帥は…サッカーがお好きですか?」

 答えは分かっている、だけどどうしても、俺は総帥の口から直接聞きたかった。

「…無論、何よりもな」

 良かった、やっと聞けた。俺は世界一のサッカー馬鹿と言っても過言ではないような人からサッカーを学んだんだ。世界一愛されたサッカーを学んだんだ。

「俺は、影山総帥のサッカーが何よりも好きです」
「…………」
「あの孤児院から俺を見つけて下さって、ありがとうございました」

 俺は立ち上がって一礼すると踵を返した。総帥と会うのは、これが最後のような気がする。もっと話していたかった、もっと伝えたいことがあった。でもそれらは、言葉にできないものばかりで。

「有人」

 扉を開けようと手を伸ばしたところで、初めて下の名を呼ばれた。俺が振り向くと総帥は笑っていた。

「私と出会ってくれて、ありがとう」

 俺は何も言えないままもう一度頭を下げ病室を出る。扉を閉めた瞬間に涙が溢れて止まらなくなった。拭っても拭っても意味がなくて、俺は声を押し殺して泣いた。喉と胸が焼けるように熱く、苦しい。ああ、こんなにも。

 影山総帥、俺は、俺はずっとあなたのことが。




×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -