08
鍛刀の様子を鶴丸に見に行ってもらったあの日、出来上がったのは大振りの薙刀だった。夕飯の準備を薬研と共にしていた時に鶴丸に「できたみたいだぜ」と声をかけてもらい、ならば一緒に夕食を食べようということで準備をいったん薬研に任せ、彼女は付喪神を顕現させるために一度そこを離れた。そばには近侍であった鶴丸が控えている。
『―――どうか、お力をお貸しください』
辺りが白むほど眩しくなり、桜吹雪が舞う。現れた付喪神は、随分と大柄な男の姿をしていた。
彼は武蔵坊弁慶の薙刀、岩融。審神者のことを小さくて見えなかったぞ!と笑った彼は、その言葉に全く嫌味を感じさせない程大きい。それに笑った彼女は、これからよろしくお願いします、詳しいことはまた後ほど、と言い残し、案内を鶴丸に頼んだ。
そんな岩融は、今ではすっかり彼女の本丸の主力となっている。面倒見もいいらしく、出陣で拾ってくる短刀たちの遊び相手になってくれていたが、今日は審神者の近侍であった。
「ここも随分と賑やかになったなぁ」
『、そうですね』
かたん、と手にしていた筆を筆置きに置き、開けられた障子から臨める桜に目を細める。彼女がこの本丸に来たころ、季節は冬の終わりの容貌をしていたが、今ではすっかり春であった。庭に植えられた枝垂桜は、春の訪れを喜ぶように見事な開花を見せ、池の周りなど、ところどころで野草が花を咲かせては、柔らかな風にその身を揺らしていた。
時間として、どれくらいたったのだとこんのすけに尋ねれば「本日で16日ですね」との声が返ってきた。結構経ったかと思ったら、二週間とちょっとだから驚いたものだ。岩融を顕現させて、そろそろ一週間が経過しようとしていた。
庭先で遊んでいる短刀たちが、そちらを眺めている審神者と岩融に気付けば「主様〜!」「主君!」「主!」と嬉しそうに声をあげる。元気いっぱいに両手を振ってくる彼らに手を振り返せば、えへへ、と照れ臭そうに笑って向こうに走り去っていってしまった。
主力がノルマをこなすために出陣し、拾ってくる短刀や脇差。気付けば拾ってきただけで現在確認されている刀剣の短刀や脇差がすべて集まっていた。人数が増え、出陣や遠征、内番を回すのにも苦労しなくなった。鍛刀を一日一回しかやらない名前の本丸では、すでにすべて集まった彼らの方が人数が多い。恐らく、他の本丸よりも短刀たちの練度は確実に上だろう。それほどに彼らは切磋琢磨し、鍛錬を怠らない。中でも、この本丸に短刀として一番最初に来た薬研の練度は恐ろしいことになっていた。今や敵の大太刀や槍を一撃で倒してしまうほど。薙刀だってお手の物だ。この間、内番で岩融と薬研が手合せのペアになったが、小柄な体とそれに見合わぬ力強い攻撃で岩融とやりあっていたのを思い出す。
「お茶もってきたよー」
『、ありがとうございます、蛍丸さん』
そろそろ息抜きをさせなければ、と燭台切が淹れてくれたお茶を、蛍丸が運んできた。湯呑が3つ、ということは、名前と岩融、蛍丸の分ということになる。名前が受け取り、熱いそれを一口すすったところで、「ねえねえ」と蛍丸が声をかけた。
『?はい、何でしょう』
「俺、敬語やだなー」
『え?』
「その蛍丸“さん”ってのも、やめてほしい」
ぶー、と声に覇気はないが、不満そうなのはひしひしと伝わってくる。どうやら蛍丸は、名前が自分に対して畏まった態度を取るのにご不満なようだ。こうもはっきり言えるのは蛍丸だからだろう。今まで短刀たちに何かもの言いたげな視線で見られることはあったものの、こうして言葉にしたのは蛍丸が初めてだった。むしろ、蛍丸がこうして言葉にしてくれたおかげで、名前はあの視線の意味を知ることが出来たともいえる。しかし、そう簡単に折れてもいいものだろうか。
『貴方方は神様ですし…』
「でも、主は俺達にご飯くれるし、撫でてもくれる。一緒に遊んでくれるし一緒にお風呂にだって入ってくれる…それって、俺達のことを大切に思ってくれてるからじゃないの?」
『それはもちろん!審神者として未熟な私のところに来てくれましたし、こんなに良くしてくれます…大切にしないわけありません』
その言葉に、傍にいて黙って2人のやり取りを見ていた岩融が、内心、この娘はわかってないなぁ、と笑った。
