小説 | ナノ


  009



日が昇って数時間後。
いつもと然程変わらない時間に目を覚ましたローは、もぞりという緩慢な動作でその上半身を起こした。
着ているのは、いつものパーカーではなく黒のロングTシャツ。
細い彼の体にフィットするような形のそれと、下には動きやすいスウェットを着た彼は、腕の中に有る物の異常な軽さに視線を落とした。


「…なんで枕とパーカー…」


腕の中にあったのは、昨晩、彼女が頭を預けていた枕と、貸していたパーカー。
彼女の本来の服が置いてあった机の上を見れば、それらは忽然と消えていて。
きっと着替えて先に起きていったのだろうと自己完結したローは、小さくため息をついて腕の中にあったそれらをベッドの上に落とした。


「(なんだ…この虚無感…)」


きっと自分に枕とパーカーを持たせたのは名前だろう…間抜けなところを見られた。
小さくため息を吐き出したローは、顔を洗おうと漸くベッドから離れたのだった。


がちゃ、


「あ!おはよーキャプテン!」


「あぁ」


「相変わらずの時間ですね、おはようございます」


「、ペンギンか」


食堂に入ってきたローを一番に出迎えたのはベポで、ベポの大きな声につられるように近づいてきたのは航海士のペンギン。
どうやら今後の航路について話し合いたいことがあるらしく、手には海図とコーヒーを入れるマグカップを持っていた。


「名前は随分早くに起きてきましたが」


「あぁ…そうみたいだな」


「まぁ、本人も癖みたいです」


いつもの席に歩を進めてそのままどかり、と腰を下ろせば、かちゃりとコーヒーが出された。
ただその手は、クジラの様に健康的な色ではなく、色白で、強く握ってしまえば折れそうなくらい細く、爪は桜貝のように丸く、淡い美しい色をしていた。


『おはよう、ございます』


「あぁ…はよ」


「コーヒーは名前が淹れてくれたんですよ」


そう言ったペンギンが持っていた空になったマグカップを、何も言わずとも手に取った名前は小さく笑って、そのままキッチンの方へと引っ込んでいく。
ペンギンの分も入れに行ったのだろう。
自身のマグカップから香る香ばしいそれは、確かにいつもと少し違うような気がする。
クジラの物も十分美味いが、なんとなく、こちらの方が好み様な気がしないでもない。
手に取って口にすれば、いつもと違う味。
インスタントではなく、態々コーヒーミルやらサイフォンを使ったから、入れる人間によって味が変わるというのは何となくわかるが、それでもこんなに変わるのか、と一息ついたローは感心したように黒い水面を見つめる。


『…美味しくない、ですか』


ことん、と今度はペンギンの前に置かれたマグカップが音を立てる。
無感情に近いその声の持ち主の顔を見れば、眉尻が下げられていて、不安そうな表情を浮かべている。
腕を引いて隣に座らせたローは、ぽすぽす、とその小さな頭に手を載せた。


「美味いよ。そんな不安そうな顔すんな」


『、良かったです…』


「あと、敬語」


『あう…』


こつん、と頭を小突きながら言えば、小さく声を上げる名前。
畏まらなくたっていいんだぞ?と声をかけてくれるペンギンも、助け舟を出してくれる気配はない。
今朝の時点では、クジラにもペンギンにも敬語を使わずに話せていたのだが、やはり“船長”という立場であるローに、敬語も無しに話すのは少しばかり抵抗を感じる。
3代目にも4代目にも綱手にも、たどたどしいながらも敬語を使っていたからかもしれない。


「次第に慣れるさ。最初は言いづらいだろうが、少しずつ練習してた方がいい」


そう口元に笑みを浮かべたペンギンが、美味しそうにコーヒーを口にする。
確かに、敬語に慣れてしまえば、其れこそ無くすことの方が難しい。
だったら初めから、敬語を付けないようにする練習をした方がいということなのだろう。
下手に反論してみても、昨日の様にローとペンギンに説き伏せられてしまうのは簡単に想像できたし、何より、昨日“ローさんと呼んでもいい代わりに敬語はなしにする”と約束してしまったのだ。
律儀な性格をしている名前は、一度交わした約束を無碍にできるような人間ではない。
諦めたように小さく息を吐き出した名前に、2人は笑う。


