010
今日も朝食の準備をするクジラの傍らで、朝一番のコーヒーを淹れていた名前。
まだ朝早い時間のため、いつも通りの席についているのはペンギン一人だけ。
がちゃり、と甲板と食堂を繋ぐ扉が開けられて入って来たのは、シャチだった。
「ふぁ〜ぁ…」
「あぁ、不寝番ご苦労さん」
昨晩から早朝にかけての不寝番だったシャチ。
サングラスの下の目を眠そうに擦りながら食堂の中に入って来たシャチは、誘われるようにペンギンの斜め前の椅子に腰かけた。
「おー…特になんもなかったぞ…」
「まぁ、そろそろリヴァースマウンテンだ。本番はグランドラインに入ってからだな」
航海士をしているペンギンに聞けば、まだここはグランドラインの入り口であるリヴァースマウンテンの手前らしい。
このまま順調にいけば1日2日でグランドラインに入ることができるという。
いい加減シャツとホットパンツ一枚だけでは着回しがつらく、流石に遠慮していたもののローが貸してくれたパーカーやロングTシャツを着るようになった名前。(ローが内心悶えていたことに本人は全く気付いていない)
『ホットミルク、どうぞ』
「お!あんがとなー」
不寝番の後のこれが唯一の楽しみだ…とほっこりとした顔で(とはいってもサングラスをしているため目は見えないが、見える部分は緩み切っている)両手で出されたマグカップを包み込むようにして持つシャチ。
そんな彼の視線は、自身の隣に同じように座ってカフェオレを飲んでいる名前に向けられた。
「船長、随分気に入ってんのな」
『、?』
「あぁ。船長が本気になったのは久しぶりだ」
「あ、やっぱ本気なんだ…」
こりゃ名前に手を出したらとんでもないことになりそうだ…と冷や汗をかくシャチは、隣で首を傾げている名前の頭をぽすぽす、と軽く撫でる。
酒場の女がかすんでしまいそうなくらいいい女が同じ船の中にいるというのに、手を出すことは許されないなんて。
正に拷問だと心中で思いながら、温かいそれを口にした。
微かに甘いのは蜂蜜を入れているからだと、初めて作ってもらった時に教えてもらった。
なんでも寝る前にホットミルクに蜂蜜を入れたものを飲むのが良いそうで。
いつもならば起きている時間帯に眠るのだから、という配慮のものだろう。
こういう細かいところにまで気を回してくれる名前が入ってくれてよかった…とじんわり温まりながら、冷たくなってしまう前に飲み干した。
「そんじゃ、俺寝るわ」
「あぁ。昼には起きて来いよ」
「わーってるよ」
『おやすみ、シャチ』
「おやすみー!」
上目づかいいただきましたー!という心中での声はきっと彼女には届いていないだろう。
が、付き合いの長いペンギンにはどうやらわかってしまったようで、るんるん、と食堂に入って来た時よりも軽い足取りで出ていくシャチの背中を、呆れたような視線で見送った。
ふとその視線を戻せば、名前も自身と同じようにシャチの背中に視線を向けていたことに気付く。
何か目的を持っているわけではなく、ただぼんやりと眺めているようではあったが。
「どうかしたか?」
『、ペンギン』
「ん?」
シャチが消えていった扉をぼんやりと未だに眺めている名前が、自身と向かい合うように座っている男の名を呼ぶ。
その男の視線は彼女に向けられているのだから、なんとも奇妙な光景であった。
『私の仕事、他に、無い?』
「仕事か?」
『ん…コーヒーしか、淹れてない…』
見かけるたびに何かと手伝おうとはするのだが、船員が大丈夫だと言って手伝わせてくれない。
唯一手伝わせてくれるのが、コックであるクジラだけ。
大人数という訳ではないが、確かに一人ですべての食事の準備をするには少々多い船員のため、彼女の様に料理になれている人間はありがたいのだろう。
しかしそれも手伝い程度。
この船に乗っている以上、自分にも何か仕事を与えられるべきではないのかと、律義なこの子は考えているらしい。
ペンギンは小さく笑ってしまった。
『?』
「あぁ、いや。名前は律儀だな、と思ってな」
なぜ突然そんな言葉が?やら、そう?という意味を含んだ表情と、とれに伴ってこてん、と傾げられる首。
可愛らしいその仕草に小さく口角を上げたペンギンは、そうだな、と新聞を持っていた片手を自身の顎にそえる。
かさり、と支えを失った新聞が机にもたれかかった。
「仕事な…船長の傍にいてくれれば、船長の機嫌がいいからそれだけで十分なんだが…」
