小説 | ナノ


  灰被り姫に幸福を T



※長いです

薄汚れた漆黒の黒髪を一つに束ね、くすんだ服を身に纏い仕事に精を出す一人の娘。
かつてこの屋敷の主人と夫人の一人娘として大事に育てられた彼女は、母親、そして父親の死を経て、いつしかこの屋敷の召使いとなってしまった。
着飾ることを許可されずとも美しい彼女の名は、名前。
毎日のように激務を押し付けられてきた彼女は、今日も今日とて激務をこなす。
姉や継母たちの食事の用意、洗濯、広い屋敷の掃除、飼い犬、飼い猫の食事、姉たちの身支度の手伝い…やることはまだまだたくさんあった。
だから、


「舞踏会ですって!」


「早くリヴァイ王子に会いたいわぁ!」


「ふふ、お前たちの美貌なら必ず王子も見初めてくれるだろうよ」


舞踏会になど、行っている暇はないのだ。
加えて姉たちに与えられているような煌びやかなドレスだって、名前にはない。
父や母が残してくれた美しいドレスや装飾品はすべて、姉や継母に取り上げられてしまったのだ。
今まで様々な苦痛に耐えた名前も、その時ばかりは涙した。
それは決して、自分のものを取られたからではない。
亡き父や母との思い出までも奪われてしまったと、そう思ってしまったから。
それでも彼女にはどうすることもできず、ただ一人で涙をこらえ続けてきた。
舞踏会の知らせを告げる手紙を読んで賑わう彼女らなど一瞥もせずに黙々と仕事をこなしていた名前にだって、舞踏会に行きたいという願望がないわけではない。
しかし名前は自己完結していたのだ、『こんなみすぼらしい格好ではいけない』『醜い自分をさらせない』と。
名前は誰か見ても美しいと言える娘であったが、継母や姉たちから浴びせられる罵倒のせいで、自分は醜いのだと、すっかりそう思い込んでしまっていたのだ。
仕事で動き回る彼女を尻目で観察するように見ていた継母は、彼女が舞踏会に行く意思はないということなどとっくに見抜いていた。
それでも出発前、しっかりとくぎを刺していく。


「あんたは舞踏会には参加させないよ。今日の分の仕事もきっちりとやりな」


『、はい、お義母様』


姉たちの舞踏会への準備をしている間も、名前はずっと悲しんでいた。
どうして姉たちには与えられて自分には与えられないのか、どうして姉たちはいけるのに自分だけはいけないのか、どうして自分は召使に等なってしまったのか。
継母たちが出かけ、自分以外居なくなってしまった屋敷の中はとても静かだったが、逆に名前は心が休まって行く様に感じた。
自分に命令する彼女らがいなければ、ゆっくりしていられると。
生憎今日の分の仕事はすでに済ませてしまった為、今日は早めに休もうと軽く夕食を食べ、一日の汗を流す。
いつも彼女らの後に入っているのだ、たまには一番風呂に入ったって罰は当たらない。
どうせ後でまた再び入れなければならないのだから、とじっくり湯船につかれば、今日の疲れがじんわりと溶けだしていくような気がして思わず表情が緩む。
汚れの落ちた彼女の黒髪は艶やかで美しく、肌はより一層白く眩しいほどだ。
激務のせいで全体的に細く、肋骨や腰骨は少し浮き出ているものの、つくべきところにはちゃんとついている魅力的な肢体。
風呂から上がった名前は自分に与えられた屋根裏部屋へと向かう際中、大きな窓から見える遠くの王宮、姉たちが向かった舞踏会の開かれているであろう方角を見やった。
ここからは全く見えないが、きっと美しいのだろう、楽しいのだろう。


「泣かないで、お姫様」


『っ!?』


眼鏡を付けた中性的な顔をしている誰か。
突如声とともに目の前に現れたその謎の人物に、名前は驚きつつも臨戦態勢をとる。
その美しさ故に幼いころから狙われることがあった名前は、一人でも対応できるようにと父と母に頼み込み護身術を身に付けていたのだ。
対して全く襲ってくる様子を見えない謎の人物は、そう警戒しないで、と言いながらこつん、と廊下に足を付けた。


