この本丸の審神者は無理に進軍することなく緩やかかつ慎重だったため彼の指示に従って動いていたこちら側も自然と無茶なことはせず慎重に進軍撤退を繰り返すようになっていた。だから今まで滅多に瀕死になるほどの重傷は負わなかったわけだが、そのせいかだいぶ危機感めいた意識は薄くなっていたんだろうと思う。
上からの報告ではたまに行う演練の延長線のようなものだと伝えられた地域だったため少し気を抜いていたのは否めない。敵本陣が目の前でその時はまだ皆が怪我を負っているとはいえ重傷者がいなかったのもあり大丈夫だろうと進軍してしまった結果がこの有様だ。ここまで怪我を負うことになるとは考えてもみなかった、完全に油断していた。
帰ってきた部隊を待っていた主は極力冷静に皆を手入部屋へ向かわせていたがぼやけた視界で垣間見た彼の顔は随分とやつれて見えた。
すまない、小さく零れたその呟きは抱えられた俺にしか聞こえないくらいに小さい。僅かに肩が震えていた彼に、何故きみが謝る必要があるんだ気を落とすことはないと声をかけてやりたかったが口を動かすことさえ困難な状態だったせいで結局出来ず仕舞いに終わった。
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普段手入れは人型のまま治療それと共に刀を修復するものだが瀕死の重傷を負う、あるいはどこかを欠損している場合人型を維持する力を断って一旦刀だけに戻し修復、後にまた審神者の力で顕現しなおすという形を取るのだという。
人間としての外郭は審神者の力によって形作られているものだが、一度顕現されたあとは基本的に自分達の気力で人型を維持することになる。毎日人間と同じく食事を取るのも睡眠を取るのも維持するために重要な要素だ。瀕死の状態に陥った場合一旦実体化を解き刀に戻すのは人型を維持しようとする力への消耗を減らし修復を早めるため、という理由からなのだと主は言った。
この方法をとる場合、傷、体力ともに完全に回復するため多用したくなるものだが、初めて顕現させるのと顕現し直すのとでは勝手も労力も違うために滅多にしないそうだ。何が起きるか予測出来ない上に毎回必ず成功するとも限らない。特に太刀以上の刀種になるとだいぶ不安定になるらしく、それもあって主は出来るだけ重傷者を出さぬよう毎回過保護すぎるくらい慎重だったのだろう。
「――まぁそれでだ、顕現しなおした際に今回どうにも上手くいかなかったらしくてな」
この通りだ、言いながら俺は軽く片手を上げた。視界に入った自分の手のひらの小ささにまだちょっと慣れていないせいか思わずそのまま手のひらを眺める。燭台切もつられて手のひらを見ながら何か思うところがあるのか少し考え込む素振りをしていた。
「? どうした」
「中身はそのままなんだなぁ、と思ってね。てっきり退行するものだと……ほら、僕たちって結構見た目に対して精神面が引っ張られるところがあるから」
「外見は幼くなったがそういうことはないらしいな」
驚きが足りなくて残念だったか? と軽く笑いながら続けると今でも充分驚いてるよ、と少し呆れたような声が返ってきた。
「それで、さすがにそのままってわけじゃないよね」
「ん? ああ、それで主がもう一回顕現しなおそうって話をしていたんだが放っておいても数日で元に戻るのなら無駄に力を消費しなくてもいいだろうと断ったんだ」
「へぇ、元に戻るんだ?」
よほど意外だったのか燭台切が目を丸くしながらこちらをまじまじと見ている。この話を主から聞いたとき俺も似たような反応をしていたのでうんうんと心の中で頷きながら説明を続けた。
「俺達の体は一度顕現されたらそのときの姿を保とうとするものだから怪我を負っているわけじゃない今回のような場合はいつもの姿に戻るらしい」
どうやら五体満足であれば大抵は勝手に戻るという話なのだが、やはりそれには個体差があり数日で戻る場合もあれば1ヶ月くらいかかる場合もあるそうだ。体が戻るまでのあいだ出陣できないのは歯痒いが実のところこの小さい体で生活するのもなかなか面白そうだという理由から主の申し出を断った、というのもあったりする。
「ふうん、元に戻る……ねぇ。僕らの体には老化の概念がないって前に主が言ってたけどなんだか面白い作りだね」
「上の連中にとっちゃこの方が都合がいいんだろう」
戦力という面だけで見たら老いて次第に力が弱まるというのは避けたいはずだ。ただいつだったか主が、審神者には付喪神を人間そのものとして顕現させる力は無いと言っていた。この話に関しては人間に限った話ではなく何かを作り出すにしても今の力ではそれそのものを生み出すことは出来ずあくまで似せる、までが限界らしい。
「どうせなら歳も取ってみたかったんだがなぁ」
言いながら主の年季の入った掌を思い出す。彼はどう生き、どう老いてあの皺を刻んできたのだろう。そもそも俺達には人として生きる時間などきっと長くはないのだろうに、せっかく己の肉体を得たのだからと最近は欲が出てくるようになってしまった。
「そういうものかな」
俺の言ったことに対して燭台切は小さく唸りつつ首を傾げる。
「なぁに、ただの興味さ。歳を取ると変化するものとかがあるだろ? ええとそうだな、例えば味覚とか」
「ああ、たしかにそれは興味あるね。でもきっとこの体が歳を取ったら若いころは良かった、とか言い出すと思うよ?」
「ははは、だろうな」
それは付喪神として人の生活を流し見ていたときによく耳にした言葉だ。あの頃はさっぱりだったが、今はどんな感覚なのだろうと考えるようになった。
経験することは叶わないが多少夢見るくらいはいいだろう。