小説 | ナノ


  薄桃も黄も赤も白も、一緒に



春爛漫とは正にこのことか、とそんな考えが頭をよぎる。
例年より遅めに咲いた桜の花びらが、強めの風に攫われていくのを家の中からぼんやり見つめた。
折角咲いたというのに早々に風に攫われていくそれ。
日本人は儚いものが好きで、桜はその代名詞。
春風にさらわれていく花びらがその雰囲気を掻きたてるのだろうか、と窓から視線を外した。


「ただいま」


『、おかえりー』


がさがさとレジ袋を揺らしながら東亜が帰って来た。
今日はいつもの白のYシャツと黒のパンツじゃなくて、この間一緒に買い物に行って私が選んだ物を着ている。
上は赤のロンTで下はほぼ黒に近い細身のジーンズ。
ちなみにロンTはVネック(普通の襟だと東亜には似合わないような気がしたから)
選んでおきながらシンプルすぎると感じるを其れを普通に着こなしているのは元がいいからと言うかさすがと言うか。
東亜からレジ袋を受け取って中身を確認する。
うん、ちゃんとメモの通り全部買ってる。


『にしても珍しいね、東亜が買い物にいくなんて言い出すの』


そう、最初は私が行こうと思っていたのだ。
私も仕事をしているとは言え、手術は滅多に回ってこないし、カルテの処理だってものの数時間で終わってしまう。
けれど東亜はムラがあるとは言え、体力を使う野球選手をしているのだ。
休みの日ぐらいゆっくりして欲しい。


「今日は風が強いんだ。お前花粉症もちだろ」


『ん…でもエバステル飲めば大丈夫なのに…』


私の花粉のアレルギーはこの時期だけ。
症状もそんなに酷くないから薬を飲めばマスクをしなくても外を歩けるほどだ。


「人の好意はありがたく受け取っとけって」


『…ん、ありがとね、東亜』


「おー」


リビングのソファに腰掛けた東亜に小さく微笑んでから冷蔵庫の中にレジ袋の中身を詰めていく。
卵はこっち、野菜は下…おや、ドーナツがある。
ふふ、今日のお昼のおやつにでもしようか。
全てを詰め、入っていたレジ袋を畳んで引き出しの中に仕舞う。
汚れても構わないと思えるレジ袋は案外便利だ、取っておくのは普通のことだろう。
こぽんっ、と音を立てたコーヒーメーカーから2人分のコーヒーをマグカップに注いでリビングへ。
直ぐには飲まない東亜の分をミニテーブルの上に置いて隣に座る。
ふと彼のほうを見て見れば、キラキラと光る金の中に、薄桃色が混ざっていた。
全く気付く様子のない東亜の代わりにその薄桃色に手を伸ばせば、、どうかしたのかと怪訝な視線を向けられた。


『桜の花びら、ついてたよ』


「あー…もう随分散ってたからな」


今日のこの強風も相まって、桜の花弁は一層激しく散っていることだろう。
沖縄の桜は直ぐに散ってしまうから、今年はゆっくりと桜が見られると思っていた分残念だ。
自然には逆らえないから、仕方ないと享受するしかないのだけれど。


『来年は見れるかな、桜』


「見れるさ。桜の木は逃げたりしねーよ」


テーブルからマグカップを拾ってコーヒーを飲む東亜。
その腕が私のいる側と逆であることを確認してから東亜に擦り寄る。
もしコーヒーを零したりしてやけどでもしたら大変だから、一応気を使っているのだ。


「、珍しいな、お前から甘えてくるなんて」


『東亜には大分甘えてるけど』


「まだ足りねぇよ」


『…そう』


真顔でそういってくる東亜が何だか可笑しくて、私は小さく笑ってしまった。
む、と僅かに顔を顰めた東亜の鋭い視線から逃れるように側頭部を東亜に押し付けた。
ゆるりと緩慢な動きで下ろされていた腕が私の肩に回される。
私の方を容易く包んでしまうこの手で、指で、東亜は多くのボールを放っているのだとぼんやりと考えた。


『来年、さ』


「ん?」


『一緒に見よう、桜。今年はもう散っちゃったけど、きっと来年は満開の時期ももう少しあるだろうし』


「ばーか」


私の言葉を一蹴した東亜は肩を包んでいた手を其処から離し、その綺麗な細長い指で私の頬を撫でる。
ばっさりと切り捨てられてしまったのは悲しかったけど、頬を滑るその指がくすぐったくて思わず笑いがこみ上げるなんていう微妙な表情をしてしまった。


「来年だけじゃねえ。毎年見るんだよ」


桜だけじゃなくて、ひまわりも菜の花も、紅葉も雪景色も。
全部全部、一緒に見よう。
そう言って優しく笑った東亜の私の頬を撫でていた細長い指が私の顎を持ち上げた。


「だから、ずっと一緒にいろ」


『…喜んで』


好きだとか愛してるだとか、東亜はそんな愛のささやきを真っ直ぐ伝えてくることは少ない。
でも、少し遠回りなくらいが、私にはちょうどいい。
飾られた言葉よりは飾らない言葉。
飾らない言葉よりも、東亜の不器用な言葉がずっと好き。
ああ、溺れてる。
そんなことを思った。



((昔の人間を心から信じられなくなってしまった私))
((そんな私が一人の人間に溺れているなんて))
((昔の私は笑うだろうか。それとも、『良かった』と))
((そう、言ってくれるだろうか))



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