そんなペンギンの呟きもしっかりと聞き届けた名前は怪訝な表情を浮かべるとともに、そんなのは仕事とは言わない、と珍しく感情を含んだ声を発した。
「まぁ、そうだよな…」
仕事、仕事か…
洗濯は、船員たちが恥ずかしがって彼女に仕事をさせようとしないし(「汗くさいかもしれねえだろ!」やら「下着なんて見せられるかァ!」という必死の叫び)、出航準備云々は力がいる。
名前がチャクラとかいうやつで力を強化すればいくらでも怪力になれるとは言っていたが、またうちの船員どもが「女の子にそんなことさせられねえ!」とか言うだろう。
それに掴む縄は、既に掴みなれた男の固い皮膚をした手ならなんてことはないだろうが、名前の手のひらの皮膚はそんなに厚くない。
まるで貴族の娘であるかのような手をしていて、本当に戦いの中に身を置いていたのか疑問に感じるほどだ…手袋をすれば幾分かましになるかもしれないが、彼女の衣服を購入できていない今、手袋なんて都合のよいものもあるわけがなく。
ううん、と唸り始めたペンギンが出した答えの視線の先にいたのは、やはりコックのクジラだった。
その視線に気づいたクジラが、ニッ、と口角を上げ、手に皮がむかれて一口サイズにカットされた果物の載った皿を持って、2人のいるテーブルの方に出てきた。
「そんなに仕事が欲しいなら名前、俺と一緒に厨房担当にならねえか?」
『、厨房、?』
「あぁ!みての通りうちにはコックが俺一人しかいねえ。名前が手伝ってくれりゃあ、楽になるし料理のバリエーションも増えそうなんだが、」
どうだ?と、ペンギンが望んだ言葉をそのまま口にするクジラ。
特に裏で合わせたということはないのだが、相手の意図をくみ取ることの上手いクジラだからこそなせる技だろう。
名前はクジラの言葉に、ぱち、と長い睫を伴いながら大きな眸を瞬きした。
『いいの、?』
「あぁ、勿論」
「なら名前はコック兼戦闘員、だな」
ペンギンとクジラのその言葉に嬉しそうに小さく笑う名前。
声が無感情であるせいで案外表情に出ると言われる名前だが、やはり笑む姿は貴重のようで。
ペンギンとクジラは彼女の笑みに悶えながらも、しっかり忘れないようにと目に焼き付けたのだった。
「と、いうことに決まりましたので」
「…どういうことだ。俺は許可してねぇぞ」
こつこつ、とクジラと共に忙しそうに動き回る名前。
コックも料理も美味いが美人が作る料理はまた格別だよな!というクルーの声にクジラの投げた包丁が壁に突き刺さる。
それに青ざめて、料理をかき込むと自分の持ち場へと走っていく。
船に乗って数日、そして仕事を与えられた今日。
クルーたちのそんな悪ふざけが、彼女が早く馴染めるようにという配慮によるものであるということは何となく察していた名前は、彼らのやり取りを時々笑いながら見ているだけだった。
「いいじゃないですか。本人も仕事が欲しいって言っていましたし、クジラも一人だけでは負担が大きいですので」
「…朝、起きた時にベッドにあいつが居ねぇ俺の気持ちを考えろ」
「今のところ毎日じゃないですか」
ペンギンのその言葉にぐうの音も出ないロー。
そんな彼に、にやりと笑ったペンギンが声を潜めた。
「まさか、お前がそんなことを言う日が来るなんてな。娼婦の女と同じベッドで朝を迎えた瞬間、相手を殺っちまったお前が」
「…どういう意味だ」
「いいや?本気なんだな、という意味だ」
「…フン」
「まぁ、俺もどこぞの馬の骨とも知らない女なら文句は言ったが、名前ならば何も言わないさ。見守っててやるよ」
「ムカつくな、その上から目線」
「くく…名前は強いがいろんなものが欠けてる。お前が補ってやるんだろう?」
「…フフ、せいぜい俺好みの女にしてやるよ」
挑発的な笑みを浮かべたローは、クジラの手伝いを終えた名前を呼んでそのまま甲板へと出ていく。
残されたペンギンは彼女の淹れたコーヒーを口にして、2人の消えていった扉に小さく笑った。
「人間臭くなってきたな、ロー」
俺は、それが嬉しい
(…にしても、好みの女にする、か)
(どうかしたか、ペンギン)
(いや…ワノ国に、そんな内容の話があった様な、)
(あー…っと、あれだろ?ヒカル、ゲンジ?だったか?)
(…そうだ、光源氏計画だ)
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