ひややかふゆのあたたかきみの

 昔から、あれは手の届かないものだと思っていた。


 鶴丸国永という男は察しがいいのか、それこそはじめのうちは何かと声をかけてきたもののこちらがそれとなく態度で示せばそれ以上関わろうとはしなかった。そもそも他者に対してそこまで関心を持つ性格ではないんじゃないだろうか。普段はからからと陽気な面持ちだったが不意に見せるあの冷めた空気は少し殺気にも似ていて畏怖めいた感情すら抱くことがある。
 ただ、あちらに関心がなくとも俺には多少なりともあったのだ。相手から近付かれることがなかったおかげもあって程よい距離を保ちながら姿を見かける度に目で追った。遠くからでもすぐに目につくあの真っ白な姿は日の光の下に居るとその光に紛れて溶け入るほど本当に白かった。

 季節が巡り、辺り一面雪で覆われる頃になるとあの白い鳥は決まって冬眠にでも入るかのように人気のない所でうずくまり動かなくなった。
 もともと俺がよくいる場所にもたまに姿を現すので気になって静かに様子を伺うものの、向こうはこちらのことなど気にもとめていないようでただぼんやりと虚空を眺めている。最初にそれを見たときは普段との違いから怪訝にも思ったが冬が訪れる度に毎回こうなっていたので俺を含め他の者も時間が経つにつれ慣れてそっとしておくようになった。


 それからもう何度季節が巡ったか覚えがないが皆が鶴丸国永の冬籠もりに慣れきったころ、いつもより幾分かはっきりした面持ちでそれでも相変わらず視線は虚空を眺めたまま、
「ここは本当に静かだなぁ」
 ぽつり、と白い男は呟いた。
 この時期に言葉を発するのは珍しい。ぼんやりそう思いながら俺はその独り言に返事をしていた。
「だから俺はここを気に入ってる」
 俺の声を聞いて今まで虚空を眺めていた双眸が一瞬見開きゆっくりとこちらを捉えて細められる。もっと虚ろな眼差しをしているかと思っていたがどうやら思ったより意識ははっきりしているらしい。
「ああ、きみのお気に入りか。ならおいとました方がいいか」
「別に気にしなくていい」
 随分と今更な申し出だと思ったがそれは言わずにおいた。この様子だとやはり本来この時期の彼はもっと意識が眠っているんだろう。
「……あんたがいつもの調子だったらこちらから勝手に場所を退く」
 そう付け足すと白い男は少し思案してから自嘲気味に薄く笑った。普段のあの、誰にでも気兼ねなく話しかける雰囲気のままであったならこの場に現れた時点で俺は場所を移していたはずだ。
「きみは賑やかしいのは嫌いか」
「いや、苦手なだけだ」
「そうか」
 ぽつぽつと話し掛けられそれに応えてこちらも短く返す。その日はもうそれ以上言葉を発することもなく、気が付けば男はまたぼんやりと虚空を眺めているだけだった。



 その年を境に冬籠もりの最中彼はたまに話し掛けてくるようになった。
 はじめは数回言葉を交わすだけの簡単なやり取りだったが少しずつ話す量は増えていった。毎回本当に他愛のないことばかりだったが俺にはそのやり取りが心地好くて密かに毎年の楽しみにすらなっていた。

「前は今と違ってもう少し皆に合わせて付き合ってたらしいじゃないか」
「…………」
 誰から聞いたのか、そもそも何故そんなことを切り出してきたのか。毎年交わされる彼との会話自体は嫌ではなかったものの言われたことに対し思わず眉間にしわが寄る。
「……たとえ気が合う奴だったとしてもいずれ別れがくるかもしれないだろう。それならはじめからそんな付き合いなどしない方がいい」
 きっと普段なら聞かれても答えなかっただろうその問いに、何故か俺は不思議なくらいつらつらと思っていることを言葉にしていた。どうも彼と話していると明け透けに色々話してしまいがちだ。
「勿体ない考え方だなぁ」
 それを聞いていた彼は本当に残念そうに、そして少しばかり哀れみを含んだ物言いで言う。
「いずれ来るかもしれない別れを恐れるより今ある出会いを楽しんだらいいじゃないか」
「……生憎、そういう風に割り切れない性格なんでね」
 言いたいことは分かるがこればかりは簡単にどうにかできるものではない、できていたらとっくの昔にやっている。
「難儀なもんだな」
 はぁ、と深く溜め息をついてから彼はそう小さく呟いた。

 鶴丸国永のその言い分は彼の渡り歩いてきた経験からなのだと思う。お互い生い立ちからして違うのだ、どうやったって同じ考え方にはならないだろう。
 俺はその白い姿を見ながら以前ここにいた白とは正反対の、黒を全身に纏った男のことを思い出していた。
 国永もいつか光忠と同じようにここからいなくなるのだろうか。何度別れを味わおうともその後に襲いくるあの言いようのない喪失感には慣れなかった。今ある出会いを楽しんだらその分だけその後の喪失感は膨れ上がり心が押し潰されそうになる、そんなのはもう御免だ。


***


「この季節になるとどうにも気持ちが滅入ってしまっていけない」
 苦々しくそう言って国永はおもむろに手のひらをじい、と眺めながら続ける。
「すべてが冷たくて心が凍りそうになるんだ」
「俺たちは温度なんて感じないだろう」
 実体がないので物に触れることはできないし暑いとか寒いとかも肌で感じることはないはずだ。
「そうなんだが、それでも冷たいと感じる」
 冷たい、という感覚が分からないのでどうにも理解ができずにただただじっと彼の方を見ていたら不意にこちらへ顔を向けてきたので思わず首を傾げた。
「……? なんだ」
「きみはあたたかそうだなぁ」
 言いながら国永が柔らかく笑う。そんな顔を自分に対して向けられるとは思っていなくて一瞬たじろいでしまった。
「――何を根拠に」
「ただなんとなくさ」

