小説 | ナノ


  眠れない夜が来る



※夢主外科医(あまりにも医療知識が無いので医療ドラマ云々の術式を引用しています。今回は医龍4の第一話のものを引用させていただいています。)


はぁ、と溜息を吐き出し、既に暗くなりつつ医局に戻ってきた。
先程、急患のオペを終えたばかり。
糖分が欲しい、と、いつも簡単なお菓子の入れられている引き出しを開くも、そこにはお菓子の姿はなく。
そう言えばすべて食べてしまったんだった、と溜息を吐き出すが、残念ながら、既に病院内の売店は締まっているだろう。
当直の医師のことも考えて24時間営業にしてほしい…と文句を言いたくはなるが、まぁ、看護師や研修医、同僚たちが差し入れをしてくれるから文句は言わないでおこう。


『…差し入れ、してくれるなら、技術…磨いてくれれば、いいのに』


この病院の噂を聞いたのは、ここに入った後だった。
院長含めて藪医者同然、どうやらまともに技術を持った医師は私一人だけだという話。
最も、私は望んで此処に入ったわけじゃない。
以前いた病院で、院長の娘とやらに濡れ衣を着せられてここに飛ばされてしまったのだ。
同僚たちも看護師たちも私を庇ってくれたけれど、娘に異常に甘い院長の事だ…あまり反抗的になっては彼らもどうなってしまうか分からない。
結局、病院を辞めて私についてくると喚き始めた彼らを宥め、私は一人、この病院に左遷されたのだ。
ここに配属された初日から、それはもう馬車馬の如く働かされた。
カンファレンスに参加していないというのに、見学、という名目でオペ室に入った手術で、まさか執刀させられたり、担当医がいないからと、代わりに処置をさせられたり(ちなみに担当医はトイレに籠っていたという)。
自分の手で命を救えるのは構わないのだが、自分が執刀する回数が多くないだろうか。
そう感じるのに、時間は掛からず…疲弊した様子の私を心配してくれた看護師が、この病院の噂を教えてくれたのだ。
勿論、看護師たちはまともだし、研修医たちも今は自分が育てている状況だからまともな医師になるだろうし、同僚たちも徐々に技術を磨きつつある。
しかし、どうにもならないのが先輩たちだ…左遷されて此処に来たくせに、自分達よりも技術は上、同僚や看護師、研修医たちにも慕われている私が邪魔な存在で仕方ない筈。
まるでそれを表しているかのように、先輩たちからまわされる手術は、馬鹿みたいに難易度の高い術式が多くて。
それでも、海外や以前の病院でそんなものは経験済みだし、困ることといえば、この病院の設備ぐらいだろうか…以前人工心肺が使えなくて、オンビートでやった時は先輩たちの反感を買ったものだ…だったら人工心肺を使わせてくれ、という話なのだが。
ぐぐっ、と背伸びをして体を伸ばす。
長時間同じ体制でいたせいか、体がパキパキ、と音を立てた…今日の当直を乗り越えれば明日は休み、だった筈。
…急な呼び出しが無ければ、の話だけれど。
いい加減こんな病院辞めてしまおうかと思ったことは何度もある…しかし、担当患者のことは放っておけない…幸い、今担当しているのは一人の子供…しかし、ここでは処置が出来ない。
救う為には、多臓器体外摘出腫瘍切除をしなければならない患者なのだ。
彼女の体のことを考えると臓器を体外に摘出していられる時間は精々6時間…しかし、自分一人だけではどうやっても6時間をオーバーしてしまう。
どこか別の病院に移して、処置をさせてくれ、その際数人でもいいから医師を、と院長に提案したのだが、呆気なく棄却。
世界でまだ数例しか成功例が無いことは分かってる…でも、やらなきゃ助からない。
かと言って、私一人では助けられない。


『、ふぅ…』


あぁ、だめだ…暗いと、別のことまで考えてしまう。
カフェオレでも飲もうか、と立ち上がって、自販機のあるところまで歩いていく。
途中、擦れ違った看護師に「カフェオレなら買ってきますよ!」と言われたが、少し息抜きをしたい気分だったから、それを断って自分で買いに行く。
自販機の置いてあるところは、ちょっとした休憩スペースになってて、イスとテーブルが置かれていて、そこから夜景が一望できるから、当直の日はよくここでカフェオレを飲んでいるのだ。


『あ…ブラック買っちゃった…』


まぁいいか、と温かいコーヒーを喉に流し込んでいると、カツカツ、と病院らしからぬ足音が薄暗い廊下に響く。
もう時刻は遅いし、患者の見舞いが来る時間ではない…だったら、この病院内でこんな足音を響かせるのは、一人しかいない。


「あら、名前さん。まだ帰ってなかったの?」


『、えぇ、まぁ(帰るも何も、今日当直なんですけど)』


名前は…何だっけ、忘れてしまった。
この病院の院長の娘…今日もブランドの服に身を包んでいる。
何でこの人は、医師でもないくせにこの病院を闊歩しているのだろう…まァ、院長が許可しているのは目に見えているのだけれど。


