小説 | ナノ


  終焉を迎えた悪夢と温もり



※大切な君を必ず、の続き

何の前触れも無く指を引っ掛けられて持ち上げられた顎。
私が一体何をするのかと思い、東亜に尋ねようとした瞬間、


『ん、んぅっ!』


「なっ!」


「まぁっ」


がぶり、とまるで肉食獣のように東亜が噛み付いてきた。
なんて冷静に考えている場合じゃない…!
紫の薔薇の男だけじゃなく係員さんも見ていると言うのに、何でこんな恥ずかしいことを…


『ふぁ、はむっ…ん…』


顎を引っ掛けられていた手は後頭部に、もう片方は腰に回されていて、目深に被っていたはずのキャスケットがぱさりと床に落ちてしまった。
ぽんぽん、と後頭部に回された手が軽く頭を叩くのを感じた私はゆっくり目を開けて、開かれている東亜の目を見た。


「(腕、回せ)」


そう言っている様な気がして、私は言われるままに両腕を東亜の首に回した。
勿論2人の目は気になった。
でも、きっと此れが東亜の言っていた"とっておきの考え"だと判断したから。
角度を変えて何度も深く。
目を開けたままこんなにするなんて初めてで酷く恥ずかしかったけど、東亜の目が私が目を閉じることを許さないといっているように見えたから、何とか目を開き続ける。
どちらかが瞬きする度に互いの睫が触れ合うくらい近い。
それが暫く続いて漸く離れるころには、私の息は絶え絶えだった。


『はぁ、は…(何で東亜息切れてないの…!?)』


「これでよーく分かっただろ。こいつは俺んだ」


その言葉と共に、身体にまわされている腕の力が強まる。
少し苦しかったけど、不安を抱かせる人が近くにいる分、この苦しさが私を安心させてくれた。


「っ、名前ちゃんっ」


東亜の鋭い視線にもめげずに此方に話を振る男。
そんな懇願するような顔で見られても、そんな目で見られても、私が貴方にしてやれることは無いというのに。
もう、本当に。


『いい加減にして…』


「えっ…」


『私は貴方なんて知らない…私は貴方にしてやれることは何も無い…』


もう、付き纏わないで!


そんな風に強く言う事は出来なかったけど、十分気持ちは伝わったようで。


「そ、か…ごめんね…」


ぽろ、と涙を流しながら男は走っていった。
落とした薔薇を拾うことなく、直ぐに見えなくなった男の姿に、私は漸く安堵の息を吐き出した。
足に力が入らなくなってしまい、東亜にしがみつくことで何とか体勢を保つけれど…見上げた東亜は人の悪い笑みを浮かべている。


『(見上げなきゃ良かった…)』


「腰抜けたか?」


『…うるさい』


「ふふふっ良いもの見せてもらいました!」


「だろ?」


『っ…』


そうだ…この人も居たんだった…。
ちらりと視線を向ければ、なぜかさっきよりも肌がつやつやしているように見える。
…今度眼科行って来ようかな…たぶんパソコンの弄りすぎだよね…。


「おい、現実逃避してんじゃねーよ」


『う、わっ』


東亜の言葉が終わると同時に感じた浮遊感。
膝裏と背中に感じる細いながらも筋肉質な腕は、頼りなさなんて感じさせないで、寧ろ力強くて。
無性に甘えたくなった。


『(今でも十分甘えてるのに、ね)』


顔を東亜の首筋に埋めれば、東亜の暖かさも東亜の匂いも、私を酷く安心させるものなんだと改めて実感させられる。
敵わないなんて事はずっと前から分かってたのに。


「安心しろ。家に行ったらもっと甘やかしてやる」


『、東亜…』


「苗字さん」


『、貴女にも、ご迷惑をお掛けしました』


そう、紫の薔薇を受け取らされていたのは彼女なのだ。
さぞ迷惑だったに違いない。
でも、彼女はにこ、と安心したような笑みを浮かべてくれている。


「今度はお二人でどうぞ」


『…ありがとうございます』


「んじゃ、帰るか」


『うん』


こつん、と歩き出した東亜の肩越しに、係員の女性に手を振れば、彼女に振り返してくれた。
彼女が見えなくなったところでその腕を、東亜の背中から肩に回す。
薄いYシャツ越しに感じる体温が心地いいなと感じていると、規則的に揺れるその感覚に睡魔が襲ってくる。
そういえば、最近眠りが浅かったかな、なんて考えた。
隣に東亜がいても、やはり不安に感じていたところがあったのかもしれない。


「寝ちまえ。全部終わったんだから」


『…ん』


静かな東亜の声が耳に入ってきて、それさえも睡眠薬みたいに私の瞼を重くする。
肩に回している手に少しだけ力をいれて、私はそのまま目を閉じた。



(安心しろ)
((例えその言葉が嘘であれ真実であれ))
((東亜の言葉なら、信じてしまうんだろう))



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