05
三日月の淹れたお茶を飲んだ後、もう一眠りするがよいと促され、布団に横になっていた審神者。目が覚め、のそり、とゆっくりとした動きで起き上がり、障子の方へと視線を向ければ、そこには人影が。この本丸に、自分以外の人影を持つ者なんて彼しかいない。
『、みかづきさん…?』
「目が覚めたか?」
穏やかな声が聞こえてくる。どうやら三日月であることに間違いはないらしく、彼女は寝間着ほどは乱れていない白衣を整える。緋袴にも、あまりひどい皺はついていないようだ。
『すいません、休ませていただいて…ずっとここに居たんですか?』
ここ、というのは今彼女が眠っていた部屋の前の縁側である。障子を開けばわかったが、風も冷たくないし、空から降り注ぐ太陽のおかげでぽかぽかと温かい。風邪を引くことはないだろうが、ずっと同じところにいるのも退屈だっただろう。
「あぁ。なに、気にするな。俺が好きでしたことだ」
ほけほけ、と穏やかな雰囲気をまといながらそう言って見せた三日月の言葉に嘘はなさそうだ。それに少しほっとしながら、そう言えばこんのすけが体調がよければ何本か鍛刀してみましょう、といっていたのを思い出す。体調は悪くない。むしろ良いくらいだ。たっぷり休んだおかげだろうか。
「もう休まなくて大丈夫なのか?」
『、はい、大丈夫です』
立ち上がった三日月に鍛刀場へ行く、と行けば、ううん、と苦笑を浮かべられた。
「やめておけ。ここに体が慣れきらぬうちに俺を作ったから倒れてしまったのだ。新たに鍛刀するのは体が慣れきってからにしてくれぬか」
『、でも』
「どうかこのじじいを心配させないでおくれ」
『三日月さん…』
こんのすけからも、事は一刻を争うといったようなことは聞いていないが、できることなら急いだ方がいいのかもしれない。あの狐の口ぶりからはそう感じてはいたが、目の前の三日月を見て、審神者は俯く。三日月の表情から自分を心配してくれているということはわかるのだが、こちらは祖父母を人質に取られているようなもの。たとえ2人が無事に家に帰らされていたとしても、今後の自分の働きによってまた危険にさらされる可能性も無きにしも非ずなのだ。
『……』
彼女が無言でいると、三日月の視線が彼女の後方へと移る。
「それでよいだろう?狐よ」
彼女の指通りのいい髪を撫でる三日月。そんな2人の足元に、とたとた、と小さな音が近づいてきた。
「…まぁ、致し方ありません。鍛刀はまた後日にいたしましょう」
しぶしぶ、と言わんばかりの声色のこんのすけだった。申し訳なさそうな表情を浮かべる審神者に対し、三日月は読めない笑みをこんのすけに向けるばかり。こんのすけが「審神者様はお食事がまだでしたね。厨房へご案内させていただきますのでどうぞ、お作りください」というので、歩きだした狐の後ろについていくことに。
厨房の場所までは覚えていないが、三日月の鍛刀をお願いした後で覗いた時に現代人でも使えそうな設備が整えられているのを見た。今は自分と三日月の2人だけなので量も多くなくてよいだろう、と考えたところで隣の三日月を見上げる。
「ん?どうかしたか?」
『いえ、付喪神様は、ご飯、食べるんですか?』
「あぁ…食べなくても問題はないが、食べることもできるぞ」
『そうですか、』
じゃあ、一緒に食べられますね、と安心したように笑う審神者。三日月は一瞬目を見張るが、すぐに朗らかな笑みを浮かべて「そうだな、」と返した。
「変わらぬなぁ…」
『、何か言いました?』
「いいや」
厨房に2人を案内し終えたこんのすけは、それでは、とその場で姿を消してしまった。あれこれしてはならないという説明はなかったから、きっとここにあるものは自由に使ってよいのだろうと判断した彼女は、厨房を漁る。さすがに電子レンジやオーブンのようなものはなかったが、驚いたことに冷蔵庫があり、その中には食材がぎっしりと詰まっていた。この食材は定期的に補充されるのか、それとも自分たちで野菜等は育てなければならないのか…気になったことは後でこんのすけに聞くとして、何か食べたいものはあるかと三日月に尋ねた。
