小説 | ナノ


  025



カツ、カツ、と僅かな明かりが足元を照らす廊下を一定のリズムで歩いていくロー。
その腕の中では、名前がぼんやりとした表情をしたままローのパーカーを握りしめていた。
辿り着いた船長室の扉を名前を抱えたまま器用に開けたローは、扉を閉めると、腕の中の名前をベッドの上に座らせるように下ろす。


『……?』


「名前、ちょっと離せ」


きゅ、と握られたままのパーカーの胸元。
寝る前にせめてトイレに行きたいし、歯も磨きたい。
そんなローの気持ちを悟ったのか、相変わらずぼんやりとしたままの名前は彼のパーカーを放すと、ふらり、と立ち上がった。


「(お…?)」


ちょっと離れて名前の様子を見ていようとしたローだったが、じぃ、と自身をどこか虚ろな目で見やる名前の視線に耐えきれず、名前が腕を伸ばせば届く距離にまで近づくと、今度は手をきゅ、と握られてしまった。


「名前?」


『……』


どうやらいつにも増して無口になってしまうらしい。
ローの手を握ったまま名前が向かったのは、脱衣所兼洗面所。
そこに仲良く並んでいる歯ブラシに手を伸ばし、いつもよりも随分とゆったりとした動きではあるが、歯を磨き始めた名前。
その間もローの手は握ったままだったが。
器用にも片手ですべての準備を終えてしまった名前だったが、ローはそうにもいかない。


「名前…パーカー掴んでいいから、ちょっと手離せ」


『……』


その言葉に従うように、少し名残惜しそうに手を放した名前は、隣に立っているローのパーカーの裾を握り、再びシャコシャコ、と歯を磨き始めた。
酔っぱらってはいるがやることやるんだな、と自分よりも幾分か下の位置にある名前の頭を見下ろしつつ、名前と同じように歯を磨くロー。
ゆったりとした動きで歯磨き、トイレを済ませた名前だったが、やはり風呂に入るまでの体力は残っていなかったらしく、ロングパーカーとニーハイソックスを脱ぐだけで、寝間着に着替える様子はない。
そこまで深く酔っているわけではなかったローは彼女よりも早く支度を済ませ、いつも通りの寝間着に着替え終えていた。


「…寝るか」


『……ん、』


名前が先に起きて活動を始めるため、いつもローが奥、名前が手前で眠っている。
ローが先に入り、その後にもぞもぞ、と潜り込んできた名前は、珍しく自身からローにくっついていった。


「!」


『んー…』


こんなことは初めてだった。
ローが彼女を抱き枕にすることはあっても、名前がローに擦り寄ってくることはまずない。
というより、恐ろしいくらいに身じろぎをしないのだ。
一度徹夜で作業しなければならないことがあり、名前にその旨を伝えれば、じゃあ先に寝るね、と言ってローが作業をするために付けている明かりに背を向けるような体勢で眠った名前。
夜中であり、さらに防音が施されている船長室の中はとても静か。
僅かな音でも響くはずの室内だったが、ローの耳には自分の作業する音以外何も聞こえず。
たまに名前を振り返っては見るのだが、何度見ても、先程見た体勢と全く変わらぬ体勢で眠り続けているのだ。
寝息さえも最小限に抑えられていて、僅かに呼吸と共に上下する躰を見なければ、息さえもしていないのではないかと心配になってしまうほどだ。
そんなこともあって、ローが彼女を抱き枕にしても名前の睡眠には何ら問題はないし、寝相が悪くてベッドから落ちるなんてこともない。
ただ一つ、ローが不満だったのは、名前はローが眠るまで眠らないということ。
先程もあった彼が徹夜をしなければならないときや宴などで酒を飲んだ時は例外だが、ローと共にベッドに入った時は、大抵ローの方が先に眠る。
しかも、ローがそっと近寄って寝顔をのぞき込もうとすると、まるで起きていたかのようにぱちっ、と目を開けてしまう。
目を閉じてはいるが意識があり、ローの問いかけにもすぐに反応してしまうのであれは眠ったとは言えない。
つまりローは、名前がこの船に乗って催された歓迎会の日以来、彼女の寝顔を見たことが無いのだ。
そんな名前が、自らローに擦り寄ってきて、今にも眠ってしまいそうなほどうつらうつら、としている。


『…ろ、ぉ…』


「!」


小さな声だったが、確かにローの名を呼んだ。
目はもう殆ど閉じられてしまっていたが、口元は緩く弧を描いている。


『…あり、がと……』


…すー…


笑みの浮かべられていた口は、既に薄く開いているだけでもう何の表情も見せてはいない。
完全に気を抜いていると分かるその寝顔。
名前自らが見せたわけではなく酒の力を借りてしまったわけだが、まぁ、彼女の寝顔を見られただけ良しとしよう、と自己完結する。
ローは前髪を避けて現れた白い額に唇を寄せ、小さなリップ音を響かせた。