「ふふ…相変わらず薄いメイクなのね。今度良い化粧品でも紹介して差し上げましょうか?」


『いえ…結構です』


メイクは濃ければいいってものではないだろうに…貴方みたいな厚化粧はごめんだ。
そもそも私はあまり肌が強くないから、あんな厚化粧をしてしまったら次の日、悲惨になってしまうことは目に見えている。
しかし…今日ここに休憩に来たのは間違いだったかな…私は彼女のことがあまり好きではない…まぁ、これは他の人も愚痴っていたのだが。
親の脛を齧っているくせに、我が物顔でこの病院を闊歩して。
別に私達の仕事の邪魔をしないのならば構わないのだが、時折、看護師を呼び止めて訳の分からない文句をぶちまけているのだと聞いたことがある。
何でも、「私の彼氏に色目を使ってるんじゃない、」といった内容だっただろうか…。
どこか見下した目でこちらを見てくるのが、我慢ならない。
可笑しいな…気は長い方なんだけれど、どうやら立て続けの手術に、ストレスも溜まってしまっているらしい。


『…時間は、いいのですか』


「あらほんとだわ!」


腕時計に視線を落とすとわざとらしくそんな声を上げた彼女。
貴方も彼氏、作った方がいいわよ、と見下したように笑うが、だったらもっとまともな医師を連れてきてくれ、と言いたい。
休日出勤なんてざらなのだ…そんなもの作っている余裕などない。
再びヒールの喧しい音を立てながら去って行った彼女の後姿を見送ることはせず、ぼんやりと夜景へと視線を戻す。
手の中にあるコーヒーは少し冷めてしまった…これを飲み干したら、ロッカーの中の差し入れを取りに行こうと、そう思っていたら。


「フフ…見たぜ、今日のバイパス手術」


『っ!』


背後から掛けられた甘い声。
驚いて後ろを振り返れば、そこには浅黒い肌をした男が一人。
そう言えば、看護師が騒いでいたのはこの男だっただろうか…。
病院内でたまに見かけるが、白衣を着ていないから、この病院の医師ではないことは確かなのだけれど…。


「腹部大動脈切迫破裂をレトロアプローチ…加えてオンビートでの冠動脈バイパス手術」


ピアスをつけた男は、私と同じようにコーヒーを買うと、私と向かい合うように置いてある椅子に腰かけて、何やら箱を差し出す。


「手術の後は甘いもの、だろ?」


『、なんで…』


「看護師から聞いた」


差し入れだ、と言われたそれを受けとる。
くれるというのなら、と受け取ったそれの包装紙を剥がし、中で転がっているそれを一つ、摘まんで口へと運ぶ。
…あぁ、癒される…やっぱり脳を働かせる手術の後は甘いものが必要だ…。
院長の娘と話していたせいで強張っていた顔から、ふにゃり、と緊張が抜けるのが分かった。


「…猫、みてぇだな」


『え?』


「いつも真剣な顔ばかり見てたからな…可愛いじゃねぇか」


『か、かわ、?』


目の前の男は一体何を言い出すんだろうか。
先程院長の娘に馬鹿にされた私を、可愛い?
私はあまり、周囲の言葉を気にする人間では無いけど(それゆえ、友人からは無関心だなんてよく言われる)、まさかこんな言葉が飛んでくるとは思いもしなかった。
思わずぽかん、としてしまった私の手に何かが触れたかと思うと、そこには目の前の男の手が重ねられてて。
自分の頼りない手よりもずっと大きくて、硬くて、温かい。
男の人の手って、こうなってるんだ…と思わずそちらに意識が向かってしまっていると、目の前の男がずいっと顔を寄せてきた。
もう距離は10センチほどしかない…それでもこの眸から目が離せないのは、何故なのか。


「お前に話があるんだが…今から少し抜け「ちょっとロー!探したわよ!」」


廊下の向こうから聞こえてきたのは、あの院長の娘だった。
声色からして怒っているらしい…巻き込まれたくない…恋人の修羅場ほど面倒なものはないから。
そもそも、もう眠ってしまっている患者もいるのだから、そんな大声を出さないでほしいのだけれど…そう考えると、思わず表情が険しくなる。
カツカツとヒールを鳴らしてこちらに彼女が近づいてくると、今度は反対側の廊下から、看護師が走って来た。


「名前先生!急患です!」


『、今、行く』


するり、と重ねられていた手を抜いて、椅子から降りると、何とも言い難い表情でこちらを見ている男に軽く会釈をしてから、処置室へと続く道で待っている看護師を追いかけるような形で走る。
あぁ、折角貰った差し入れ、置いてきてしまった。
処置室へと走る私の頭に残っていたのは、もう、そのことだけだった。



(急患は、)
(近くの交通事故で肋骨に骨折が)
(チアノーゼを起こしてます!)
(、受け入れて、)
((チッ…話しの邪魔しやがって…))
(あら?ロー、それ貴方のカップじゃ…)
(あ?いいんだよ、)
((持ち主を無くしたカップに口を付ければ、何故か、甘く感じた))
title:識別

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