小説 | ナノ


  二人だけの楽園



ミカサに感じていたものに近いような気はした。


『こんにちは』


その黒髪が被ったけど、彼女のほうがずっと綺麗に見えて。


『知ってると思うけど、改めて。調査兵団、副兵士長の苗字名前です』


どんな宝石と見比べてもその輝きには敵わないだなんて、そんなことを感じてしまうような瞳。


『君の名前は?』


そんな澄んだ声も、桜色の唇も、人形みたいに整った顔立ちも、穏やかな人柄が滲み出るその雰囲気も。


「…訓練兵、ジャン、キルシュタインです」


ミカサとは違う、彼女自身のそれに。
何もかもに、魅入ってしまっていた。


出会いはごくありふれたものだった。
体調を崩した座学の担当教官の代わりに、予定の空いていた副兵長が指名されたというものだった。
もともと調査兵団を希望していた死に急ぎ野郎は、現役の調査兵、しかも兵長に次ぐ副兵士長が直々に教鞭をとるということでいつも以上に落ち着きがなかったような気がする。
周りの連中も、噂ばかりで実際に見たことが無い副兵士長に想像を膨らませていた。
兵長に次ぐ強さなのだから、女を捨てたような兵士だとか、見たことのない美貌を持っているだとか、とてつもなく頭がいいだとか、確証もないそんなことを適当に話していたのを、ただ聞き流していた。


「興味なさそうだね、ジャン」


「お前は興味あんのかよ、マルコ」


「そりゃあ、調査兵団の副兵士長が女性だなんて言われたら少しはね」


マルコは男尊女卑をするようなやつじゃない。
ただ純粋に、副兵長という立場にいる彼女に対して純粋な興味を抱いているんだろう。
勿論俺だって、全く興味が無いわけじゃない。
女ならば到底かなわないだろう力の問題とか、頭の固い上の連中が良く女が上に立つことに納得したなだとか、その程度だった。
なのに、初めてあの人を見た時、俺の頭からそんなことは綺麗さっぱりなくなった。


『臨時で講師をすることになりました、苗字名前です』


思えば、一目惚れだったのかもしれない。
その日の座学の間の内容がごっそり抜けおちている。
決して寝ていた訳ではない…マルコにも確認済みだ…ちゃんと目は開けていたらしい。
…瞬きもしていなかったらしいが。
不思議なことに、抜け落ちているのは内容だけで、名前さんの美しい顔立ちも、細い肢体も、艶やかな黒髪も、澄んだ、柔らかな声も、翡翠の眸も、座学の教科書を持っている細い指も、言葉を紡ぐ桜色の唇も覚えている。
それを思い出そうとすれば何故か顔が熱くなる。
意識していなくても、勝手に浮かんできてしまうことがある。
ふと思い出すと、触れたくなる、聞きたくなる。
そんな自分の感情が分からないほど、俺は子供じゃなかった。
でも、相手はまるで雲の上のような存在だし、調査兵団である以上、いくら副兵士長と言えどもいつ命を落としても仕方ない。
何度も諦めようとした。
ミカサがいるからじゃない、ただ、本気で名前さんを好きになって、もし彼女に万が一何かあったら立ち直る自信がなかった。
もし彼女が死んでしまったら、間違いなく俺も後を追ってしまうと分かっていた。
そんなことを考えている時点で既に手遅れなのかもしれなかったけど、何度も諦めようとしていたのに。
今この状況に、俺は酷く歓喜している。


『君の名前は?』


「…訓練兵、ジャン、キルシュタインです」


『そんな緊張しなくてもいいよ?』


くすくすと小さく、上品に笑う。
あー…くそ…やっぱ好きだ…可愛すぎんだろ。
そんなことを考えていると、目の前の名前さんが俺を見る。


『キース教官から、104期生の中で一番立体機動の扱いが上手いって聞いたから。どんなものか見たくなって』


ごめんね、と小首を傾げるその仕草も酷く様になっている。
恋が盲目とはよく言ったものだ…まさにその通りじゃねえか。


「いえ、光栄です」


『そんなに硬くならなくてもいいのに…私そういうの少し苦手なの。無理にとは言わないけど…あまり年も変わらないしね』


「え?あ、じゃ、じゃあ…名前さんって、呼んでいいすか…?」


『勿論。私もジャンって呼んでもいいかな』


うわああ名前呼び捨て!すっげえ嬉しい…!