確かに、布陣といった兵法はまだまだ勉強中であるし、刀の扱いなんてもっての外。体力は人より少しあるが、線の細いその体から発揮される力など高が知れている。しかし、後者に至っては戦場に立つことのない審神者にはあまり関係の無い話だろう。岩融は、そういえば、ちかん、とやらは撃退できるといっていたな、と顎を摩る。その“ちかん”が一体何なのかは、彼にはわからず仕舞いだったが。
「もー、そうじゃなくて!俺は主と仲良くなりたいの!」
再び不満げな声を発する蛍丸に、困ったような表情を浮かべる名前。それを見た蛍丸は、困らせたいわけじゃない、と視線を落とした。
「距離を感じちゃうんだ…俺は、その…」
きゅ、と膝の上で手を握った蛍丸の頭を、やさしく撫でる名前。顔を上げた蛍丸に、彼女が苦笑を浮かべた。
『私も、貴方ともっと仲良くなりたい』
あんな事、お願いさせてごめんね、と蛍丸のすべすべの頬を優しく撫でた名前。その言葉からは、敬語が抜けていた。瑞々しい若草色の瞳を見開いた蛍丸は、「ううん」と満面の笑みを浮かべた。
「へへっ、嬉しいなぁ」
嬉しそうな蛍丸と、柔らかい笑みを見せる名前。穏やかで何より、と目を細めた岩融は、茶を飲み干し「じゃあ俺、内番に行ってくる」と足取り軽く部屋を後にした蛍丸を見送った。ずず、と茶を啜った彼は、再び仕事に取り掛かろうとしている名前に声をかける。
『、どうかしましたか?』
「いやなに、俺にもその畏まった態度をやめてもらおうと思ってな」
『えぇっ?』
「がはは!いいだろう?俺とて、蛍丸と同じことを思っていたのよ」
もっとも、蛍丸と同じことを思っていたのは岩融のみならず、この本丸にいる刀剣たち全員だろうか。意地悪くもそのことはおくびにも出さず、岩融は笑って見せた。しかし審神者は戸惑う。蛍丸は大太刀ながらも、その容貌は短刀たちに近い。実年齢を言われてしまえば、その刀剣の種類に関係なく名前よりはるかに年上なのだが、どうしても見た目と言うものは気になる。見た目だけならば自分より幼い蛍丸に敬語を外すのは比較的簡単であったが、明らかに自分より年上の容貌をする岩融にそれをするのは、何となく憚られてしまう。
「主よ、だめか?」
『……う』
じぃぃ、と眸を見つめてくる岩融。この薙刀、確実に彼女が押しに弱いことを知っている。決して可愛らしいとは言えないその鋭い瞳に名前が根負けするのに、そう時間はかからなかった。
「ずるいっ!ずーるーいーー!!」
俺だって主にもっと可愛いがられたぁぁあい!!
そう駄々をこねたのは、沖田総司の刀であった加州清光。その頬を膨らませてぷんすこと怒った彼を宥めるには、やはり敬語をなくすしか他に手はなく。ずるずると、まるで芋蔓式のように名前は刀剣たちへの敬語をなくす羽目になった。短刀たちならば小さな子らを相手にしているようでまだいいが、打刀や太刀、大太刀、脇差の中でもにっかり青江を相手にするとなるとなかなか難しいものがある。
「はは、困ったものだね」
『、石切丸さ、ん…』
もごもご、と名前を呼ぶにもひと苦労している名前に、石切丸はくすくす、と小さく笑った・
「話しづらくなるくらいなら、私は今のままで構わないよ。主が慣れてくれてからでも、遅くはない」
さすが、巷で石切パパと呼ばれるだけあって大人の対応をして見せる石切丸。その顔に苦笑を浮かべて、先程まで刀剣たちにもみくちゃにされていた名前の髪を整え労わった。そんな2人のもとに、もう一人大きな人影が。
「主よ、私も同感です。どうか今まで通り接してください」
『太郎さん…』
「私もあわよくばとは思いますが、我らは出会ってまだそう時間は経っていない…いきなり慣れろというのも酷な話でしょう」
まぁ、この本丸には自分たちしかいないのだ。彼女が自分たちに慣れるのにも、そう時間はかかるまい―――…
彼らの胸の内に、そんな思いがあることに審神者は全く気付かなかった。
(ほう、なかなか面白いことをしているではないか、主よ)
(あ、三日月さん…)
(どれ、このじじいのことも呼び捨てにしてはくれぬか?ん?)
(こいつは驚いた!勿論、俺も同じように呼んでくれるんだよな?)
(つ、鶴丸さんまで…)
[back]