 そう言って彼はまた小さく笑った。


***


 俺がこの本丸に顕現されてからだいたい一週間くらいが経ったと思う。


 本丸の主であるじいさん曰くしばらくは人の体に慣れるため日常生活に励め、だそうだ。
 一番長くここにいる歌仙からもあまり最初から張り切ると獅子王のように筋肉痛で死ぬことになるからねと忠告された。いきなり実戦に行く、というような無茶な動かし方をしないかぎりそこまでひどい筋肉痛になることはないだろうとも付け加えて。

 一から四まである部隊のどれかに組まれるとその後本丸での行動は配した部隊ごとで行うことが多くなる。俺はまだどの部隊にも組まれずここでの行動は内番に当たらないかぎりほぼ自由行動だったので大概は自分の部屋でのんびりしていた。周りにまだ人が入っておらずここはとても居心地が良い。
 最近は第二部隊が頻繁に出陣しているようで国永はそこに属していた。近くには光忠もいる。たまにそれを見掛ける度に昔のことを思い出してしまうのが少し煩わしかった。

 国永にとって俺は知り合いの内の一人で、俺にとってもただそれだけの存在なはずなのにどうしてこうも気持ちがざわつくのだろう。俺だけよく分からない感情に捕われているようで苛立ちが募るばかりだった。
 できればもう関わりたくない。そう頭では思っているのに自然と目はあの頃のように白い姿を追っていた。


 ――結局のところ、鶴丸国永が伊達家を去ったあと俺はまたあの言いようのない喪失感に悩まされた。喪失感だけなら良かったが、あたたかそうだと言いながら自分に向けられた彼の笑みがどうしても頭から離れなくてそれが一番厄介だった。
 この本丸が白一色に覆われる季節が来たら国永はまたあの時のように冬籠もりをするのだろうか。しかし俺と会話を交わすようになってからその期間が年々短くなっていたような気がするのでもうあんな風にはならないのかもしれない。
 そんなことが頭に浮かび俺は何を考えているんだと自分に嫌気がさした。ただそれでも、あの冬の間だけは少しでも俺のことを気にかけてくれていたんじゃないかという気持ちがちらついてしまうのだ。
 もう関わりたくない、これ以上心を掻き乱されるのは御免だとあれほど思っているのに。



 毎日程よく自主的に鍛練をしたあとは決まって睡魔がやってくる。いくらなんでもちょっと寝過ぎじゃないだろうか。不安にもなったがあのじいさんがこの季節はうたた寝にちょうどいいから仕方ないんだよと言うのでそういうものかとあっさり納得した。あと、顕現されてから少しの間は個体差はあるものの睡眠時間が増えるとも言っていた。
 俺自身、体を動かしたあとに来るこの眠気にまどろむ時間が嫌ではなかったので抗わずに眠れるだけ寝ておこうという姿勢だ。目を覚ましたあとのぼんやりしたあの感覚も嫌いじゃない。昔はどうだったかと思ったがあの頃は眠る、というより気を失うというのに近かった気がする。


「……、……?」
 微かにした物音で目が覚めた。多分眠っていた時間はそれほど長くはなかったと思うものの、いまいちはっきりしない。ぼんやりしたまま辺りを見回そうとうっすらと目を開け顔を横に向ける。

 向けた先で、目の前の見知った顔と目が合った。

「――――ッ!?」
 思わず勢いよく上体を起こせばあちらもすぐに上体を起こしてきた。まだちょっと状況が把握できていない、急に体を起こしたせいか目眩がした。
「お、良い反応だな大倶利伽羅。どうだい目覚めの気分は」
「…………最悪だ」
 頭を押さえながら絞り出すようにそれだけ言うと国永はすまんすまんと軽く言いながらけらけら屈託なく笑う。絶対謝る気持ちなんてこもってないだろうそれは。
「本当はきみがここに来てからすぐに会いに行くつもりだったんだが最近ちょっと戦続きだったのといかんせんこの屋敷が広くてなぁ」
 きみの部屋を探しつつせっかくだからとここの探索も兼ねて見回っていたら一週間も過ぎてしまった、そう言いながらこちらを眺める国永は始終嬉しそうで少し居心地が悪い。俺は今どんな顔をしているんだろう。
「あんたが俺に会いに来る理由なんてないだろ」
「理由も何も、会いたくなるもんじゃないか?」
 当然だろう、とでも言いたげな顔で言われた。
 俺は正直遠目から眺めているだけで充分だった。こうも近いと胸の奥がひりひりするような感覚とよく分からない焦燥感のせいで心が全く穏やかじゃない。できれば距離をとりたい。そもそも昔はこんな風には近付いてこなかったじゃないか。
「……?」
 俺が色々思考を巡らせている内に国永は何かを思い出したのか不意にずい、と距離を詰めてきた。咄嗟のことにこちらが身動きできずにいたらそのまま俺の左腕の竜をそっと撫でるように触れる。
 ギクリ、と体が強張るもののどうにもさっきから上手く体が動かなかった。

「ああ、やっぱり。きみはあたたかいな」

 ゆっくり確かめるようにそう言って、国永はあの時と全く同じように柔らかく笑う。俺はただ腕を振り払うこともできずにそれを眺めることしかできなかった。


 ――きっと、あの時声をかけてしまった時点で全てが遅かったんだろう。

お題配布元:へそ

15/11/08
病名は恋心の鶴丸さんの腕を振り払うことができなかった大倶利伽羅の心情についての話。

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