どうか僕の名を呼んでほしい
名前と男女の仲になって数日がたった。
「……」
『…、ローさん?』
はっきり言って、何か変化があったわけじゃねえ。
寝所だって、最初から俺の部屋を使わせていたし、そもそも名前の部屋自体を用意していない。
思えば、普通の女なら勘違いしちまいそうなシチュエーションにもかかわらず、こうして今まで平静を保ってきたコイツの鈍さに呆れかえるほどだが、今はそれどころじゃない。
「なぁ、」
『?』
「その“ローさん”っていうの、やめねぇか?」
切っ掛けは、名前をうちの船に乗せてすぐ俺が敬語を禁止し、それに従うことを条件に名前がいい出したことだった。
まれに“さん”がなくなることはあったが、恐らく本人は無意識、それ以外で俺を呼び捨てにすることは一度もなかった。
俺の目の前で今もなお渋る様子を見せる名前に追撃しようとしたら、タイミング悪くペンギンが現れた。
「キャプテン、ちょっと名前借りますよ」
「あ?」
「ここら辺の海流は複雑なんで、名前の意見も聞きたいんです」
流石は俺の幼馴染と言ったところか…あいつ俺に許可を求めてきたくせに返事を聞かずに名前を連れていきやがった…結局許可なんて必要ねぇじゃねぇか。
申し訳なさそうな顔をしながらもペンギンについて行く名前に後でな、という意味を込めて手を振れば、ほっとしたような表情を浮かべてそのまま食堂を後にする。
名前がいねえなら食堂にいる意味もねえし、船長室に戻ってるかと思い、廊下を歩いていると、ベポが大量の洗濯物を抱えて甲板へと向かうのとすれ違った。
「あ、キャプテン、部屋に戻るの?」
「あぁ…随分溜め込んだな」
「ここしばらく天気が悪かったから。でも今日は洗濯日和だよ!」
つまりは天気がいい、ということだろう。
海流は複雑だが天候は安定してるのか…ペンギンに航海士としての技術を認めてもらったベポが言うのなら間違いではない筈。
巨体に見合った力のおかげか、名前ならふらつきそうな量の洗濯物を抱えたまま足取り軽く甲板へ向かっていくベポ。
ペンギンに海流を見てほしいと言われた名前も甲板にいるよな…あいつはより正確だからといつも実際に海を見て判断する。
そこではた、と気づいた。
「はは…なんだ、少ししか離れてねえってのに、俺はすぐあいつのことを考えやがる…」
今振り返ってみれば、こうして男女の中になる前も俺はあいつのことをしょっちゅう考えていた。
クルーと船長という、明確でありながらも男女としては曖昧な関係が拍車をかけていたのかもしれないが、それにしたって俺は随分と溺れているらしい。
しかし、それも悪くないと思えるのは相手があいつだからか…。
船長室に戻ってきた俺は、本棚から適当の医学書を引っ張り出してソファに腰掛けると、同じく適当なページを開く。
本棚に入っている医学書の大半は既に頭の中に入っているが…たまにこうして読み返すようにしている。
いざという時に肝心の情報が引っ張り出せなかったら意味はねえし、間違っていたら尚更だ。
乾いた紙がこすれる音だけが響く船長室の窓の外に視線を向ければ、確かにベポの言っていたように洗濯日和と言わんばかりの晴天。
雲はあるが、日差しを遮るようなものじゃない。
室内のラックには、クルーがプレゼントした俺と色違いの帽子が引っかかったまま…もしかしてあいつ、日焼け止めも塗ってねぇんじゃねぇのか?
美白を目的としているわけじゃないが、あいつは日に焼けない体質のせいで、長時間日の下にいると肌が真っ赤になって風呂に入るのが辛くなる。
風呂に入るのが好きな名前にとっては酷な話だ。
しっかりしているようでどこか抜けているから、世話が焼ける。
俺は自分が笑みを浮かべていると気付かないまま、あいつの日焼け止めと帽子を持って甲板へと向かった。
「あれ、船長」
「珍しいっすね、今日めっちゃ天気いいっすよ?」
「だからだよ」
甲板に出れば、入り口近くにいたクルーたちが声をかけてくる。
首を傾げたかと思ったら、俺の手にあるものを見て納得したようにうなずいて見せ「名前ならベポとシャチと一緒に洗濯物洗ってますよ、」と名前の居場所まで教えてくる。
それにしても、思っていたよりも日差しが強い…からっとしているから蒸し暑くはないが。
「アイスコーヒーとカフェオレ、クジラに作らせて持って来い」
「アイアイ!」
水分補給はしていて損はない。
普段から極限状態でいられるように訓練した名前なら、常人に比べて限界を感じる感覚は鈍っている。
だからついつい気にかけてしまうが、きっとそれは俺があいつを特別視しているのも関係してるんだろう。
洗濯場所へと足を向ければ、そこにはクルーが言っていたように洗濯物を丁寧に洗う名前の姿があった。
側にはシャチとベポの姿も。
汗一つ掻いていない名前とは対照的に、シャチはトレードマークのキャスケット帽子で自分に風を送りながらだるそうに作業をしている…ったく、情けねえ…が、それ以上に、
「(気に食わねえ…)」
名前は俺といない間、ベポはともかくシャチと一緒にいたのだと思うと何だかムカムカとして気分が悪い。
そのせいで顔が歪んでいたからか、すぐに俺に気づいた名前は小首を傾げ、俺を見上げた。
『ローさん、?』
どうしたの?気分、悪い?
