小説 | ナノ


  005



見開かれた、澄んだ金色の眸。
その眸が映したのは、考えられない行動だった。


「名前、俺は、お前を信用に値する人間だと思ってる」


上半身を手すりの向こう傾けたかと思えば、そのまま、まるで重力にあらがうことなど忘れたかのように真っ逆さまに落ちていく長身。
落ちる直前、潮風にさらわれるように浮き上がったもこもこの帽子だけが、ぱさりと甲板に置き去りにされた。
ザバンッという音とともに上がった水しぶきに、目を見開いていた名前はベポを振り返る。


『っ、ベポっ、』


「おれたち、手、出すなって言われちゃったから…」


しょぼん、としているベポ。
その視線をペンギンとシャチに向ければ、彼らも肩をすくめて苦笑をしていた。
信じられない、いくら船長に手を出すなと言われたからって…!
悪魔の実の能力者は、その実特有の能力を手に入れられると同時に、海に嫌われるのだという。
つまり、カナヅチになってしまうのだ。
一度海に沈んでしまえば、自力で浮上することは不可能。
動こうとする気配の見られないクルーたちだったが、やはりその視線は心配そうなもので。
あぁ、これはきっと、自分が試されているのだとすぐに分かった名前は、履いていたヒールをその場に脱ぎ捨て、手すりに飛び乗るとそのまま海へと飛び込んだ。


「あーぁ、船長も無理しちゃって…」


「名前が必ず飛び込むと分かっての行動だろう」


「確かに読み通りに飛び込んだけどさ、いくらあんだけ強いったって女の子だぜ?船長抱えて泳げんのかな…しかも着衣水泳だし」


「最悪俺達が飛び込めばいいさ。今回は名前が飛び込むかどうかだけを見る為だろうしな」


甲板でそんな会話が交わされている中。
徐々に暗くなっていく海をどんどん潜っていく名前。
ぶくぶくと漏れる息が気泡になって上に上がっていくのには目もくれず潜っていくと、やっと見えた黄色と黒のパーカー。
力なく投げ出された腕を掴めば、力なく笑うロー。
自分の命を懸けるだなんて、と思いながら、その長い腕を自分の首にまわさせる。
どうやらそれぐらいの体力は残っていたらしい…間に合ってよかった。
片手を離れないようにローの背中に回し、伸ばした右手で、飛び降りる前に手すりに引っ掛けておいたチャクラ糸を回収しながら浮上する。
一気に浮上したら肺胞が潰れてしまうため、ゆっくり、でもできるだけ早く。
徐々に視界が明るくなっていくのに目を細めながら、漸く、海面に辿り着いた。


『ぷはっ』


「おぉっ、上がって来た」


「大丈夫か!」


『だいじょぶ、』


名前の肩に顎を載せていたローが、げほっ、と海水を吐き出し、咳こみながら小さく呻いた。


『船長さん。立て、ますか』


「立つって、お前ここ海の上だぞ…」


『大丈夫』


そう言って、伸ばしていた右手をおろし、沈んでしまう前に海面にその手をついた。
そのままぐっ、と腕を伸ばせば、持ち上がる体。
信じられない、と言わんばかりの表情のローに、ずぶ濡れの名前が声をかける。


『左手だけ、握って』


あとは、普通に。


膝から下は海水の中、まるで椅子に座っているかのような名前の左手を握り、自身も彼女を真似て手をつけば。


「!」


ぴちゃりと、確かに海水の感触はするものの、体重をかけても沈み込むことはない。
そのまま体を持ち上げて、同じように座り込み、足を上げて胡坐になる。


「…すげぇ」


『離さないで、ください。沈みます』


「あ、あぁ…」


ぱちゃん、という音を立てて立ち上がった名前に腕をひかれるように立ち上がったロー。
じっとりと、衣服が海水を含んでいるため怠いことこの上ないが、歩いたことのない海の上を歩いている現実に驚きを隠せない。
クルーたちも一体何が、と言わんばかりに目を見開いていた。


「な、なあ…俺疲れてんのかな…」


「安心しろ…俺も信じられない光景を見ている…」


『ペンギンさん』


「!何だ?」


『ロープを』


「あぁ!今垂らす」


ばたばたと賑やかになる甲板。
するり、と垂らされたロープを掴んだローの足が海面から離れたことを確認して、名前はその手を放した。
彼が昇り切ったところで、垂らされていたロープには目もくれず、海面を蹴って手すりに降り立った名前に、クルーたちは鼻血を吹いた。


