小説 | ナノ


  甘く狂う心臓



2月14日、バレンタイン当日。
名前が朝早くから手術に借り出されてしまい少々機嫌の悪い渡久地は、今日は珍しくミーティングために集まっていた。
どこかピリピリしている彼に、触らぬ神に祟り無しといわんばかりの面子。
出口も勿論その一人で、ミーティングの休憩の合間に自販機で飲み物を買いに廊下に出ている。
何で渡久地の機嫌が悪いのかなんてことはなんとなくだが察せられた。


「(名前ちゃんと今日はあんまり一緒に居れなかったんだろうなぁ)」


勝利にしか固執していていないように見えた男の彼女。
普通に見ても十分美人、競争率の激しそうなその彼氏の座に鎮座している渡久地のなんと羨ましいことか。
俺も彼女欲しい、などと心中で嘆いている渡久地に声がかけられた。


「あ、出口さんいいところに!」


「木野崎?」


「これ、渡久地に渡しといてくれませんか?」


これから事務のほうで集会があるので、と困ったような表情を浮かべる木野崎。
それを見た出口は快く引き受け、木野崎が持っていた紙袋3つを受け取る。


「すみません、じゃあお願いします!」


「おー、」


ばたばたと走っていった木野崎の背中を見送った出口は、引き受けてしまった紙袋に視線を落とす。
甘い香りの立ち上るそれは、一つ一つが綺麗にラッピングされていて。
今日が何の日かを思い出したい出口は、一気にその表情を暗いものにした。


「くそ…渡久地の野郎…彼女だけじゃなくてファンもこんなに…」


わざわざチョコを送ってくるということは、間違いなく女性ファン。
重々しいため息をついた出口は、これを渡久地に渡すべくミーティングルームに戻った。


「?どうした出口、その紙袋」


近くにいた今井のその質問に「聞かないでくれ…」と消沈した声で告げれば、怪訝な表情を浮かべるもののそれ以上追求してくることはない。
藤田も胡桃沢も同じく。
相変わらず何を考えているか分からない表情でぼんやりしている渡久地の目の前に、どさりとそれを置く。
白い袋に入っているそれらを一瞥した渡久地は、なんだ、と言わんばかりの表情で出口を見上げた。


「お前宛のバレンタインチョコだよバカヤロー!」


「「「えええぇっ!!?」」」


「ぐっ、くそっ、3袋だと…!?」


「ふーん」


「ふっ、ふーんって、お前な!」


どうでもいい、と言わんばかりの返事をした渡久地に、出口の血管が切れそうになる。
そんなことは視界に入れず、渡久地は袋の中に手を突っ込み。


びりっ、ばりっ、


「…ラッピングが見るも無残に」


「おいおい…もうちょっと丁重に扱えよな…!」


一つも貰えなかった男性人から恨みがましそうな視線を受けながらも、ラッピングを雑に取り払う渡久地の手は止まらない。
一つの袋を全てぶちまけ空にしたその中に、ラッピングの向こう側を見てからぽいぽいと乱雑に入れていく。
一体何をしているのか分からなかった一同を代弁するかのように、渡久地と同じように袋を持った児島が首を傾げる。


「何してるんだ?」


「何って、仕分けだよ。おらお前も手伝え」


「て、手伝うったって」


渡久地に指示されるがままに、ラッピングされた箱を手に取り破り始めた出口。
だが何を基準に仕分けをしているのか分からなかった出口は、紙を破り去った箱に書かれた銘柄を読み上げる。


「ゴ●ィバ…」


「あぁ、それはこっち」


「●ディバは欲しいのか?」


「あとデイ●イとガレ●な」


「訳分からん」


「あいつの好きな銘柄なんだよ。その3つ」


「あいつって…、名前ちゃん?」


「他に誰がいんだよ」


どうやら渡久地の仕分けして持ち帰ったチョコは本人ではなく、その彼女の名前の腹に納まるらしい。
大の甘い物好き、というわけではないが甘いものが好きな名前は、渡久地の上げた3つの銘柄が特に好きらしい。
日本で手に入るのはゴディ●ばかりで、ベルギーブランドの他の2つはなかなか手に入れる機会がない。
別に取り寄せてもいいのだけれど、わざわざ取り寄せなくても甘いものならいくらでも手に入る。
そう言ってそれらのチョコを口にすることのなかった名前のためにこうして仕分けしているのだろう。
他のチョコなどどうでもいい、といわんばかりの扱いに、一同は呆然とする。


「…渡久地、どんだけ彼女のこと好きなんだよ」


「…まぁ、渡久地の執着すんのは勝ちと彼女だけらしいからな」


コソコソと話していた一同は、自分たちと渡久地のこの差に深いため息をつくしかなかった。


**********

「ただいま」


『お帰り』


がちゃ、と扉を開けた先に待ち構えていた名前。
いつもならば奥から出てくるのだが、今日は頃合を見計らって待っていたようだ。
家全体が温かいから身体を冷やすことはないが、それでも少しは肌寒い。
全く、といわんばかりの表情をした渡久地に、名前は小さく笑ってラッピングされた深い色のトリュフを差し出した。


『遅くなってごめんなさい。ハッピーバレンタイン』


「サンキュ」


受け取ったトリュフからは、渡久地の好きな銘柄の酒の香りがして。
渡久地の好みに合わせて甘さ控えめであろうそれを見れば、思わず頬を緩む。
あぁ、と思い出した渡久地は、手にしていた紙袋を名前に差し出した。


「ほら、名前の好きな銘柄」


『え、でも東亜に来たものじゃ…』


嫉妬しているわけではなく、少し罪悪感を感じているのだろう。
恐る恐る受け取った彼女の頭をぽんぽん、と優しく撫でた。


「俺は名前以外のには興味ねぇよ。せっかくだから貰っとけ」


『…ありがとう』


彼のまっすぐな言葉に頬を赤らめた名前に笑った渡久地は、彼女の肩を抱いてそのままリビングに戻っていった。



((ぱく))
(美味しい?)
(おう。でも、(ぐいっ))
(んっ!?)
(ん…くちゅ、)
(ふぁっ、んんっ…む、ちゅ、)
(ちゅ、)
(っはぁ、んっ、っ!)
(…こっちのほうが美味い)
(うう…東亜のお酒強いのに…)
(ほらほら頑張れ)
(んむっ(普通に食べてよ!))
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