丁度洗っていた分が終わった#nameは、近くに置いてあったタオルで手を拭いて俺に駆け寄ってくる。
顔色が悪いわけではないことが分かると、ほっとしたように表情を緩めた。
「名前…おまえ、せめて帽子は被っていけ」
『あ、』
ぽす、とその小さな頭に帽子をかぶせてやれば、聞こえてくるのは謝罪の声ではなく、感謝。
帽子の上から数度頭を撫で、突然現れた俺に首を傾げているシャチを見下ろす。
「残りの分はお前がやれ、」
「え?でもちょっと多い、」
「いいな?」
「あ、あいあーい!」
泡だらけの手で敬礼をして見せたシャチをその場に残して名前を連れてその場を離れると「じゃあ俺もペンギンと勉強するから〜」というベポの声も背後から聞こえてきた。
シャチが悲痛な声を発しているのが気がかりなのか、くんっ、とわずかに袖を引っ張られるも気づかぬふりをして、名前を連れていつもの特等席へ腰掛け、俺の足にまたがるように名前を座らせた。
「さて、日焼け止め塗るか、」
『えっ?い、いいよ、自分で塗れる、』
「遠慮するな」
手の上に日焼け止めを出し、それを名前の肌になじませる。
俺の手に余るほどの小さな頬には赤みが差し、不満そうな金色が俺を見つめてきた。
「くく、次も忘れたら俺が直々にぬってやる」
『…忘れないようにする』
ぷく、とほほを膨らませられてもかわいいだけだが、その小さな鼻をついでだからつまんでやれば、『もー!』と声をあげながら名前が俺の腕を掴んだ。
「そう怒るな…ちゃんと他の場所も塗ってやる」
『そういう意味じゃない、!』
新たに手に出した日焼け止めを、細い首やまくられたパーカーから伸びる腕、ホットパンツとサイハイソックスの間の太ももと、肌が露出しているところにくまなく塗っていく。
はじめは抵抗していた名前だったが、諦めたのか、おとなしく塗られ、すべてが終わると『…ありがとう、』といってきた。
「くく、なら、褒美をもらおうか」
『、褒美?』
「あぁ…ローって、呼べよ」
それは彼女が渋ってなかなか呼んでくれない俺の名前。
名前はぐっ、という表情を浮かべながら、それとこれは話が違う、と小さな声で反抗してくる。
「褒美は褒美だろ?」
『、う〜〜、』
困ったようにちらちらと視線を泳がせる名前の顎を掴み、俺から視線を逸らせられないように、その金色を見つめる。
じわじわと頬が赤くなっていくのを間近で見るのは案外面白い…名前の向こうで盆にグラスを乗せたクルーがこちらへ近づいて来ようとしたが、視線でそれを追い返した。
今大事なところなんだ、誰かに邪魔されるわけにはいかねえし、こんな可愛い名前を見せるわけにもいかねえ。
『ま、また今度じゃ、だめ?』
「…仕方ねえな」
天然なのか、時折恥ずかしいことをさらっと言ってしまうのに、こうして改められるとどうも恥ずかしいらしく、なかなか名前に俺の名前を呼び捨てにさせるのは骨が折れそうだ。
扉の向こうでこちらの様子をうかがっているクルーに指で合図すれば、待ってましたと言わんばかりにグラスを持ってこちらにやってきた。
「飲め、ろくに水分補給もしてないだろ」
『あ、うん…』
カフェオレを手渡してやれば、持って来たクルーと俺に礼を言った後、名前はのどが渇いていたのかすぐに細い喉を動かして飲み下していく。
3分の1ほどを飲みほした名前からグラスを抜き取り、クルーが置いていった盆の上に置いたところで、先程の話を再開させた。
「さて…じゃあどれくらいで名前が俺の名前を呼び捨てにできるか、見ものだな」
『、?』
「一日延びるごとに利子、付けてくか」
『!?』
それは名前にとっては困った勝負だが、逆に俺にとっては結果が楽しみな勝負。
どうにかやめさせようと考えている名前に、とりあえず、ペナルティを課すことにしよう。
「呼び捨てにできるまで、俺の側を離れるなよ?」
それは名前を縛る、とても緩い俺の独占欲。
本当の独占欲はもっときついが…安心しろ、いつか慣れる日が来る―――
(船長…いい加減名前を解放してやってください…もう何時間たってると思ってるんですか)
(あ?)
(ぺ、ペンギン…)
(フフ、コイツが自由になれるかどうかはいつ俺の名前を呼び捨てにできるかどうかにかかってるんだよ)
((またそんな意地悪して…))
To.ゆう様
ゆう様、リクエストありがとうございました!
独占欲丸出しとの内容でしたが、なんかまったく丸出しじゃないです、まだまだって感じで出し惜しみしてしまいました…!←
とりあえずイチャイチャはさせられた(当社比)ので満足しています…!最近全く筆が乗らなかったのですが、これはサクサクかけた作品で書いていて楽しかったです!
時間を見つけて頑張って更新していくので、またよんでくださるとうれしいです。
改めてリクエストありがとうございました!これからもよろしくお願いします( ˘ω˘ )
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