「…まったく、なかなか厄介ですねぇ」
審神者と三日月の前から姿を消したこんのすけは、2人には聞こえない場所でそう呟く。ふさり、と尾を揺らし、こんのすけは彼女が眠っている間の出来事を思い出した。
目の前の小さなモニターに映るのは、小太りの役人。彼女をこの本丸に連れてきた男の上司、さらに言えば彼女の両親の上司であった男だ。
≪そうか、やはり…いや、期待以上だな≫
「しかし、やはり慣れていないからでしょうか。三日月宗近を顕現した直後に倒れてしまいました」
≪三日月宗近は現在確認されている刀剣の中で最も神格が高い…本来なら本丸の空気にも慣れさせなければならないところだったが、今回はその期間すら与えなかった≫
「本人は若干息苦しいだけのようです」
≪ふむ、中には呼吸が出来ず死んでしまう者もいるというのに≫
向こう側から聞こえてくるのは満足そうな声色。機械ゆえに感情の無いこんのすけはそれで、と続ける。
「いかがします?審神者には体調がよければ他にも数本鍛刀してみるようにと伝えてはありますが」
≪あぁ、あと4本は、≫
「聞き捨てならぬなぁ」
鍛刀させるように、という向こう側の声を遮ったのんびりとした声色。しかしこんのすけは、ぞわり、とした嫌な気配をその身に感じていた。ただのプログラミングされた自分に、果たしてそんな感知能力があったのかとさえ言いたくなるくらいのものであったが。
思わず黙り込んだこんのすけに代わり、モニターの向こうの上司が口を開く。
≪これはこれは、三日月宗近…彼女のような新米の審神者のもとに顕現してくれるのならもっとベテランの審神者のところに姿を見せてくれてもよいだろうに≫
「はっはっは、可笑しなことを言う」
≪いやいや、私たちは本気だ?あんな小娘のもとでは実力も発揮できないだろう?≫
ははは、と笑う上司を尻目に、身を固めたのはこんのすけだった。三日月が目を細めたのをそのガラス玉の瞳で見上げる。
「あの娘をこれ以上侮辱するのは許さぬぞ」
≪っ、≫
「俺はあの娘がこの本丸の主だからここに来たのだ。他の主のもとへそう簡単に行くつもりはないさ」
他の審神者が俺を求めている?そんなこと、俺の知ったところではない
「覚えておくといい…神は仏とは違う」
付喪神という、末席に座する俺達であっても、“神”であることに変わりはない
その端正の顔に冷ややかな笑みを浮かべ、モニターの向こうの男にそう告げた三日月は、これ以上用はないと言わんばかりに青い狩衣を翻してもと来た道を戻っていった。
にしても、あの言葉…
こんのすけの胸に引っかかるのは、あの三日月の言葉。モニター向こうの上司は苦虫を噛み潰したような顔で、渋々と言わんばかりに三日月の言葉を聞き入れ、三日月がいいというまで彼女に鍛刀させなくてもよいとこんのすけに指示を残し、ぶつり、と通信を切ってしまった。あの上司があんなに簡単に引き下がるなんて、と、こんのすけが違和感を抱いたのはそこであった。彼女を無理やり審神者にするように指示を飛ばした男が、三日月のあの脅しにも聞こえるよう言葉にあんなに簡単に屈するものなのか。あれは、何か別なことを知っているからではないか。
こんのすけは審神者をサポートするために政府から支給されたものではあるが、審神者への余計な情報の漏洩を防ぐために、必要以上の情報はインプットされていない。審神者が必要とする情報がこんのすけの持つ情報の中にない場合は、一度こんのすけが政府と連絡を取る必要がある。それを含めた定期連絡が、先程三日月に割って入られたものだ。
まぁ、何はともあれ自分は政府の指示に従うのみ。機械故にそれ以上の感情を持たぬこんのすけは、2人がいるであろう厨房につながる廊下を一瞥し、ぽふんっ、と小さな音を立てて姿を消した。
((全く、人とは))
((相も変わらず、身勝手よなぁ))
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