後悔は先に立たないものだと、先人たちは口を揃えて言った。
私の短い経験上でもわかるくらい、それは正しい。
そして、それにプラスしてよく言われる事としては、しない後悔より、した後悔だという事。
だが、個人的にはその件についてはどちらが正しいものなのかは判断が出来ないまま、私はこの杜王町にやってきて、その答えに思いもよらない形で一歩近づく事となる。
M県S市杜王町は、私にとって縁もゆかりもない土地だ。
土地勘も無ければ、知り合いもいない。
旅行ですら訪れたことはない。本当にまったく知らない街。
では、何故私がここにいるか。
それは、仕事で行けと言われたから。それだけだ。
可能であれば、もちろん知らない土地になど行きたくはなかった。
だが、うちの会社は転勤の多い会社で、それを承知で働いた以上、新卒入社の私に断るなどという事は出来るはずもなく、私は約半年という時間を要しながらも、なんとかこの見知らぬ土地で生活基盤を整えたところで、だからこそ、ちょっと気が抜けていたのかもしれない。
私が後悔することになったきっかけは簡単なことだった。
職場の飲み会でちょっと飲みすぎて終バスを逃した、それだけのたまにやってしまうくらいの小さい失敗。
いつもならそんな日はタクシーでさっさと帰って解決なのに、華金の今日は、あいにくタクシーが捕まらず、乗り場に並ぼうにも長蛇の列で、本当ならバスで5分ほどの距離を倍以上の時間をかけて歩いて帰るしかなくなってしまったが故に起こってしまった事故。
(あー、やっちゃったなー)
「あー、やっちまったぜー」
まさに私の思ったことを言った横からの呟きに反応して、思わず声の方向へ目を向ける。
声の主も、大きな独り言になってしまったことを恥じたのか、ちょっと焦った様子でこちらを見た。
そうして彼と目があった瞬間、私は思わず目を見開く。
「ハハ、すんません、思ったよりデケー独り言、言っちゃいました」
多分彼は私が大きな独り言に驚いたと思って謝ってくれたのだと思うが、私が驚いたのは声の大きさではなく、彼の髪型だった。
(リ、リーゼント…)
生まれて初めてみるその髪型をマジマジと見つめる。
どうやってその形を保っているのか想像できないくらい綺麗に整えられたそれは、重力に逆らって存在していた。
(漫画でしかみたことない…)
よくよく見れば彼は服装もヤンチャな感じがするし、いわゆるヤンキーなのだろう、と思う。
そう考えると、思わず声に反応してしまいはしたが、もしかして絡んではいけないタイプの人だったのではないかと後悔した。
「…あのー、そんなにマジマジと見られると照れるっつーか、なんつーか」
そう言って頬を照れ臭そうに掻く彼は、そんなに人が悪そうには見えなくて、彼は単純にヤンキーファッションが好きな人なのか?と疑問に思いながら、私は返事を返す。
「すみません、私リーゼントって初めて見たので、つい…。不快でしたよね、すみません」
そう言って頭を下げると彼は驚いたように胸の前で両手を振った。
「え、ちょっと!いーっス!いーっス!ちと、冗談で言っただけですし、慣れてるんで!頭下げるようなことじゃねーっスよ!」
私はそう言って慌てる彼に促され、頭を上げた。
なんとも言えない雰囲気に、お互いの間に気まずい空気が流れる。
「えっと、なんか、すみません」
「はは、謝ってばっか。俺別に気にしてねースから、そんな構えないでくださいっス!」
「あ、はい、すみませんでした、」
「えーっと、おねーさんも終バス逃したんスか?」
「え?ええ、そうなんです。あなたも?」
「そーっス、明日が休みだって思ったらついつい遊んじまいまして…」
「あはは、わかります、私もです」
「タクシーで帰るんスか?」
「うーん、そのつもりだったんですけど、あの列見たら歩いたほうがいいかな、って思って」
「そーっスよねー。俺もおんなじこと考えてました」
人懐っこそうな雰囲気に絆されて会話を続けていると彼はごく自然な様子で質問を投げかけてきた。
「家、どっち方面ですか?」
「え、っと、定禅寺の方なんだけど…」
「お!まじスか?俺もそっちなんスよ!とことん気ィ合いますね、俺ら。よかったら途中まで一緒に帰りますか?」
「えっ、」
彼の発言を聞いてこれはナンパだったのか、と思わず身構えて声が上擦った。
別に彼にナンパされたことが嫌だったでは無いのだが、ナンパというものに私は免疫が無かったし、もし仮に家まで着いて来られでもしたら、一人暮らしの私では対処のしようがないという考えが頭を過ってしまったのだ。
そんな私の様子を疑問に思ったのか彼はこちらを不思議そうに見つめた後、一拍の間を置いてから慌てたように口を開いた。
「あ!これ、ナンパとかじゃねーっスよ、マジで!ただ、夜おせーし、危ねーかなって思って、」
そう言って焦った様子で顔を赤らめた彼を見て、その見た目からは想像できないくらい彼は純粋な人なのかもしれないと思うと、何故だか彼が可愛く見えた。
「ふふ、ナンパかと思っちゃった」
「俺、マジでそんなことしない男なんで、安心してくださいっス!」
「本当に?」
「はい、誓うッス!」
そう言った彼の、日本人にしては明るい瞳が車のライトで照らされて、キラキラと輝いた。
その真っ直ぐな瞳は、決して嘘をついている様には見えなかった。
「…じゃあ、途中まで」
「ッス!ちゃんと送りますんで!」
この出会いが冒頭に話した後悔先立たずの大きなきっかけになるのだが、私はもちろんこの時はまだ知る由もなかった。
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