01


誰にだってこだわりはある。
朝食には必ずコーヒーだとか。昼食は必ずサンドイッチだとか。寝る前は必ずストレッチをするとか。
そんな些細なこだわりだ。
なまえ・みょうじにもまた、同じようにこだわりがあった。
それは、靴は必ず9cmのヒールを履くということだ。

理由はいろいろあるのだが、彼女が9cmのヒールが最も女性を美しく見せる高さだと思っていること、経験上9pのヒールに助けられてきたことが何度もあることが大きな理由だ。
まずヒールのおかげで足は長く細くきれいに見えるし、背筋を伸ばさなければバランスが取りづらいデザインであるため、履く為に自ずと姿勢を良くする事になる。
更に、その姿勢でしっかりと前を向いて歩かないと足を痛めるので、前を向く。
つまり、立ち振る舞いが美しくなるのだ。
この立ち振る舞いを美しくさせる心がけは、常に彼女を前向きな出来事を運びこみ、支えてくれた。

なまえは大学卒業後、新卒で現在の会社へ就職したが、入社2年目にして、縁もゆかりもないこのイタリアへ飛ばされた。
打診が来たときは嫌ではなかった。一度は行ってみたかった都市ではあったし、もともと海外で働きたいとも考えていたからだ。
だが、現実は甘くはなかった。文化の壁や、言語の壁は容赦なく彼女を攻撃したのだ。
頼れる人が近くにいないというのがどれだけ辛いか彼女はこの時、痛感した。
何度も折れそうになり、日本に帰りたいと思いながらも戦った。
そんな、イタリアという孤独な土地で彼女を支えてくれたものこそが9pヒールだった。
慣れない土地で戦う東洋人が、常に姿勢よく前向く姿は、周囲への印象を上げ、彼女の追い風となってくれたのだ。
その為、彼女は9pヒールを自身のラッキーアイテムと位置付け、こだわっていた。


だが、そんな9cmヒールが思わぬ事件を彼女に起こす。

それは、仕事終わりの事だった。
普段は通ることのない人通りの少ない道を歩いていると、なんのキッカケもなく突然ヒールが折れたのだ。

「うそでしょ、」

今までこんなことは一度だって無かったのに、と彼女は恨めしく自分のパンプスを睨むが元に戻る訳もない。
どうにか家に帰ろうにも、人通りのない道ではタクシーすら捕まえることは難しいだろう。

周囲を見渡すが、頼れそうなものは何もなく彼女は肩を落とした。

いっそ両方ヒールを折ってしまうか。今度はそう考えて力を入れてみたが折れる気配はなく、むしろ先ほどなぜ折れたのか疑問が深まるだけであった。

(しかたない、)

もういっそ裸足で帰ろう。
そう彼女が諦めた時、一人の男性が近づいてきた。

「お困りかい?」

「ええ、実はヒールが折れてしまって。。」

「なるほど。」

彼はそう言って彼女の手からパンプスを取ってまじまじと眺めてから、折れたヒールとソールを合わせる。
そして何かを確認するように何度か動かすと、納得したように頷いてからなまえにパンプスを返した。

「これで歩けるだろう」

「え?」

戻ってきたパンプスのヒール部分を見てなまえは驚く。
ヒールにはいつの間にかジッパーがついていて、折れた箇所が補強されていたのだ。

(なんで?)

不思議に思いしばらく彼女が固まっていると彼はクスリと笑って、手品だよと言った。

「まあ、見ての通り直った訳ではないんでね。さっさと新しいものを購入することをお勧めするよ」

「ええ、そうするわ。まさかくっつくと思ってもみなかったわ。本当にどうもありがとう」

「気にしないでくれ」

そう言って去っていく彼をしばらく見つめてから、なまえはハッと思い出したように、少し離れてしまった彼に大声で質問する。

「ねえ!お名前は?」

彼は足を止めて、顔だけをなまえに向けた。

「ブチャラティだ」

そして言い終わるとそのまま顔を正面に向け、スタスタと歩いて去っていった。

「…ブチャラティ」

彼女はその背中を眺めながら、彼から与えられたその情報を胸の中に大事にしまい込むようにそっと呟いた。

翌日、彼女は会社の友人にその出来事を話す。

「ていうのが、昨日あったのよ。お気に入りのパンプスを捨てる羽目にはなったけど、いい人に出会えたってわけ」

「なまえ、それはパッショーネのブチャラティよ」

「パッショーネって…?」

「この辺を仕切ってるギャングよ。つまりあなたがイイと思った男はギャングってわけ」

思いもしなかった事だが、どうやら彼は有名らしく、彼女は彼を知っていたらしい。彼女は知った顔で彼についての噂を事細かに語りだす。

「ま、悪い人ではないらしいし、顔はいいだろうけど、ギャングなんてやってる男はまともな奴じゃないわ。いい人に出会えた、なんて考えは捨てたほうが良いわね」

「そうね。ご忠告痛み入るわ。先に聞いておいてよかった。まあ最も、彼ともう一度会う、なんて偶然そうそうないし、そのうち忘れてたでしょうけど」

せっかくいい出会いだと思ったのに。
そう思う気持ちがないわけではなかったが、ギャングを好きになるほどの思いきりなんて自分にはない。そう思って彼女は彼のことを忘れることにした。
それからしばらくは惜しい気持ちもあったが、日常を繰り返すうちに、彼女は徐々にブチャラティという男のことを忘れていった。

だが、出会った記憶もかなり薄れたある日思わぬ形で2人は再開を果たすことになる。

「あなた、大丈夫!?」

ある仕事からの帰り道、もうあと何メートルで家の近くという場所に血まみれの男が倒れていた。
なまえはその男に走って駆け寄ると救護活動の為に声をかけた。

「ねえ、意識は…っ!あなた、たしか。ブチャラティ」

それは、いつか自分を助けてくれたブチャラティという男だった。
相当出血したのだろう。意識も朦朧とした様子で荒い息をするブチャラティを見て、彼女は救急車を呼ぼうと携帯を取り出した。
だが、彼女が番号を押す前に彼は力を振り絞ったような鋭い声で言った。

「っっ、救急車は、呼ぶなっ!」

それを聞いて彼女は彼がギャングであることを思い出す。
何か救急車を呼べない事情があるのだろう。だが、かといってこのままにも出来ない。
家まではあと少しだ、道端に置いていくよりはいいだろう。

「ちょっとだけ、がんばってちょうだいよ、」

彼女はそう言って彼の腕を肩にかけると、支えながら立ち上がるため足に力を入れた。
だが成人男性を支えようとするには9cmのヒールでは無理があった。バランスを保てないのだ。
彼女はやむを得ずパンプスを脱いでバックに無理やりしまうと、もう一度力を入れて、なんとか引きずりながら、自分の住むアパルトメントを目指す。
彼女がどうにか玄関にたどり着いた頃には、アスファルトの地面のせいで傷ついた両足の裏がひどく痛んだが、そんな事は気にしていられなかった。

男を玄関に転がしたあと、部屋に入ると洗面台にあるタオルラックから古くなったタオルを何枚か取り出して、かるく濡らしてから、ボロボロのストッキングを脱いだ傷だらけの足の裏を拭き、急いでキッチンにあるミネラルウォーターを手に取ると、今度は靴を履いて玄関を出た。
廊下に落ちた血を拭きとり、道に落ちた血を流して証拠を消すためだった。

なんでこんなことになったのか、自分でもわからなかったがとにかく彼を助けよう。彼女はそれだけを思って動き続けた。





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