小説 | ナノ


  はじめまして、臆病者の僕



あいつとの記憶の代わりに、脳裏にこびりついた名前さんと金髪の男の後姿。
まるでそれから逃れるように、僕は名前さんと出会うきっかけになった青い表紙の本に意識を向けていた。
この本は確かにノンフィクションのドキュメンタリーコーナーにあったのに。


「(恋愛小説かよ…)」


僕のキャラじゃない、なんてことは分かってる。
それでも何故か、この本から目が離せなかった。
文字の羅列を追う自分の目が、止められなかった。


「…似てる気が、する」


出会いの場所も、相手を好きになるのが男じゃなくて女って所も、些か早過ぎると感じるような展開も、違うのに。
何故かそう感じてしまうのは、一体何故なのだろう。
そんなことをぼんやりと考えながら文字を追っていても、頭の中に内容の全てが入ってくるはずもなく。
所々、断片的なビジョンしか残らなかったけど、大体の話の流れは分かった。
結局最後は彼女持ちだった男と、その男を好きになった女が協力者の手伝いもあってハッピーエンド。
こんなところを読むとますますフィクションくさい。
ファンタジー系ならともかく、まさか恋愛小説のフィクションを読む日がこようとは。
はぁ、と思わず漏れた溜息をそのままに、カップル成立のページを捲れば、その見開きには、たったの一言しか書いてなかった。
ページの無駄、何ていつもなら考えるはずの僕でも、その日は違った。
数日前のショックが祟ってしまったのだろうか。


「"愛する君へ"…?」


何故、物語はもう終わったのに。
そんなことを思いながら、次のページを捲った。



君の笑顔が見れて良かった
君の笑顔を見るのが辛かった
君の幸せを願えて良かった
君の幸せを願うのが辛かった
君の真っ直ぐな想いを見つめるのが、聞くのが辛かった
その想いを向けられているあいつが酷く羨ましかった

それでも僕は、君に笑っていて欲しいから

僕のこの想いが、どうか君に届かないように
どうか君が、いつまでも気付かないように
この本にだけ記(のこ)しておくよ


愛してる



何を思ったか、僕の口は勝手に動き出していて。


「どうか、この想いを…思い出にするまで…」



想わせて欲しい

「愛してた」

そう、君に面と向かっていえる日まで



目が痛い、頬が濡れてる。
息が苦しい、鼻から息が吸えない。
まるで、あの日に忘れてしまった涙を思い出したかのように、僕の涙は止まらなかった。
ついさっきまでフィクションくさいと馬鹿にしていたのに。
この男の想いは、本物であるかのように感じられて。
此れが作家の本領か、何て馬鹿なことを考えて涙を止めようとしたけど、それでも止まらなかった。
ぼたぼたみっともなく流れた涙は僕の手やズボンを濡らしていって、そのうちのたった一粒だけ。


「あっ」


ぱたり、と「愛してた」の文字の上に零れ落ちた。
暫く呆然としてしまったせいで拭うのが遅くなったからか、そのページに薄いシミとして残ってしまった。
…まぁ、涙はそんな汚い物ではないから大丈夫だとは思うけど…公共物を汚したと思うとちょっと罪悪感を感じる。
すこし歪んでしまった紙の部分を指でなぞったら、凸凹とした感触が伝わって。
小さな笑いがこみ上げてきた。


「…分かった」


一体何が、似ているのか。
出逢いも場所も、女が男を好きになるのも、テンポのよすぎる話の展開も、案外あっさりと身を引いた男の彼女も。
全部、一つも当てはまらないけど。
これだけ、似てるんだ。


「僕もお前と同じ、臆病者」


ぱたんっと閉じた本を机の上に放り投げてベッドに沈む。
さっきまで泣いてたからか、いつも以上に照明が眩しくて、腕で視界を遮った。
そうしたら、じわじわと袖が濡れていくのを感じて、それが何だか嫌だったから結局うつ伏せになった。
誰かがくれた低反発枕は上手く顔を埋められなかったから、ベッドの下に転がっているクッションを拾い上げてそれに顔を埋める。
目を閉じれば、光も何も届かない世界が僕を出迎えてくれて。
何も考えたくなくなった僕は、そのまま目を閉じた。



((気持ちの整理がしたかったのかもしれない))
((僕はこのまま臆病者のままでいていいのか))
((それとも彼女を傷つけてまで、幸せを追い求めてもいいのか))



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