月が二人を包み込む
「沖縄を出ることになった」
『…知ってる』
さっき、聞いた
腰まである烏の濡れ羽色の髪を邪魔にならないようにと横に一つに結んだ彼女は、渡久地に背中を向けたまま出しっぱなしにしていた道具を片付ける。
渡久地とのワンナウトで負傷した児島を手当てした残骸だ。
彼の玉が剛速球ではないとは言え、硬球が腕に当たれば怪我をするのは必至。
実際児島は病院に行くほどの大怪我ではなかったとは言え、彼女の触診だけで暫く試合には出れないと判断された。
念のために病院に行くように念を押したし、彼もプロだ。
自分の身体が資本なのだから、言われずとも病院には行くだろう。
痛みを抑えるための鎮痛剤が入っていた注射器を銀のトレイの上に置き、湿布のシートをゴミ箱へ。
忙しなく動いていた彼女はその動きを止めぬまま、渡久地に尋ねる。
『いつ、行くの』
「明日」
『あ、した…?』
いくらなんでも急過ぎないだろうか、と一瞬動きを止めたのを見計らったのか。
後ろから温もりに包まれ、いつもの煙草の香りが香る。
腰に回されていない方の手はするりと彼女の髪を結っていたゴムを外し、ぽとりと床に落とす。
一つにまとめられていたものが解かれて自由になった髪は、そのまま触れ続ける渡久地の手に弄ばれていた。
窓から差し込む月明かりにまるで濡れているかのように反射する黒髪。
それに目を細めた渡久地は、彼女の髪を指に絡めたままの手を前から肩に回した。
少しかがんで彼女の頭頂部に頬を乗せる。
「お前も行くんだよ」
『、ぇ…?』
「誰が置いてくっつった」
くつくつと笑っている声を耳が拾う。
これでは自分が置いていかれてしまうのではないかと言う不安から渡久地を振り返られずにいたことがばれてしまったいるようではないか。
いや、実際ばれているだろう。
他人の心が手に取るように分かる男なら、こんな至極単純な想い等。
「お前の分の準備はやっといたから」
『はっ?』
「ま、俺が買ってやったやつしか詰めてねぇけどな」
『それじゃ意味ないよ…』
「いいだろ?あんまり持ってっても移動が大変なだけだし」
それに、それの方が荷物になんだろ、と指差された先にはまだ片付けの終えていない医療用具たち。
渡久地の白く長い指を辿ってそれを視界に入れた彼女は、少し考えた。
置いていく気はさらさらないが、どれくらいの荷物になるだろうか。
『うん…でも詰めればケース1つ分くらいにはなると思う』
「ん、じゃあさっさと詰めちまえ」
そう言われると渡久地の腕の力が緩む。
が、彼女から離されることは無く、渡久地の手により肩を掴まれて向き合うような形に。
瞬間的に迫ってきた彼から逃れる術は無く、そのまま口付けられる。
最初は啄ばむ様だったそれが離れることは無く、まるで肉食獣が小動物を喰らうかのように貪りはじめ、彼女は苦しげに眉を顰めた。
暫く続けばガクガクと膝が笑い始め、自分の力で立つのがやっとな彼女を支えるように渡久地の腕が腰と後頭部に回される。
『っはぁっ…!』
「相変わらず体力無いな」
『う、るさい…』
どうして彼はヘビースモーカーなのにスタミナがあるのだろうか。
あれだけ吸っていれば今ので自分同様息が切れていてもおかしくないと言うのに。
平然としている彼を恨めしそうに睨んだ彼女に肩を竦め、渡久地は治療用の白いベッドに彼女を座らせるとその腕を解いた。
「ま、明日の準備もあるから今日はここまでにしとくか」
『…東亜』
「ん?」
する、と彼女の白磁の頬を滑った東亜の白い指。
どちらも同じ白なのに、温度差が感じられるのは何故なのだろう。
『…好き』
「……名前」
(食っていいの?)
(駄目、やだ。準備しなきゃ)
((向こう着いたらそっこうで食う))
((嫌な予感がする…))
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