小説 | ナノ


  モノノ怪=座敷童子01=



ふらりふらりと各地を回る。
一所にとどまるなんてことは決してしない、してこなかった。
だって私は、周りとは違う。
人間とは違う。
かと言って、あやかしとも、ましてモノノ怪とも違う。
果たして私はいったい何者なのだろうか。
そんな疑問を初めて抱いたのは、一体いつの話だったか。
遥か昔、もう記憶の彼方。
いつまでたっても見いだせぬ答えが、いつの間にか、私の生きる意味となっていた。
何処で生まれたのか、年齢を重ねぬこの体でどうやってここまで成長したのか、このまま死ぬことはないのか。
自分のことだというのに、私は何一つ知らない。
そんな私が、唯一知っている、私のことといえば。


『私が、死ぬのは』


この世に、私を知っている、覚えている何もかもが、なくなった時、


―――私の縁が、全て、絶たれた時。


座敷


ザアザアと降りしきる雨。
色鮮やかな番傘が差されている中、たった一人、真っ黒な傘を差して居る女が一人。
背中には荷物であろう小さな包み。
まるで近場に出掛ける程度にしか見えぬその荷物の量は、全く旅人には見えない。
着ている着物は真黒で、まるで闇に溶け込んでしまいそうだが、その白銀の髪と紅の眸は、闇に溶け込まず、寧ろ生えてしまうかのような輝きを魅せている。
そんな彼女の足を止めたのは、一軒の宿。


「―――一晩、宿を、お願い、したく」


歌舞伎ものであるかのような派手な格好。
だがそれは、どこか浮世離れした彼の雰囲気に、酷く似合っている。
女将が顔を染めるほど見目麗しい男は、どうやら薬売りであるようで、ふわりと薬の香りを漂わせている。
薬売りと呼ばれた男が帳場にて受付を済ませた後、きぃ、と小さな音を立てて洒落た扉が開けられた。


「、」


『一晩、よろしいですか』


「うほぁ〜…こりゃ別嬪さんがきたなぁ」


アンタで丁度満室だ、と教えてくれた帳場の男は、新たな来客に目を見張っている。
薬売りも滅多に変えることのない表情を僅かに驚きに染めているが、見られている彼女は首を傾げるだけで、開いていた傘を閉じて、帳場へと歩む。


「名前は?」


『名前と、申します』


「名前も綺麗だねぇ」


男がそう褒めれば、彼女は少し居心地が悪そうに苦笑を浮かべるだけ。
帳簿に自身の名前が書かれたのを見つめていたら、薬売りと共に男に部屋に案内してもらうことに。
奥まったところの2つの部屋。
手前が薬売りで、一番奥が名前と名乗った彼女の部屋。
そんじゃあ俺は、と帳場へと戻っていった男を見送った名前の視線は、今度は薬売りへと、正確には、その背に背負われている大きな薬箱へと向けられていた。
薬売りの視線も、彼女へと向けられている。


「あなた…」


何者、ですかい…?


薬売りのその問いに目を細めた名前は、その問いには答えなかった。
代わりに、艶やかなその桜色の唇で問う。


『…貴方こそ、その刀で』


何を、斬るのですか?


薬売りはその言葉に、瞠目するしかなかった。


『ふふ…ここにも、いますね』


そう、少し悲しそうな顔をした美しい娘。
おやすみなさい、と言い残して、自分に与えられた部屋へと入っていった。


「…あの、娘は…」


かたん、と小さな音を立てた退魔の剣は語る。
彼女は


人間でも、あやかしでも、モノノ怪でも


何者でもない、と


***

『ん…?』


何やら、帳場のあるあたりが騒がしい。
何かあったのだろうか…いつもならば気にはしないのだが、何やら胸騒ぎがする。
雨のせいか少し冷えるため、何処にしまってあったのかわからぬ羽織を一枚はおる。
かちんっ、と艶やかな銀髪が留められた耳元で、2つの簪がぶつかり合った。


「お金はあります、この土間だって構いません!」


一人の女が、帳場の男に詰め寄っている。
どうやら随分と切羽詰っているようだが、帳場は閉めちまったし、部屋も満室だと男も断ろうとしているのが眼下に見えた。


『(あの人…お腹に子が…)』


「もしかして」


「そうだよ。お宅とそこのお嬢さんで満室さ」


ちら、と女将の視線が、様子を見に来た名前をとらえる。
彼女が小さく会釈をした後、女将は何事もなかったかのように薬売りに説明をねだっている。
何時になっても良い男に寄っていってしまうのは。