『どちら様でしょうか』


「うーん、魔法使い、って言えばいいかな?」


『…へ?』


魔法使い?と思わず警戒を解いてしまった名前に迫りまじまじと見つめる魔法使いはにこ、と笑って見せた。


「うんうん、相変わらず美人だ」


『美人…?私は…醜い、ですよ』


「あの継母たちに言われたのかい?安心しなよ、あっちの方がずっと醜い」


君とは比べられないぐらいね


そう言ってウィンクを飛ばしてきた魔法使いは、廊下にある振り子時計に視線をやる。
時刻は10時30分。
さてと、と声を発した魔法使いは、何処からか取り出した細長い棒を名前に向けた。


「名前、私はね、君に幸せになってほしいんだ」


『、え?』


「今から君に魔法をかけて、舞踏会に行けるようにしてあげる。君を幸せにしてあげることはできないけど、その手伝いぐらいはできるから」


『話が見えないんですが…』


「まあま!細かいことは気にせず私に任せなさいって!」


じゃあ行くよー!という声と共に魔法使いは杖を振った。
眩しさに眸を閉じた名前はあれよあれよといううちに移動させられ、気付いた時には見たこともないような王宮――舞踏会会場――にいた。


「いいかい、タイムリミットは12時だ…12時なれば君にかけた魔法はすべて解けてしまう。だからその前に王宮を出て、帰らなければならない。分かったね?」


『…ありがとうございます、魔法使いさん。私凄く幸せ』


「いいや、たったこれしかできなくて申し訳ないよ…」


『舞踏会に参加できるだけで嬉しいんです』


一生の思い出にします、そう美しく笑った名前は、彼女によく似合う漆黒のドレスの裾を持って美しく一礼すると、最後にもう一度だけ笑って会場へと足を踏み入れる。
それを見届けた魔法使いは「幸運を祈るよ」と、消えてしまった。


「…………」


「もー、リヴァイ、ほら笑ってー!」


「うるせえ」


「まあまあ、リヴァイ。そんなに怖い顔をしていたらどの令嬢も怖がってしまうよ」


「あんな令嬢どもなんかいらねえ」


けっ、と玉座に腰掛けた王子、リヴァイは会場にひしめくきらびやかなドレスを纏って令嬢たちを一瞥した後、ふい、と視線をそらしてしまった。
それを宥めるのは、国王やリヴァイの側近であるハンジやエルヴィン。
そして先程から何も言葉を発してはいないが、ミケも立っていた。


「…ハンジ、あと何時間だ」


「舞踏会自体はあと3時間かなー。でも国王は嫁を見つけるまで舞踏会は続けるって言ってたし」


「あの野郎…だったら俺の時みたいに養子でもなんでも連れて来いってんだ」


「リヴァイ、そう簡単に王族の血を引いた養子なんて見つからないよ」


リヴァイは現国王の実の息子ではない。
王族の血をひいている養子なのだ。
国王の妻は体が弱く、子供を産むことができなかったためにリヴァイが連れて来られた。
勿論王族の血が流れているために王位継承には問題はなかったが、彼のように運よく王族の血を引いた養子が見つかるなんてことはまずない。
となると、国王からしてみればリヴァイには何としても結婚し、子孫を、次の国王となるべき人間を残して貰わなければならないのだ。
あのジジイ…と歯を食いしばるリヴァイの後ろに立っていたミケが、すんすん、と鼻を鳴らす。


「どしたのー、ミケ」


「…石鹸の香りがする」


「石鹸?だってここには香水のにおいが充満してるけど…」


会場内にひしめく令嬢たちは皆それぞれ香水を吹きかけてきているため、甘ったるいにおいが充満している。
それなのにミケは石鹸の香りがするという。
彼の鼻は常人を逸脱しているため嘘ではないのだろうが、ここに香水を吹きかけて来ない令嬢がいるのかと思うと同時に、そういえば石鹸はリヴァイの好きな香りだったな、とハンジはぼんやり考える。


「ミケ、その香りは何処からするんだ」


「?エルヴィン、なんでそんなこと…」


「リヴァイが気に入るとしたらその人物だけだろう」


「…確かにそうかも」


エルヴィンとハンジが話している間もミケはスンスンと鼻を鳴らし続ける。
リヴァイには二人の会話は耳に入っているものの、こんな香水まみれの令嬢たちの中から嫁を選ぶつもりもなかったため黙ってミケの言葉を待っていた。
不意にミケは鼻を鳴らすのをやめ、おもむろに口を開いた。