「おやすみ、」


良い夢を――


『……』


ローと共にベッドに入ってから数時間後。
いつもの時間通りに目の覚めた名前は、妙に自身とローの距離がいつも以上に近いような気がしないでもないことに首を傾げつつ(と言ってもローが毎日のように彼女を抱き枕にするので元々距離は近いのだが)、いつも通り体を捩ってローの腕から這い出る。
自分の服を見てみれば、昨日のまま。
ソファにロングパーカーとニーハイソックスが投げられているのを見て、これだけ脱いでそのまま寝てしまったのか、多量のアルコールを摂取したせいで未だにぼんやりとしている頭で考える。


『というか…記憶が、無い…』


名前が甘いお酒なら飲めるって聞いてさー!と言って嬉々として様々なカクテルを作ってくれたクラゲと、ジュースなどを含んだ様々な瓶を並べていたシャチ。
彼が作ってくれるカクテルがすごく美味しくて、しかも飲みやすい。
するすると次から次へと飲んでいったことは覚えているのだが、途中の記憶から、今此処で目覚めるまでの記憶がごっそりと抜け落ちている。


『……』


まぁいいや、と立ち上がった名前はクローゼットの中から服を準備すると、バスルームへ消えていった。
それから数十分後、手早く準備を済ませた名前は未だに気持ちよさそうに眠るローを部屋に残し、まずは片付けをしなければ、と甲板へと向かっていった。
いくら名前がバランス感覚に優れているとはいっても、船の中をピンヒールで歩き回るのは危険だと言ったローが買い与えてくれた歩きやすい程度のヒールがついている編み込みタイプのショートブーツ。
音が鳴る方がいい、という名前のリクエストに怪訝な表情を浮かべつつ了承したローの選んだもので、ピンヒールのモノほどではなかったが、コツコツ、と足音は響く。
是にもちゃんと理由はあるのだが、それはまた後ほど。
甲板に行く途中で厨房をのぞき込めば、既にクジラが起きて片付けを始めていた。


『おはよ、クジラ』


「おはようさん。昨日随分飲ませられてたみてぇだが、怠くないか?」


『大丈夫…でも、記憶が無い』


「あははっ、そっかー…まぁ、あんだけ飲みゃしゃーねぇさ」


『…そんなに、飲んだんだ…』


甲板で転がっていた食器類はすでに回収して中に運び込まれていたので、それを洗う手伝いに加わる名前。
次々に食器を洗いながらクジラとかわすのは、今日の朝食をどうするか。


「昨日はあいつらも相当飲んでたしなぁ…普通に食うのはきついかもしんねーな」


『そっか…』


まぁいつものことだし、と呆れたようなクジラに、なら、と今日の朝食のメニューを提案した名前。
カカシがアスマと飲みに行くと、大抵飲みすぎて次の日の朝が辛そうで、そんな日に必ず彼が作ってと請うていたメニューだったが、どうやら今までそれを出したことはなかったらしく。
早速、ということで食器を片付け終えた二人は朝食作りに取り掛かった。


「うー…」


「ぎもぢわるー…」


「…おえっぷ、」


「ここで吐くなよ、甲板かトイレいけ」


殆どのクルーが甲板から戻ってくるのに対し、程々のところでやめたらしいペンギンはいつも通り新聞を広げて自分の席についている。
元々の酒の強さも関係しているのかもしれないが、責任感の強いペンギンが泥酔するまで飲むことはまずない。
ローにも同じようなことが言えるのだが、シャチたちから言わせてみれば自分たりよりも強い酒飲んでるくせにあの人たちの肝臓はどうなってるんだ化け物か、らしい。
一通り落ち着きはしたが、それでも食欲のなさそうなクルーたちの前に置かれたのは、トマトの雑炊。
ほわり、と香るのはトマトのほのかな酸味。
いただきます、と言って一口口にすれば、あっさりとしていて食べやすい。
次から次へと口に運び、中にはおかわりまでした者も。


「美味しかったー!」


「食欲なかったけど、案外食べれたな」


トマトの雑炊は好評だった。
彼らの二日酔いの定番になってしまいそうだな、と苦笑を浮かべた名前が食器を持ってきてくれたシャチに礼を言おうとしたのだが、名前の顔を見たシャチはカチン、と固まってしまった。


『……………やだ…』


「風呂入るー!!!」


ダッシュで食堂を出て行ってしまったシャチは、そんなことを叫びながら浴場までの廊下を突っ走っていく。
そんな彼の背中を見送った名前は、突然どうした、と眸で語っていたが、ペンギンが気にするな、と食器をカウンターに置く。


「…まぁ、なんだ」


余り匂いは嗅いでやるな


ペンギンのその言葉に名前は首を傾げるしかなかった。



(名前ー!)
(、シャチ?)
(どう!?俺臭くない!?)
(?臭く、ないよ?いい匂い、)
(っ、はぁー…良かったー…)
(???)


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