夜が更けてまもなく。

 多分まだ寝ているだろう彼の部屋のドアを数回軽く叩いてから名前を呼んでみる。
「エドワードさん、……エドワードさん?」
 聞こえるか聞こえないかの囁く程度の呼びかけではあったがこの静まりかえった空間の中ではやけに響く気がした。返事は、やはり無い。そのまま部屋に入ると静かに寝息を立てて眠る彼の姿、そして傍らには数冊の本が無造作に置いてあった。
「もう、具合悪いのにどうしてそう……」
 思わず盛大な溜め息と共に呟いてしまう。安静にしていなさいと医者にあれほど言われているのに。きっと僕の居ない間は寝ずに読書ばかりしていたのだろう。

 エドワードさんが此処を訪ね一緒に住み始めてからもう三週間は経ったと思う。彼は来てまもなく、何故だか体調がすぐれないとぼやいていたが先日とうとう体調を本格的に崩し床に付したまま現在に至る。原因は不明。きっと慣れない場所に色々戸惑いそれのストレスからくるものだろう、とは医者の言葉。しかしそれだけではないことくらい僕は気付いていた。
 きっと、主な原因は僕。
正確にはこの見た目のせいだろう。彼いわく、成長したらこうなるだろうと離れ離れになってしまった弟を想いながら話してくれた事があった。遠く、到底理解できない程遠くを暫く眺め少し眩しそうに目を細めた彼の表情が、僕はいまだに忘れられないでいる。
 そして体調を崩して倒れたあの日。足元のふらつく彼を支え声をかけようと口を開いた瞬間、危うく聞き逃すほどの小さな呟きを彼は漏らした。
「……ァ……ル……、」
 焦点の合っていない両の目で僕の姿を見据え、朦朧とする意識の中で彼は弟の名を呼んだのだ。

 ――エドワードさんは、僕を通して彼を見ている。

 明確にそれを認識しあらゆる感情に襲われたがどれも曖昧で敢えて言い表すとすれば淋しい、とかそんな単純な感情でしかなかったけれど。

 僕より少し背の低い一つ年上の彼。……出会った時から何故だか気になる存在だった人。今まで僕の方をまともに見ない彼の態度に少し傷つきはしたがそれでも一緒に暮らす事になった時はつい嬉しくてひそかに喜んだものだ。
 てっきり嫌われているだろうと思っていたから彼が部屋を訪ねて来た時は夢かと思うくらい驚いてしまった。一通り話をし、改めて挨拶した時の「……よろしく」という台詞と共に垣間見せた不器用な笑顔は一瞬だったけれどしっかり僕の脳裏に焼き付き、もう一度見てみたいと思う自分の気持ちに戸惑いを覚えた。
 華奢に見えて実は僕よりも力仕事が得意な、そんな彼が倒れたあの日。倒れる寸前に耳にした言葉への、この言い知れぬ感情は彼が倒れた事に対して動揺や焦躁のせいだと決めつけ敢えて目を逸らしていたのに。
「……エドワードさん」
 ベッド脇にそっと近付き、深い眠りについている彼の顔にかかった髪を手で掬いつつ改めて彼を見た。
「………」
 周りが静かなせいか頭の中ではいつもより様々な感情が跋扈している。
 僕はエドワードさんに嫌われたくないといつも思っていた。人に嫌われたくないと思うのは当然だけどそんな一般論とも違う何か。彼に対するこの気持ちがはたして恋愛感情のそれと同じなのか疑わしいが、それでも自分の気持ちがこんなに騒がしくなる事なんて今までなかった。例えそうだとしても彼が好きな事に違いはないから別に僕は構わないと本気でそう思える。
 ……だから。

 ちゃんと僕を見てほしい。
 目を合わせて話がしたい。

 ――それは、貴方に弟が居るかぎり叶わない僕の願い。

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