008
あれ…、あったかい…
『ん、…?』
まだ早朝、というよりも薄暗い時間、習慣でいつもと変わらぬ時間に目を覚ましてしまった名前は、自分以外の誰かのぬくもりのあるベッドに首を傾げる。
そしていつもも眠っているベッドよりも寝心地がいい…ふかふか…と、寝ぼけているせいか、うまく働かぬ頭でそんなことを考えながら真っ白なシーツを白く細い指でなぞる。
別に前のベッドに文句を言っているわけではない…備え付けのもので適当にシーツを変えただけだったから、硬くなってしまっていただろうし。
もぞ、と身じろぎをしてから起き上がろうとしたのだが、何かに抑え込まれているように動くことができない。
一瞬にして目の冴えた名前の視界に入ったのは。
『……』
静かな寝息を立てる、ローの顔。
眠っているからか、いつものあくどい表情は身を潜め、あどけなく見えてちょっと可愛い。
と、いうか。
『(出会って数日で同じベッドで眠るってどうなんだろう…)』
まぁ、基本里に帰ってる間はカカシと一緒に眠っていたし。
人付き合いは全くと言っていいほどしてこなかったくせ、にスキンシップの激しかった彼のせいでそこら辺の感覚が疎くなってしまった名前は、もぞもぞ、と器用に身じろぎをしてローの腕の中から抜け出す。
見るからに寝不足のその顔は眠っているのに、歪められ、「んー…」と若干掠れた、甘いような痺れるような低い声で唸りながら、包み込んでいたものを探す様に腕がかすかに動く。
名前が、自分の頭を預けていた枕を挟み込むと。
ぎゅううううう
『…おぉ』
枕じゃなかったら窒息死しそうな勢いだ。
折角のフカフカの枕を潰すように抱き締めたローからは、先程の不満そうなうめき声は消え、表情も若干安らいではいるものの、どこか、寝起きに見たあのあどけない、気持ちよさそうに眠る顔とは少し違うような気がした。
…枕じゃだめなのかな。
何かないかと部屋を見回せば、医学書やら論文が乱雑に置かれているテーブルの上に、見覚えのある服が。
どうやら洗濯をして乾いたものをわざわざ持ってきてくれていたらしい。
ぺたぺた、と床の上を裸足で歩いて服を手に取った名前は、ベッドの上で眠っているローを一瞥してから、船長室に備え付けられているシャワールームへと。
いくら眠っているからとはいえ、流石に目の前で着替える気は毛頭ない。
ローから借りたパーカーを脱ぎ、綺麗にアイロンまで掛けられたシャツとパンツ、オーバーニーを履いて、ヒールに千本が入っているのを確認してから靴を履く。
ローのパーカーはなかなか心許無い格好だったから、ようやく一息つけた。
に、しても。
『…暇』
向こうにいる時は、任務任務で忙しかったし、こっちに来てからは、料理仕込みで毎日忙しかった。
ベッドにぽすん、と腰かけ、手に持っていた脱いだパーカーを隣に置いて、少しぼんやりとする。
『…私は、死んだ、』
そう、確かに死んだはずだ。
そして、こちらの世界へとやって来た。
生への未練が全くなかったわけではないけど、大蛇丸も暁も始末出来た、木の葉は勝利をおさめ、忍の世界の動乱は鎮まった。
直接見たわけではないが、あの勝利の歓声が答えだ。
ささやかな餞別として季節外れの雪を…元々チャクラを消費していたのだが、もしかしたら天候を変えたことが一番のチャクラ消費の原因だったかもしれない。
見事にチャクラ切れになった私はそのまま死んで。
と思ったら、こちらの世界に来てしまっていたのだ。
向こうで命を落としたのが20代半ばかそれ以降…暗部の総隊長になってから年を数えるのを止めてしまったから、よく分からないけど。
こちらに来た時の体は縮んでいて、20代ではないことは確かで、多分18かそこら。
体が少々縮みはしたが、使える忍術も技術も、向こうで最期を迎えた時と変わらないから問題はないし、血継限界による白眼、写輪眼、輪廻眼も問題ない…輪廻眼はあまり使わないけれど。
ただ一つだけ、変わったことがあったのは。
「ん…」
『、』
する、と手に触れていたパーカーが引っ張られ手から離れた感触に視線をそちらに向ければ。
『!、…ふふ、』
枕と一緒にパーカーを抱きしめて眠りこけるロー。