「…一番奥のテラス、黒のドレスの女」


シャンパンを飲んでいる、というミケの言葉と共に流れる3人の視線。
会場何処でも見渡せるような場所に立っていたため、その人物を特定するのは難しくなかった。


「うわっ、美人!」


「驚いたな…何年か舞踏会は開催しているが初めて見る」


呆気にとられたような二人の傍で、がたっ、と玉座が音を鳴らす。
見ればそこに座っていた筈のリヴァイの姿はない。
カツカツと靴音を鳴らしながら階段を下りているリヴァイの視線の先には、ミケの言う石鹸の香りの女。
どうやら彼女で決まりだと、3人は早くも安堵のため息をついていた。


『…幸せ』


魔法使いさんに感謝しなきゃ、と小さく笑んだ名前は、こくん、とシャンパンを飲む。
空になったそれをぼんやりと眺めていると、ひょい、とそのグラスを奪われた。


「…楽しんでるか」


『あ、は、はい…』


名前からグラスを奪った男は、身長こそ高くないものの、凛々しい顔立ちをした美しい男だった。
彼の手にあったグラスは通りすがりのボーイのトレイの上に載せられ、そのまま片付けられていった。
その慣れたような動きに、父親が死んでから男と関わることのなかった名前は緊張してしまう。
カチコチに固まってしまった名前に顔を寄せた男は、すう、と呼吸をした。
清潔感溢れる石鹸の香りに、眼が細まる。


「…石鹸の香りか」


『ぁ…来る前に、お風呂に入りましたから…』


「…悪くない」


香水なんかよりもずっといい、という男の言葉に、きょとん、とし、思わず笑ってしまった名前。
くすくす、と口元に手を当てて上品に笑うその姿は、どの令嬢よりも美しくて愛らしい。


『、すみません、笑ってしまって…私も好きです、石鹸の香り』


「…そうか」


間近で見れば見るほど、名前の顔立ちの良さが分かる。
他の令嬢よりもずっと薄い化粧なのに、肌は真白、睫毛は長く、唇はみずみずしく、翡翠の眸は美しく輝いている。
これほどの美貌ならば噂になっても不思議ではないのに、男は今までこの娘の存在を知らなかった。
屋敷の中に幽閉されるような形で召使となってしまっているなら、当然の話ではあるが。


「舞踏会は初めてか」


『、はい』


初めて来ましたと笑う名前は本当にうれしそうだった。
そんなに心待ちにしていたのだろうかと、男は生唾を飲み込む。


『でも、きっと…最初で、最後だから』


「、あ?」


『っいえ、何でもないです』


取り繕うように浮かべられた笑み。
それでも、男を黙らせるには十分の威力を持っていたようで、男がそれ以上追及することはなかった。
それからも話し込む二人だったが、周りはそわそわと2人に視線を向けていた。
それもそのはず、今まで玉座から離れなかった王子が突然動き出したと思ったら、一人の娘と話し込んでいる。
舞踏会に参加した面々は、今まで自分たちを歯牙にもかけなかった彼が目を付けたのが一体誰なのかと見ようとしたが、エルヴィンたちが手配した兵達が介入を許さない。
煌びやかな会場から少し離れた少し薄暗いテラスでは、2人だけの舞踏会が開かれていた。


『ふふ、お掃除が趣味なんですか?』


「…まあな」


『私もお掃除好きです。これでもうまい方なんですよ』


「令嬢なのに掃除をするのか?」


『あなただって、舞踏会に参加してるってことはそれなりの身分なのでしょう?』


お互い様です、と笑う娘に見とれる。
しかし先程の言動でリヴァイは察した。
この娘は、自分が王子であるとは知らないのだと。
初めてこの舞踏会に参加し、初めて自分を見たならば仕方のないことではあるのだろうが、果たして娘の参加する舞踏会の主催者を知らせない親が存在するだろうか。
そこに違和感を感じながらも、リヴァイは敢えて、自分が王子であるとは明かさなかった。
娘をすっかり気に入ったリヴァイは彼女を自身の妃にするつもりであったし、今知らずともいずれ知ることになる、と思ったからだ。


