竜二さんの体温計
懐かしさに瞳を閉じて
(竜二×氷麗)全1ページ
「あら…?」
スーパーへ行く途中。
氷麗は自分の目の前をどことなくふわりとおぼつかなく歩く、見覚えのある背中が見えたので、思わず声を漏らした。
あの動きに覚えはあった。地を踏む足が弱い。それでもそれを隠すように強がる仕草。
「………!」
過去の記憶が一瞬強く頭に蘇る。
『そうなんだよー清継くんがねー』
『まぁ!』
『それでね、雪女…』
『ふふっ…はい。…!!?…リクオ…様…?…リッ、リクオ様ぁああッ!!?だれかぁっ!だれかっリクオ様があぁあっ!!』
気がつけば氷麗の足は駆け出していた。
………っ
だめっ…!!
「陰陽師男っ!」
「………!」
竜二の腕をぎゅうっと掴むと、彼は心底驚いた表情を浮かべた。どこかその目は据わっている気がする。
「…なん、だ…雪女…か。」
…おかしい。
いつもなら…
『その妖気…滅せられたいのか。』
…なんて言うくせに。
私に気がつかないだなんて…。
気配に鋭い彼の事だもの。
気がつかないはずなんてないのに…。
それに…たどたどしい言葉。
重く静かに響く声が、いつもより弱く聞こえるのは気のせいではないはずだ。
どうして…
どうしてこうも…
男の子は無理をするのかしら…?
「…肩貸してあげる…。つかまって。」
「誰が…妖怪なんぞに…」
「馬鹿!!」
凛とした氷麗の声が、路地に強く響く。これには竜二も目を丸くした。
「こんな時に何を強がってるの!?そんな状態で…倒れるかもしれないのよっ!?」
「………。」
「ほら、つかまって。」
渋々ながら、竜二は氷麗の肩におとなしく腕を回した。
…熱い。
じわじわと肩に熱が伝わってくる。
竜二の熱い吐息が荒く吐かれるたび、あの時のゾッとするような不安が胸をかき乱す。
早く…
早く寝かせてあげなきゃ…!
「……ふ…ん、強情な女…」
いつものように毒を吐く竜二だが、ひんやりとした氷麗の体温がとても心地よく感じられるようで、静かに瞼を閉じて、氷麗に体を預けた。
* * *
「まさか…妖怪の屋敷で世話になるとはな…。」
「いいから…おとなしく寝てなさい!」
「ん…。」
氷麗はゆっくりと竜二の体を、敷いたばかりの布団に寝かせた。
「目の下のクマがひどいわよ?いったい何日寝てないのよ。」
「………。」
「もうっ!…熱はどうかしら…。」
「どれどれ。」と、氷麗は検温をするべく竜二に顔を近付けた。
「なっ…!………っ」
近付いてくる顔に竜二は思わず目を見開いた。
いったいこの女は、今何をしようとしているのだろうと。
ゴンッ…!
鈍い音が部屋に響いた。
「い゛っ!?何すんのよーっ…!!」
「いや、つい…だな…。」
涙目で赤くなった額を押える氷麗に、竜二は言葉を濁す。
「自己防衛だ…。」
自己防衛。そう言われても、検温しようとしたら、頭突きをされるだなんて、誰が予測できただろうか。
じん、と額に広がる痛みと熱に、ついに氷麗の瞳から一粒氷の涙が零れた。
「………涙も氷なんだな。」
「私、雪女だもの。」
「………そうだな。」
竜二は氷麗の目元にそっと手を伸ばし、大きな瞳に溜まった涙を拭ってやる。コロン、氷の粒が畳に転がった。
「………額で検温されたのは久しくてな…。」
「あ…。ごめんなさい…。つい、癖で…。」
そうだわ…
リクオ様が幼い頃…
リクオ様がお風邪を召された時、私…熱を測ろうと、額をくっつけたっけ…。
慌てて、油断して、冷気の調節をしなかったために、何度かその額が火傷してしまいそうにもなったわ…。
でも…
『雪女ぁ…』
『…リクオ様?どうかなさいましたか?』
『雪女行っちゃやだ…。もうちょっと側にいて…。』
すごく嬉しく感じたのも覚えているの。
私を呼ぶ貴方の声がある。
貴方が私を必要としてくれている。
それだけで氷麗は…十分なのです。
何かを懐かしむように瞳を細め、唇に緩い笑みを浮かべる氷麗に、竜二も何か思うことがあったのか、瞳を微かに閉じる。
そうだ…。
あれはまだ俺が10歳になったばかりの頃だった…か。
俺が風邪で倒れた時…。
目覚めると自室の布団に寝ていて、初めに目に映ったのは、瞳に涙を溜めながら、心配そうに覗き込む、ゆらの顔だった。
まだアイツが5つの時か…。
『お兄ちゃん!!』
『ゆら……』
『まだ起きたらあかん!ちゃんと寝ときぃっ!』
『………。』
『ゆらが熱測ったる!!』
俺がいつもしていたように、見よう見まねで額で検温していた、ゆら。
…幼いながらに嬉しかった。
冷てぇな…
頭突きをした時、感じたひんやりとした体温。
竜二は撫でるように額に手を当てる。
「ゆっくり眠るのよ。陰陽師娘には私から連絡しておくから。」
「……お前、なんで俺にそこまでする…?」
「………さあ…、なんででしょうね…。」
「………。」
「…ほうっておけなかったのよ…。あんたの背中が…リクオ様にあまりにそっくりだったから…きっと。」
「妖怪と一緒にされる覚えはないんだがな…。」
「それも…そうね…。ほんとどうかしてる…。」
「…あぁ…。」
「それじゃ…。」
パタン。
小さく音を立て、襖が閉められる。
「俺もどうかしてるな…。」
必死に看病しようとした、幼いゆらと、目の前の雪女が重なって見えて、少しだけ懐かしくて寂しくて、なんとなくほっとしただなんて…な。
竜二はふっと微笑むと、ゆっくりと瞼を閉じたのだった。
*END
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