表情は穏やかなものになっていて、やはり枕では物足りなかったんだろうな、と小さく笑った名前は、少しずつ明るくなり始めている窓の向こうにわずかに目を細めると、ベッドから立ち上がって、ローを起こさないように静かにそのまま彼の部屋を後にした。
「ふわぁ…」
『おはよう、ございます』
「うおっ!」
眠そうな欠伸を零したクジラに声をかけた名前。
びっくりしすぎて眠りの吹き飛んだクジラは彼女を振り返りながら、おはようさん、と返した。
「ありゃ、持ってきてくれたのか?別によかったのに…」
『体、動かさないと…落ち着かない』
「はは!根っからの仕事人間だなぁ。ま、ありがとな」
かちゃかちゃ、と僅かな音を立てるものの、落ちる気配のない食器やグラスが名前の腕に大量に載せられている。
シンクの中にそれを置いて、スポンジを取り洗い始めた名前に、クジラが俺がやるよ!とは言うものの、彼には彼の仕事がある。
『昨日、嬉しかったから』
これくらいしたいのだと、言葉から感情は察せられないが眸は嬉しそうに緩められていて。
それなりに年を喰って、彼女の父親ぐらいの年であるクジラは、其処で空気をぶち壊すような野暮な男ではない。
「そっか。じゃあお願いするな」
美味い朝飯作ってやるよ、と笑ったクジラに僅かに口角を上げた名前は、結い上げられた銀髪をゆらゆらと揺らしながら、手際よく食器を洗っていった。
名前が口下手、と言うこともあり中々会話は弾まないが、2人の間には穏やかな時間が流れていて、彼女が最後の一枚を洗い上げたところで、タイミングよく食堂に続く扉が開けられた。
「はよ、クジラ、」
「おー、はよー。朝食もうちょっと待ってな」
「あぁ。お、名前、早いな」
『おはよ、ペンギン』
目深に被られた帽子のせいで顔の半分は見えないが、見えている口元が笑みながら名前におはようと返す。
椅子に座るかと思いきや、そのまま甲板へと出て行ったペンギンは、新聞片手にすぐに戻って来て、今度こそ椅子に座ると、ばさり、と新聞を広げた。
「名前ちゃん、コーヒー淹れられるかい?」
ペンギンに出すのだろう、と思いながら頷いて見せた名前は、クジラが名前ちゃんも飲んでいいぞと言ったので、彼に教えてもらったコーヒー豆をガサガサと棚から取り出し、道具も一緒に机の上へ。
コーヒーミルにサイフォン、ちゃんとした道具が揃っている。
「船長は朝はそれしか飲まねえからな、コーヒーにはうるせえんだ」
『コーヒーだけ…?』
「起きてくんの遅えんだ。普通に食うと今度は昼飯入んなくなっちまうからよ」
人のこと言えないよ、ローさん…と心中で思いながら取り出された道具に視線を落とす。
店の物とは違うけど、いい香り…なかなかいい豆、コーヒーにうるさいだけある。
ごりごり、とコーヒーミルで豆を挽き、サイフォンで抽出。
コーヒーを淹れるのは好き。
見ているのも音も好きだし、どことなく穏やかなこの雰囲気も気に入ってる。
ぽちゃんっ、とある程度溜まったものを、サイフォンからマグカップへ注いで、それをペンギンへと持っていき、向かい合うように腰かけた。
「ありがとう」
『、いえ…味が違うから、もしかしたら、』
「香りがいいな…名前が淹れたのか」
こくん、と頷いた名前に目を細めたペンギンがマグカップに口を付ければ、お、とどことなく嬉しそうな声を上げた。
「美味い」
『!』
「じゃあこれからはコーヒーは名前ちゃんに淹れてもらうか!」
コーヒーは基本、飲みたい人間が入れることになってはいるのだが、如何せん態々コーヒーミルを使って豆をひいて、サイフォンで抽出なんて面倒なことをやりたがろうとはしないため、そう言う彼らはインスタントを利用する。
豆から淹れるのはローとペンギン、インスタントは邪道だと豪語するコックのクジラの3人だけであった。
まぁそれくらいの少人数ならば、と頷いた名前は、自分の前にあるマグカップに口を付けた。
(…美味しい)
(船長が態々取り寄せてるんだ)
(!、わざわざ)
(前にシャチが別のコーヒー豆手配した時は目も当てられなかった)
(いつもより細かくバラされてたな…戻すこっちの身にもなってほしいものだ)
((…ペンギンって、なかなか、うん…))
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