『じゃあ早速、良いかな』


「はい!」


いつもは訓練兵全員で訓練をしているから何かと音はするが、今は自分と名前さんだけ。
自分の音の他には、彼女のとても静かな立体機動と、木の枝を蹴る音しか耳に響かなかった。
いつもの訓練通り、木々の間を立体機動で駆け抜け、巨人の模型の項を削ぐ。
思えば一体いつの間に削ぐ部分を装着したんだ?
…まあいいか。
たまに上から聞こえてくる名前さんの要求にこたえて、宙返りをしたり体をひねったり。
訓練でやったことのない動きだったが、多分実践になるとこういう想定外の動きもするんだろう。
そろそろガスがなくなる、と言ったところで元の地点に戻って来たんだが…流石副兵士長、まだガスが残ってるみたいだ。


『うん、キース教官の言うとおりだね』


なかなか光るものがあるよ、と微笑んでくれたその表情に心臓が暴れる。
名前さんに魅了されている人間は少なくないって聞いたけど、今この瞬間の、この笑顔は、確かに俺だけに向けられたもの。
優越感を感じちまうのだって仕方ないことだろうし、罰だって当たらねえだろ。


カーン…カーン…


『あ、もうこんな時間か…』


「お昼ですね…」


昼食は食堂でと決まっている。
戻るとなると、名前さんとも別れることになるんだろう…それは惜しい、けど昼は逃したくない。


『お昼、一緒に食べない?』


「え?」


『ふふ、簡単なものだけど、作って来たんだ』


あんまり多いとあれだけど、私とジャンの2人だけだから


そう言って名前さんの掲げる手には、布のかぶせられたバスケットと、水筒が2つ。
名前さんの、作ったお昼…手作り…!!


『やっぱり、友達と食べたいかな…?』


「そんなことないっす!是非!!」


あ、やべ…つい大声出しちまった…。
驚いたような表情を浮かべた名前さん(ああくそこれも可愛い)も、すぐに笑顔を浮かべてこっち、と手招く。
そこにはちょうどいい切り株が3つ並んでて。
真ん中にバスケットを置いて、水筒を俺に手渡した名前さんが座ったのに倣って、俺も腰かける。


『簡単なものしか作れなかったけど、どうぞ』


「い、いただきます…!」


バスケットの中身はサンドイッチ。
訓練兵が普段食べられないような、肉や卵まで入ってるけどそれだけじゃなくて、滅茶苦茶美味かった。
初めて名前さんの手料理を食べた俺が言うのもなんだけど、名前さんは料理が上手いんだと思う。
サンドイッチは簡単な料理だけど、ここまで美味いのは初めて食った…ババアの飯とは天と地の差だ。
勿論普段食っているものとも言わずもがな、だ。


「滅茶苦茶美味い…!」


『それはよかった』


美味い、としか言えなかったけど、照れたように笑う名前さんがすげえ可愛くて、手作りのサンドイッチは美味くて。
俺、今間違いなくすげえ幸せ者だなって、そう素直に言える。


「ご馳走様でした」


『お粗末様でした』


空になったバスケットの中に、空になった水筒と、かぶせていた布を畳んで入れるその細い指をぼんやり見つめながら、あぁ、もう終わりか、と切なくなる。
いつまでもこんな時間が続けばいいだなんて思っていたが、そんなことがあるわけない。
午後の座学が酷く憂鬱だなんて感じていると、ひょい、と名前さんが俺の顔をのぞき込んできた。


『どうしたの?具合悪い?』


「そ、そんなことないっす」


『そう?』


あぁこれでホントの終わりか…。
名前さんの気配が少し遠ざかったのを感じ、思わずため息が零れそうになったが。


『あ、ねえジャン』


突然話しかけられたせいでその溜息は詰まった。
代わりに返した返事の声は裏返っていて。
恥ずかしくて顔が熱いのを感じながら、くすくすと響く名前さんの声に耳を傾けた。


『何のサンドイッチが一番好きだった?』


「え、あ…あの、レタスとベーコンとトマトの…」


『ん、BLTね』


また作るよ、という声に、多分俺はアホ面を晒したんだと思う。
それでも名前さんは馬鹿にせず、確かに俺にこう言った。


『毎週この曜日、宜しくね』


あぁ、今ならあの死に急ぎ野郎の言い分全部聞いてやれる気がする。



(罰なんて当たらねえだろなんて言ったけど)
(罰が当たったって構わねえって思えるくらい)
(幸せだ)
title:識別

ジャンと仲良くなるでした…!
最初っからジャン→→元帥主全開でしたけどよろしかったでしょうか←今更
なんか…久しぶりにまとまった分が賭けが気がします(気がするだけ)
楽しく書かせていただきました!
50000hit企画参加ありがとうございました!
これからも嘘花をよろしくお願いします^^*

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