この村に伝わる古い話には村の奥にそびえる山についての話がいくつかあった。
『あの山には美しい獣が棲んでいる。』
幼少時代に聞かされた様々な昔話の中でもその獣の話に私は心惹かれ、今でもそれを信じ一目みたいと思い続けている。だが、山の話の締め括りは決まって『迂闊に山に立ち入るな。』という忠告だった。山の神を怒らせてはならないとか色々と説はあるが昔話と噂話が混ざり合ってあの山に迷い込んだら最後抜け出す事が出来ない上に山深くに棲み着いている傀に喰われてしまう、というものが今ではひそかに主流になっている。
「………今日も無理、か」
そんな話には目もくれず、ほぼ日課になっている山の巡回中に一息ついて軽く休憩をとっていた。今まで育ててくれた義理の母が数年前に亡くなり独り身になった今、心配をかけてしまう相手がいない事もあいまって頻繁に山を徘徊している。村の者達には口々に変わり者だとか、とうとう傀にとり憑かれた等と好き勝手言われているが知った事ではない。別に言わせておけばいいさ。
――しかし。
「……獣といっても具体的にはどういうものなんだろうな……」
種類すら分からない、では探しようがないのだがそれでもきっと出会えば分かる筈だろうと頑なにそう信じていた。もしかしたら全くの新しい生物かもしれない。今まで何度も同じ問いを投げかけ、考えても答えが出る訳ではないのですぐに諦めた。小さく溜め息をつきながら空を仰ぐ。
あぁ日が暮れる、そろそろ帰らなければ。
いつも日が落ちる前には家路につくようにしていた。そのせいで山の奥まで探索出来ずにやきもきするのだが、もともと目が悪い上に夜にもなると全くといっていい程目が利かなくなるせいで流石に少々恐怖感がある。目が悪いからという理由も確かにあるが、あの夜の闇には何かが潜んでいる気もするのだ。
――そして。
「……っ!」
帰るか、と村のある方へ振り返ろうとした瞬間視界の端で金色の毛並みをした獣を見た、――……ような気がした。