小説 | ナノ


  目を醒ました悪夢



※悪夢から救い出しての続き

あの訳の分からない夢を見てから一体何日たっただろうか。
既に私の中からあの夢の記憶は薄れ、殆ど何があったのかを思い出すことさえ困難になっていた。
夢なんてそんなものだろうと思いつつ、今日は読み終わった本を返しに一人図書館に来ていた。
東亜が送ってってやろうかと聞いてきたけど、今日は何となく歩きたい気分だったので断ったから、きっと彼はパチンコにでも行っているのだろう。
元々ギャンブラーだからそれは普通だろうし、別に私は東亜がギャンブルをやっていたってなんとも思わない。
まぁそれは、東亜が負け無しだからと言う事も関係しているのだろうけれど。


『返却お願いします』


「はい、確かに受け取りました」


貸し出し用の袋に入れていた本をカウンターに置いて、いつもの自分の指定席に向かう。
ピッ、とバーコードを読み込んでいる音が背後で聞こえたあと、ぱたぱたと少し慌しげにこちらに足音が向かってくるのが聞こえた。
何事かと振り返れば、受付の女性が声を掛けてくる。


『どうかしました』


「苗字名前さん、ですよね」


『そうですけど…』


「良かった。貴方にって預かっていた物があるんです」


『私に…?』


「はい。お帰りになる際にカウンターにお越し下さい」


お渡ししますので、とにこやかに言い残していった受付の彼女の背中を見送る。
はて、自分は誰かに預け物をされるようなことをしただろうか。


『(…してない、よな)』


最近の自分の行いを振り返ってみても、思い当たることはない。
患者からのお礼の品は大抵彼らの退院時に受けとる、というか患者に私が此処に通っていることを知っているのはあまりいないはず。
隣近所やお店の人から時々貰い物をするけど、近所の人は直接家に来るし、店の人は私が買い物に行った時におまけしてもらう。
誰とも図書館で受け渡しをするようなことはない。


『…なんか、気味悪いな』


その預かり物がなんなのかは分からなかったけれど、何となくそう感じた。
図書館に預けていくと言う事は、私の家を知らないと言う事。
それでも、私が此処に通っていると言う事は知っているということ。
でもそんなことで人を絞れるわけもなくて、直ぐにその相手が誰なのかなんて詮索は止めた。


『あ、新刊』


私の意識は新しく入荷された本に持っていかれて、受付の彼女が言っていた預かり物のことを頭から追い出した。
折角好きな本を借りに来ているのだから、そんな気味の悪いことに思考を割くのは勿体無い。
適当に目が行った本を数冊手にとって、奥へと歩を進める。
その時僅かに感じた、ねとりとした視線。


『、?』


足を止めて振り返ってみたけれど、人の姿はなくて。
私の勘違いかと思って、いつもの定位置に座って本を開く。
それからの時間はあっという間で、本を閉じたついでに腕時計を見下ろすと、時刻は昼に近づいていた。


『…いけない、もうこんな時間』


そろそろ帰って昼食の準備をしなければ。
作り終えた頃には東亜も帰ってくるだろうし。
手に取った数冊のうち2冊を借りるためにカウンターへ立ち寄った。


「お帰りになられますか?」


『はい』


貸し出し用の袋に入れてもらった其れを受け取ると、彼女は少し待っててくださいといってカウンターの奥に入っていった。
そういえば預かり物があるとか言っていたな…何なんだろ。


「これです」


『、っ』


ひゅ、と自分の息が詰まるのが分かった。
彼女が持っていたものから目が離せないけれど、酷い嫌悪感を抱いてしまう。


「紫の薔薇なんて、何かの漫画みたいですね」


『そう、ですね』


声が震える。
なんだ、どうしてこんなに身体が。


「このミステリアスな感じがなんとも…この図書館飾り気がないから」


『…よかったらどうぞ、此処で飾ってください』


「え?でも、」


『いいんです。この間お花貰ったばかりで、あっても飾れないし…』


咄嗟にでっち上げた嘘。
彼女は其れを信じたのか、ありがとうございます、と笑って鼻歌交じりに再びカウンターの奥に引っ込んでいった。
それじゃあと声を掛ければ、「またどうぞー」と上機嫌な声が返ってくる。
対して私の気分は急降下、というか身体の震えが止まらない。


『はは…何かの嫌がらせかな』


そう苦し紛れの笑いを浮かべてみるけれど、私の脳裏には確かに甦ってしまった。
紫色の薔薇の鋭い茨の茎に心臓を貫かれそうになった、あの気味の悪い夢。



(きっと何かの偶然)
((そう言い聞かせないと))
((この恐怖心に、身体が支配されてしまうような気がして))
title:千歳の誓い



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