辺りに誰もいないのを確め、大木のうろに身を隠す。
掌にじっとりと滲む汗が、べとついて気持ち悪い。
簡単な実習だ。近くの合戦場で行われる戦の趨勢の変化を予測しつつ、半刻ごとに双方の旗の本数を数えて確かめるだけ。
生殺とは無縁の、高みの見物で終わるはずだった。
けれどその帰路に、戦の残党に襲われてしまったのだ。
生きたい。その一心で、気づけば私は実力以上の力を出して、その場を切り抜けた。
実習を終えても戻らない私のことを、皆はどう思っているだろう。
残党にやられたと思い、心配する子もいるだろうか。
でも事実は違う。私が残党を、この手で「殺した」のだ。
「…っふ、ああぁあ」
耳をつんざく慟哭は、間違いなく自分のもの。
「誰かいるのか?」
不意打ちの声に身が竦む。
また同じことをしなくちゃいけないの?
さっきは、戻りたい場所があったから生きたいと思えた。
でも、もう私は学園に戻るべきだと思えない。仮に戻って良いとしても、皆と合わす顔がない。
だから私は今、生きる気もないはずなのに。
気づけばまた、息を詰め、血塗れの苦無に手を伸ばしていた。
鼓動の音が高まる中、揺れる草むらから現れたのは。
「誰かと思えば南じゃないか」
同学年の忍たま、神崎左門だった。
「あれ、くのたまの実習って、とっくに終わったはずだろ?」
ぎくり、と肩が震える私に気づきもせず、どんどんこちらへやってきた。
「うん」
構えていた苦無をとっさに隠す。
「なら、早く学園に帰らないと、じきに食堂も閉まるぞ」
真っ先に食事の心配をする辺りが何とも彼らしい。
ぴりぴりした気持ちが、その一言で一気にゆるむ。
「帰れないよ」
ふつりと、何かが切れた。
「どうしてだ?」
神崎が、私の横に並んで座る。
「だって私、今、すごく穢い」
授業でも習っていないのに、命を背負う覚悟もなく、この掌で他人の命を摘み取ってしまったのだ。
彼は無邪気に言う。
「そんなの湯につかれば元通りだ。僕も今まであちこち走って汚くなったし、気にしない」
会計委員会でマラソンをしていたのだろうか。
だとしても、その「きたない」とは違う。
「違うの。手が真っ黒で、どこにも行けないの。もう皆と違う」
装束に包まれた太股に、雫が落ちる音がする。ゆっくりと、でも、やむことのない音。「そんなことない!」
さっきまでの丁度いい距離は、気づけば隙間もなく詰められていた。
掌を覆う確かな温もり。
ここは真っ暗で、私も真っ黒なのに、今、確かに日向を感じる。
それは繋がれた指先を伝い、ゆるりとこちらにのぼってくる。
「帰ろう。南も僕も、何も変わらない」
温かな手は、決して私を離そうとしない。
「大丈夫だ」
子守唄のように、心地良い調子で響く柔らかな声。
目を伏せて、その肩口に顔を押し当てた。
「誰も南を隔てない。だから、何も怯えなくていいんだ」
「…うん」
「僕と帰ろう」
ふわりと抱きしめられて、そっと思った。
ああ、私は帰れる。
もしこれから先、今日みたいなことがあっても、きっと私は帰れる。彼のいる学園へ。
お腹の中にまで届いた彼の温もりが、じわじわと体全体を満たしていく。
「ありがとう、左門」
初めて呼ぶ彼の名は、まるで耳慣れた家族のもののようにしっくりと馴染んだ。
ほどけた胸
提出:刹那さん