ミクの部屋の前まできてから軽く息を吐く、何故だかほんの少し緊張していた。

「……ミク」
 言いながらノックを二回。しかしそれを合図に開くはずの入口は堅く閉ざされたまま、代わりにパスワード入力欄が無愛想に表示された。
 あいつロックかけやがったな……。
 思わずため息が洩れた。しかし多少は予想していた為オレは気にせず中に居るあいつに声をかける。
「ミク、とりあえず話だけは聞いてもらえる?」
 やけにオレの声だけが響くような静けさの中しばらく様子を伺うように待っていたら小さくコン、と床をたたく音が頼りなく響いた。多分それが彼女なりの了解の合図なんだろう。
「あいつは、神威は別にお前の何かを暴こうとか、意地悪であんな事を言ったんじゃないことくらいは分かる……よな」
 尋ねるように語尾を少し上げたもののそれに対しての返事は無かった。
「神威はただ……ただお前のほんとの笑顔が見てみたいだけなんだよ、純粋に」
 ――オレも昔からそう思ってた、言うつもりが無かった言葉まで自然と口をついて出ていた。


 思えば、オレの知るかぎりで彼女の本当の笑顔を今までに見たことがない。
 初対面の日「はじめまして」と言いながら差し出された手を握りこちらも挨拶をしながらふと笑った彼女の顔を見て、なんて奇妙な表情なんだろうと思ったものだ。確かに笑顔を模っている、それなのにそこから滲み出る感情は恐怖や恐れあるいはもっと他の何かが混じっているようだった。
 それから長く一緒に居ることで分かったのは彼女の持つプライドが邪魔をしてオレ達に壁を作っているんだろうという事と、自分自身無意識に周りに無害な「自分」を作っているんだろうということ。
 ……別に、オレ達は敵でもなんでもないんだけどなぁ。
 そうは言っても彼女にしてみれば同じ新型エンジンで男女の二人組、そして自分より新しいボーカロイドである「鏡音リン・レン」という存在は脅威でしかなかったのだろう。



「レン君」
 不意にかけられた声が思ったより間近に聞こえて顔を上げる。ちらりと横目で確認したがパスワード入力欄は表示されたままだった。
「私、バレてないって思ってた」
「そんな訳ないだろ」
「うん、ごめん」
「別にオレは謝ってほしいんじゃ……、」
「ごめん……ごめんね。それでも今更どうしたらいいのか、」
 そこで一旦躊躇するかのように言葉が途切れた。

「……私にはわからないの」
 まるで迷子になった子供のようだ、きっと本当に自分ではどうすればいいか分からないのだろう。オレは壁の向こう側にいる彼女が泣いているような気がして何か声をかけようとしたものの、今のオレにはかける言葉が見つからなくてただただ壁を見つめることしか出来なかった。

09/11/14
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