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言えなかった。おはようもこんにちはも。ありがとうも大好きも。教科書を読み上げる声も、だれかを送るために歌った歌も。そんなことしたら駄目だよ、その子がつらいよ、かわいそうだよ、先生に言うよ、って。わたしがあのとき口にした言葉は、結局だれのためにもならなかった。
だから言えない。もう何も言わない。

大切なのは、隠し通すこと。
だれにも知られないように。


お昼休みが終わって静かになった保健室の扉を、わたしはそっと開いた。
保健室を利用するのは久しぶりだった。わたしのカウンセリングをしてくれていた先生が他の学校に移ってしまい、代わりの先生が来てからはここに足を運ぶのをなんとなく躊躇していた。
わたしは他の生徒のように真面目な生徒ではなかったから、きっと初対面の人だと迷惑をかけてしまう。

「……ふぁあ、ふ」

保健室の奥から聞こえてきた声に、足を止める。見たところ室内にはだれもいないようだけど。
部屋の中を見渡していると、カーテンが閉まっているベッドの一角が、もぞもぞと動く。

「だれぇ……?もうお昼休みは終わったでしょ」

白いカーテンの間から赤い瞳が二つ。はっとして我に帰ると同時に、わたしは魚を盗んだ野良猫みたいにぴたっと全身の動きを止めた。ずり落ちそうな白衣を羽織って現れた男性は、まだ寝ぼけているようで、欠伸を噛み締めながらわたしを視界に入れた。

「保健室に何か用?」

問いかけられたので咄嗟に首を横に振る。
用はないけど、ここから立ち去ることもできない。
なぜならわたしはこのあとの授業にでたくないのだ。

「黙ってたらわかんないじゃん。ほら、おいで。怪我したなら診てあげる。これでも一応保険医だからねぇ……」

力が抜けそうなくらいマイペースに語る自称保険医は、肩から落ちそうになっている白衣を気にもとめず、白いデスクに座った。わたしは保健室の入り口から動くこともできず、逃げ出すこともできなくて、ただただ時間が過ぎるのを待つことしかできない。

「名前は?三年生だよね」

わたしのリボンの色で学年がわかったのだろう。
名前は。

「…………」

名前ぐらい口にできたらいいのに、声がでない。
喉元に触れてみたけれど、震えることはなかった。
もう一年以上、学校で喋っていない。

「……待って」

わたしの不自然な行動に、目の前の保険医が立ち上がった。
ゆっくり近づいてきた彼の手には、小さな白いメモとボールペンが握られている。

「はい」

短いその言葉を重石にするように、彼の手の中のものがわたしの手に置かれた。
喋らないわたしに、こんな反応をしたのはこの保険医が初めてだった。

「名前を教えて」