『、?』


「…透けてるぞ」


何事?と首を傾げた名前の隣で、ニヤニヤと笑うロー。
白のYシャツは海水に濡れたせいで、ぴったりとその細い体に張り付き、淡い色の下着がくっきりと透けていた。


『!』


「はは、着とけ」


かああっ、と顔を赤くして前を隠した名前の頭に、ずぼっ、と通される、自分のYシャツと同じように濡れたパーカー。
隣を見れば、タトゥーの施された、細身ながらも鍛えられた上半身が晒されていて。
ああああああっ!!、と内心で叫び声をあげた名前は顔を背けると、背に腹は代えられない、と彼のいそいそとローのパーカーを着はじめる。


「風呂に入るまで着てろ。Yシャツ脱いじまえ」


『、いいん、ですか?』


「あぁ。気持ちわりいだろ」


『……』


確かに、パーカーの下にYシャツはカッコ悪いし、何よりこの肌に張り付く感覚が耐えられない。
名前はローのパーカーを着て、もぞもぞと脱ぎにくいYシャツを脱いで甲板に落とし、最後に袖に腕を通す。
案の定大きく、ホットパンツはすっぽりと隠され、指先も出て来ない。
ローからしてみれば七分丈の袖だが、女で彼よりずっと小柄である名前にはちょうどいい長さ。
何も名前の腕が短いわけではない、ローの身長が高く、手足が長いだけのこと。
同じようにずぶぬれになったオーバーニーを脱ぎ、そこらへんに転がしていた靴を履く。


「フフ…なかなかそそるな」


『?』


ローの言葉を理解していないであろう名前が首を傾げるものの、構わないと言わんばかりに小さな頭を撫でる。
向こうで、自分の頭を撫でるのは火影と彼ぐらいだったな、とそんなことを思い出しながら、温かなその感覚を享受していた。
さて、という声とともに離れて行ったその手。
ぽたぽた、と海水を垂らす前髪を軽くよけながら、名前はローを見上げた。


「俺は自ら海に飛び降りた」


そうだな、というローの言葉に頷く。


「そんな俺を、お前は助けに来た」


何故だ?というローの言葉に、詰まる言葉。
何故、とそう言われると、すぐに答えは出て来ない。
周りのクルーたちが心配そうな顔をしていたから?
ベポにとって大切な人だったから?
昨日の客だったから?
目の前で溺れ死にそうになっていたら放っておけないから?
…いや、きっとどれも違う。


「俺はお前を半ば攫うようにこの船に乗せた。そしてお前が住んでいた島を離れた…お前の意志とは関係なしにな。恨む理由としては十分、俺を見捨てて、さっきの能力がお前自身のものだというのなら、この船から立ち去ることも可能だった筈」


だがお前はそれをしなかった…その理由を問うている。


ローの真剣なその目。
名前はぐるぐると回る思考に、終止符を打った。


『……貴方を、死なせたくなかった』


出会ったばかりの人間に、こんな風に思ったのは初めてかもしれない。
火影は自分の上司として、次第に親しみをもって、彼のために仕えようと思ったけど、目の前の男に対しては、何か違うような気がする。
けどそれが一体何なのかは、わからない。


『…あなたは何を、目指しますか』


「“ひとつなぎの大秘宝”」


『ワンピース…』


「お前はあんな酒屋で満足できる質じゃねぇ…そうだろ?」


にやり、と口角を上げるロー。
確かに、あの酒場も悪くはないと思っていたけれど、どうせなら世界をこの目で見てみたい。
向こうでは仕事に忙殺され、たまにある休暇は、敵の術を盗んだり、奥義や禁術習得ばかりに費やしていて、果たしてそれが、本当に自分のやりたいことだったのだろうかと疑問を浮かべることもあった、
これが、そんな自分に与えられた、第二の人生だというのなら。


『世界を、見せてくれますか』


「世界か。俺について来れば、いくらでも見せてやる」


『…ワンピースを、手に入れられますか』


「当然」


眸を閉じて、視界を遮る。
呼吸をして、目の前の男を見上げた。


『分かりました。私も、連れて行って、ください』


「…そうこなくっちゃな」


フフ、と満足げに笑ったロー。
周りのクルーたちも新たな仲間の誕生に、歓喜の声を上げた。



(くしゅんっ)
(うわわ!名前が風邪ひいちゃうよー!)
(落ち着けベポ。俺の部屋からパーカーもってこい)
(アイアイ!)
(ペンギン、風呂場に案内してやれ。ついでに見張り)
(了解。名前、こっちだ)
(う、すみません…)
(はは、もう仲間なんだ。堅苦しいことは無し、な?)
(!、はい)へにゃ
(((可愛いー!)))


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