小説 | ナノ


  まだ道は続いている



カラン、とグラスの中の氷が音を立てる。
東亜は彩川さんと、児島さんは事務の人と話があるらしく、カウンター席に座っているのは出口さんだけだった。
彼等が来るといつも少し賑やかなのだが、今日は3人だけでと予定を組んでいたらしく、出口さんだけのカウンター席は静かだった。
いや、むしろ店内には彼以外に客がいない。
マスターが間違いで、今日は休みだと他の客に伝えてしまった。
ここの手伝いをしている私は予定を知っていたから、今日は休みでないと東亜に伝えたら、今日行くといわれて。
マスターには、自分は奥にいるから自由に開けていて良いと伝えられた。
きっと彼は今日は出てこないだろう。


『どうかしましたか、出口さん』


「えっ、」


『疲れた顔を、していたので』


少し心配になる。
目の前にいる出口さんは、きっと本当に言いたいことは溜め込んでしまうタイプだと思う。
人を注意したりだとか、驚きだとか、喜びだとか、そういうことは表に出せるのに。
苦しいことや悲しいことは、全部自分の中にしまい込んで、全て自分で処理してしまおうとする。
東亜や児島さんのように目立った功績はないけれど、選手達からの信頼は厚い。
その頭の回転の速さから、東亜にもそれなりに信頼されている(と思う)。
周りの空気も読めるし、それを決して壊そうとはしない。
自分のことよりも仲間のことや、相手のことを優先させてしまうのだろう。


『いいんですよ、ここでは』


「、?」


『素のままで良いんです。ここは、そういうのを吐き出す場所ですから』


「名前ちゃん…」


きゅ、とグラスに付いた水滴をふき取る。
曇り一つなくなったグラスを棚に戻し彼を振り返れば、その瞳は僅かに揺れていて。
ふ、と少し困ったように細められた後、出口さんはウィスキーを全ての飲み干して机に突っ伏してしまった。
空になったそれを引きあげ、シンクに置く。


『何か飲みますか』


「…強いの」


『畏まりました』


酒が入ったほうが幾分か吐き出しやすいだろう。
幸い、東亜と児島さんは時間がかかるらしいから、2人が来る頃には全て吐き出し終わっているといい。
出口さんのお望みどおり、強めの酒を出す。


『サイドカーです』


グラスの足がテーブルを叩く音が響く。
もそりと起き上がった出口さんはそれを口に運び、「うまい、」と一言だけ告げた。
彼はそれほどお酒に強くない。
ここで飲んでいくときも、弱めのものばかり頼むし、強いものを頼んだとしても1杯から2杯程度にとどめる。
まじめだから、次の日に響かないようにと考えて飲んでいるのだろう。
サイドカーをちびちびと口にしながら、小さな声で吐き出し始めた。


「…渡久地が来てから、変わったよ。リカオンズは」


『、そうですか』


「最初は気に食わなかったんだ。いくら児島さんの推薦って言ったって、ふてぶてしいし、ベンチの中で煙草吸うし」


あれ、ベンチって禁煙だよね…?
というか、スポーツマンの近くで煙草吸うなんて…彼等はきっと吸っていないからあまり気分は良くないだろうに。
…今度注意しよう、うん。


「何か見下ろされてる気がしてなんねーしよ…ぁ、ごめん」


『大丈夫ですよ、気にしてません』


こちらを見上げて、申し訳なさそうな表情をする。
恋人のことを悪く言われて、気分が悪くなったのではと気遣ってくれたのだろう。
でも、私は誰にでも優しい東亜を好きになったわけじゃないから。
そう笑みを浮かべれば、出口さんは「ほんと、渡久地には勿体ねー…」と呟く。
最初に一人で店の中に入ってきたときよりは幾分か声色は明るくなっていた。


「でも、俺たちが忘れてた危機感とか、執着しなくちゃいけないことを思い出させてくれたりとか。あいつには色々教えられたよ」


確かに、東亜は大切なことを思い出させてくれるし、知らなかったら教えてくれる。
私が彼と会って間もない頃も、同じだった。
でも、それまで自分の知らない世界に突然突き落とされたようで、戸惑ったこともあった。
きっと出口さんも同じなのだろう。


「それと同時にさ、今までの俺たちは間違ってたのかなって、考えるようになったんだ」


練習をした、それでも試合に負ける。
そう少し苦しそうに吐き出した出口さんの目は、綺麗な海の色。


『…何が正しいのか、間違ってるのかなんてことは、本当は誰にも分からないと思います』


「、え?」


『でも、もし間違っていたのだと思うのなら、』


これからは


『正しいと思う方を、選べばいいんじゃないでしょうか』


「正しい、方…」


『間違ってしまうのは仕方ないことです。悪いのは、間違いを正そうとしないことだと私は思います』


「…はは、そっか」


うん、と何度か繰り返した出口さんは吹っ切れたようで。
今までの不安げな、どこか固い表情が、漸く和らいだ。
ぐい、と残っていたサイドカーを飲み干して大きく伸びをすると、にかっ、といつも通り笑って見せた。


「あんがとな、楽になったよ」


『なら良かったです』


ふふ、はは、と笑い合っていると。
カラン、と扉に付けられている鐘が来客を知らせた。



(いらっしゃいませ)
(名前、出口に変な事されてねーだろーな)
(人の彼女に手出すほど飢えてねーよ!)
(まぁまぁ、落ち着け出口)
(う、こ、児島さん…)
(…うん、いろいろ吹っ切れたみたいだな)
(?)
(ありがとう、苗字さん)
(いえ、お気になさらず)
((そう言って浮かべられた微笑に))
(…見てんじゃねーよ(バシッ))
(ぐえっ、)
((見惚れるくらいは、許して欲しい))
title:識別


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