『…ローさん、美味しい?』


「くくっ、あぁ、美味い」


「これからコーヒーの係は名前になりました」


「そうか」


クジラもクルーたちの食事の準備で忙しいですから、と付け加えたペンギンが、漸くがさり、と海図を広げる。
これから航路についての話をするのだろうと察した名前が、甲板にでも行こうか、と腰を上げれば。


「甲板か?」


こくり、


「今日は日差しが強ぇ。帽子貸してやるから被っていけ」


そう言って被せられた、ローのもこもこの帽子。
名前が被るには大きいそれは、前に傾けば彼女の眸を隠してしまう。
手で軽く押さえながらでないと、前が見えない。
いいの?という視線は愚問だったらしく、フフ、と小さく笑ったローに見送られるまま甲板へと続く扉をくぐった。


「…お気に入りのものは誰にも貸さないんじゃないのか?」


「くく…アイツもお気に入りだからな」


「それ以上のくせに、よく言う」


「ゆっくり、な…アイツは俺のものだ」


「久しぶりに見たな、ローの本気は」


「馬鹿言え、俺はいつでも本気だ」


くつくつ、と笑いながらそんな会話がされていたとは、流石の総隊長も気づかぬまま。


「あ、名前ー」


ぶんぶん!と手を振るベポ。
甲板の手摺の所に腰掛けたキャスケットは上半身をひねって顔だけを名前に向けた。
手には釣竿…どうやら釣りをしているらしい。


「あれ、それ船長の帽子か?」


『日射し、強いからって…』


天気、いい…、とそんなことを呟いている名前。
ベポはよかったねー、なんて呑気なことを言いながら、一緒に昼寝をしようと誘っている。
名前もどうやらその誘いに乗るらしく、ごろん、と寝転がったベポを言われるままに背もたれにして座り込んでしまった。
逆にキャスケットは、「(えぇぇぇぇええ!?)」と内心奇声を上げていたのだが、残念ながらそれに気付く人間は近くにはいなかった。


「(キャプテンが私物を貸す!?嘘だろ!?船長の刀だって、ベポ以外触らせてもらえないのに!?)」


そう、ローが島に降りるとき、ベポに時折持たせている大太刀、鬼哭。
あれも決して貸しているわけではないが、暗黙の了解で、触れるのは持ち主であるローと、彼のお気に入りであるベポの2人だけとなっている。
船長という立場故か、食器なども共有することはないし、彼の私物を占める大半の書物は、クルーたちには難易度が高すぎて、そもそも借りようとする人間がいない。
基本的に私物は自分で管理し、誰かに貸したりする光景も見られることもなく。
それでも、以前出しっぱなしにしていたローの医学書にシャチが誤ってコーヒーを零して汚してしまって以来、余計に彼が他人に物を貸したりすることはなくなった。
そんなローが、名前にお気に入りの帽子を貸した。
初めは彼女を気に入ったからこの船に乗せたのだと思っていたのだが、もしかしてそれだけじゃあないんじゃ…?
そう察したシャチは、そろり、と視線をベポと共に昼寝をしている名前へと向ける。
大きい帽子は彼女の顔を目深に隠しているため、起きているかどうかは分からないが…。
ペンギンから名前が忍であるということは聞いていたが、如何せん、どういうものか分からず、結局ペンギンの知識に頼ることになった。


「(気配に敏感なんだろうなー…寝てるならちゃんと寝かせてやりたいし)」


ローの判断で彼女の元の世界の説明はしなかったが、それでも過酷な日々を送っていた、ということだけは話された。
そうすれば、自然とゆっくりさせてやりたいとは思うものだ。
いくら海賊船で、戦いは避けられないとは言っても。



((ペンギン曰く、一級品かー))
((そんな彼女を簡単に仲間に引き入れちまう船長は))
((やっぱり、最高の船長だ!))
(どこまでもついていきます船長ー!)
((一人だけど…なんだろ、楽しそう…一人なのに…))


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