「…お前は、美しいな」


『ぇっ、』


リヴァイの眸を見つめた娘は、その白い頬を赤く染める。
視線はうろうろと彷徨い、翡翠は羞恥からか潤み、一層輝きを増した。
え、あ、う、と戸惑ったような声でさえ、鈴が転がしたような響きを連想させる。
ほっそりとした体はリヴァイの好みそのもの。
リヴァイは何度目かの思考を巡らせる。
自分の妃は、この娘のほかに誰もいないと。
ふと、彼はこの娘の名を知らないことを思い出した。
名前など、この舞踏会に参加している令嬢のリストを見ればわかるだろうが、リヴァイは彼女の口から直接聞きたかったのだ。


「お前の名は?」


リヴァイのその言葉に、きゅ、と唇を噤んだ娘。
誤魔化す様に小さく笑った彼女は、こう切り返す。


『あなたは?』


「質問を質問で返すな」


『すみません、でもあなたの名前が知りたいから』


「…リヴァイだ」


聞き覚えがあるのか、娘の目が見開かれる。
その反応に笑ってしまったリヴァイが、彼女に再び名を訪ねようとすると、


ゴーン……


重々しい音の鐘が響く。
名前はハッとして辺りを見回すが、時計が見当たらない。
あ、あのっ、と名前はリヴァイに尋ねた。


『時計はっ、』


「時計?時計なら」


あそこだ、とリヴァイの視線と共に彼の指先のむけられた方向にある大きな時計。
名前からは死角だったため分からなかったそれは、12時5分前を指していた。
魔法使いの言葉がよみがえる。


「いいかい、タイムリミットは12時だ…12時なれば君にかけた魔法はすべて解けてしまう。だからその前に王宮を出て、帰らなければならない。分かったね?」


ああ、帰らなければ、彼の前で、あんな格好にはなりたくない


この短い時間で、名前はリヴァイに恋心を抱いてしまっていた。
しかしそれは決して叶わぬものだと確信している。
だからせめて、彼の記憶では綺麗なままで残っていたかった。
魔法使いが綺麗だと、似合っていると断言してくれた、リヴァイが、美しいと言ってくれた、このままの自分で。
名前はドレスの裾を持つと、かつんっ、と足を踏み出した。
リヴァイの視線がまだ時計に向けられている間に、一気に走り出した。


「、?」


ドレスにガラスの靴という走りにくい自分と、正装ながらもズボンでブーツをはいているリヴァイ。
まともに考えれば、普通に逃げたら逃げきれないなんてことはすぐに分かった。
だから彼女は、人に紛れるように、兵達がとどめていた人々の中に飛び込むように出口に向かった。
遠ざかっていく足音に慌てて振り返ったリヴァイは、彼女が自分に背を向けて走り出すのに目を見開く。


「っ、おい!待て!」


その声に止まりそうになる足を叱責し、人々の間を縫うように走り抜けていく。
途中すれ違う男たちが名前の麗しさに頬を染めていたが、彼女の視界にはそんなものも入らない。
ただ一心に、12時になる前にここから出なければならないと、そのことばかりを考えていた。
リヴァイは必死に追いかけ続けるが、兵達のとどめていた令嬢たちに取り囲まれてしまって身動きが取れない。


「邪魔をするな!!」


リヴァイの怒号が響き、令嬢たちが固まった間に走り出す。
しかし名前の姿は既に出口の扉の向こうに消えかけていて、それでもリヴァイは走り続けた。
まだ名前も聞いていないのに、舞踏会に来れるのは最初で最後かもしれないと言っていたのに。
この先、どうやって彼女を探せばいいのだ。
走り抜けた勢いそのままに扉を開け放てば、そこには長い階段をもう下まで駆け下りていた名前の後姿。


「待てよ!なあ!待ってくれ!!」


一瞬だけ振り返った名前。
そのせいか、ガラスの靴を片方だけ、その場に落としてしまった。
拾いに戻っていたらリヴァイに追いつかれてしまう。
名前は靴を拾うのを諦め、魔法使いが用意してくれていた馬車にそのまま駆け込んだ。
大きな黒馬が一声嘶き、ガツガツと力強く走り出せば、リヴァイでも追いつくことはできない。
窓から顔を出した名前は階段を下りきったリヴァイに、悲しそうに笑った。


『さよなら…』


闇を駆ける黒い馬車。
それはあっという間に、暗い夜に、溶けて、消えていく。


ゴーン…ゴーン…ゴーン……


ただ虚しく、12時を知らせる鐘が鳴り響いた。

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