『(女郎の、性、か…)』


僅かに目を細めた名前は、その視線を再び下へと向けた。
とうとう見ていられないと言わんばかりに出て行った女将とひともんちゃくあったようだが、女は無事、この旅籠に泊めてもらえることになったらしい。
…何か、その部屋に問題があるらしいが。


『…女郎屋、か』


つぅ…と名前の指が、手すりを滑る。
傍から見ればそう見えるのだろうが、小さく笑みを浮かべる彼女には別のものが見えていた。
きゅっきゅっ、と不思議な声を上げてその細い指にじゃれついてきている、小鬼の姿。
絵巻に書かれているものよりもずっと可愛いそれを肩に乗せ、帳場であった出来事に興味を無くしたかのように足を翻した名前は、自身の部屋に戻っていく。
その後ろ姿を薬売りが見詰めていることに、気付きながらも。


『ふふ…視線が鋭くて、困るね』


きゅぅ、


『部屋に行こう…この建物のこと、教えてくれる?』


きゅ!


まかせろ!と言わんばかりに胸を張った小鬼に小さく顔を綻ばせた名前は、小さな足音を立てながら部屋へと戻っていった。


『ふぅん…なるほど…』


小鬼から話を聞き終えた名前は頬杖をついて、小さく笑みを浮かべる。
ご褒美だと部屋に準備してあった菓子を一つ小鬼に差し出してやれば、きゅっ!と嬉しそうにそれを頬張る。
ぐりぐり、とその小さな頭を指先一つで撫でてやればうれしそうにそのひとつ目を細めて笑ってみせる。


『女郎屋、堕胎、壁一面の、ややこの墓…』


なるほど、この旅籠に蔓延る気配は。


『座敷童子、か』


きゅ!


うん!と言わんばかりの返事をしたその子に小さく微笑めば、少し照れたように頬を染める小鬼。
あやかしとの意思の疎通は可能だが、モノノ怪とは不可能…人の負の感情を結びついてしまった、哀れな魔羅の鬼と化してしまう。


『さて…寝る前に、厠にでも行こうかな…』


貴方もお帰り、といえば、小鬼には大きいお菓子を完食し終え、満足そうな声を一声上げて、すう、とその姿を消してしまった。
自分の部屋を出て廊下を歩けば、たん、たん、たん、と自身の足音だけが響いている。
厠に行って戻ろうとしていると、手に握り飯の載ったお盆を持った女将と鉢合ってしまった。
そのまた向こうからは、女将を呼ぶ声。
…どうやら面倒な場面に出くわしてしまったらしい。


「…お前さん、少し頼んでもいいかねぇ?」


『…内容に寄りますが』


「大丈夫だよ。最上階で寝ている客に、握り飯を届けてもらいたくてねぇ」


ほら、あの騒ぎになった客さ。


名前の視線が、女将の向かおうとしていた先にある階段へと向けられる。
僅かに漏れだす、モノノ怪の気配。
どうせなら、斬ってしまおうか。
女将からお盆を受け取り、階段をまっすぐ登ればいいと告げられた名前は、赤い階段を上っていく。
ぞわり、とした悪寒が徐々に強くなっていくのを感じながら上がっていくと、前方に気配を感じた。


『、あ…』


「おや…これ以上上がると、危ないですぜ…?」


『握り飯を、女将さんから頼まれてしまったので』


「…あの女将も人が悪い」


薬売りはその端正な顔は、無表情というよりは若干顰められているように見えたが、その顔に施された化粧のせいで元の表情は読みにくくなっている。
ふと、壁一面に貼られた多くの札に視線が向いた。


『…結界、ですか』


「分かりますか?」


『少しだけ、ですよ』


「…貴女、特殊な御仁の、様で…」


『…貴方こそ』


ふっ、と互いに小さく笑いあったその瞬間、壁に貼られていた札が一気に赤くなり。


「…来た」


薬売りが小さな声でそう呟いたかと思うと、名前の腕を掴んで一気に階段を駆け上がる。
思わず手に持っていた握り飯を落としてしまったが…まぁ、あの子鬼達が食べてくれるだろう。


「貴女、力、あるんでしょう…?」


『…気付いてる、癖に』


私が人間じゃあ、無いこと。


彼女のその鈴を転がすような声に薬売りが小さく笑ったのに気付いたのは、薬売り本人だけ。


「うわぁぁああぁぁああ!!!」


旅籠全体に響き渡るようなその悲鳴。
さあ。


賽は、投げられた。

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