仕事に没頭していたブチャラティは、聞こえてくる足音に気づき手を止めた。
その音の正体が、誰かが自分の元へ歩いてくる足音だと彼が認識したタイミングで、丁度よくコンコン、と扉を叩く音が部屋へと響いた。
「入ってくれ」
「お邪魔するわ」
ノックの音である程度予想は着いていたが、入ってきたのはなまえだった。
ブチャラティは実のところ、彼女が現れるのを待っていたのだが、そんなことは微塵も匂わせない。
スマートに彼女へソファーに座るようにと声をかけながら、彼はそっと引き出しを開けて箱を取り出すと、彼女に見えないようにデスクの下でポケットへと忍ばせた。
そして、彼女がソファーへ腰かけるのを眺めながら、彼デスクの上を軽く整理して、ソファーへ赴き彼女の向かいへ腰を掛ける。
「お久しぶりね。これ、スピードワゴン財団から頼まれた資料よ」
「ああ、ありがとう。確認させてもらう。…いつネアポリスに?」
「今日よ。明日にはまたフランス行くけど」
「相変わらず飛び回っているようだな」
「ええ、そうね。私が惚れてる男を振り向かせるには、仕事するしかなくってね。なかなか振り向いてくれない誰かさんのせいで私はもうクタクタよ」
「ほう。君ほどの美人に振り向かない男がいるなんてな。今じゃ君の恋人は仕事かい?」
「そうね、すっかり仕事が恋人かしら。全く、わかってて言うんだからズルい男よね。」
書類に目を通しながら、なまえがわざとらしく言えば、ブチャラティもふざけて返す。
「で、実際仕事はどうなんだ?かなり仕事が増えたと聞くが」
「楽しいわよ、今までの仕事より大変だけど、やりがいもその分あるから、かなり楽しんでいるわ」
「…そうか」
「でもそうね、貴方が仕事と別れて俺にしろっていうならそうしちゃうんだけど?」
「そうなるとパッショーネに逆恨みされそうだな」
「それもそうね」
そんな会話をしている間に全ての書類に目を通したブチャラティがなまえのほうへ目を向けると、なまえは優しく微笑んでいた。
怒るでも呆れるでも、悲しむでもなく、ただ、ブチャラティが書類を読み終わるのを微笑んで眺めていたのだ。
そんな彼女の顔を部屋へ差し込む西日が照らす。ブチャラティはその光景をただただ美しいな、と思った。
そして、今しかないと覚悟を決めた。
「…実は俺からもなまえに渡したいものがあるんだ」
「あら、なにか受け取る書類あったかしら?」
「いや、書類ではないんだが…」
そう言ってブチャラティはおもむろにポケットに手を入れて、先ほどこっそりと忍ばせた黒い箱を取り出しす。
最初は何か分かっていなかったのだろう。
怪訝な顔をしていたなまえが、ちらりと見えたその箱の正体に気づき、ひゅっと息を飲んだ音がした。
ブチャラティはそんな驚いてるなまえの前で、勿体つけるように、ゆっくりと蓋を開いて言った。
「なまえ、君を愛している。結婚しよう」
「う、そ、」
ハリーウィンストンのロゴである【HW】が大きく書かれた箱の中には、こぼれ落ちそうな大きさのダイヤが飾られた指輪が堂々と光り輝いている。
衝撃に言葉も出ないなまえにブチャラティは続ける。
「本当は、なまえの告白を聞いた時から心は決まっていたようなものだが、君の告白があまりに格好良かったんでな。つい、なまえのアプローチを受けてみたくなってしまった。だが、これ以上君に完璧な女になられたんじゃあ、俺なんかには見向きもしてくれなくなると思ってね。君が出張で飛び回っている間に準備していたんだ。急いで指輪を準備するような格好悪い男で申し訳ないが、受け取って貰えないだろうか?」
「ああ、ブチャラティ、いったい何を謝るというの。今まで生きてきた中で本当に最高の瞬間よ、」
「 mi vuoi sposare?(結婚してくれないか?)」
「Si Vorrei vivere con te tutta la vita!(ええ、一生あなたと生きたい!)」
テーブル越しにそう言って両手で包み込むように指輪の箱を受け取ったなまえの花の綻ぶような笑顔は、ブチャラティが今まで見た彼女の笑顔の中で最も輝いて見えた。
・
・
・
なまえ・みょうじは美しく魅力的な女である。
歩く度に香るCHANELのNO.5。
セミロングの髪は上品なフェラガモの髪止めでまとめられ、細い首筋には髪止めに合わせたフェラガモのネックレスが覗く。
シンプルなエルメスのワンピースの裾から伸びる長い足の先は、ルブタンのオープントゥが品よく添えられている。
そして、彼女の細く長い指には愛しい婚約者から受け取ったハリー・ウィンストンの輝く大きなダイヤが光る。
ブチャラティは、彼女がこのイタリアのどの女性よりも魅力的に見えるのは、決して自分の贔屓目ではないと、昔ジョルノが言っていたのを思い出し、その意見に心底同意しながら、幸せを見せつけるように彼女の手を握った。
-
←main