予定より終了時間が1時間も過ぎて、帰宅する頃には空が暗くなっていた。普段なら名前に遅くなることを連絡するだけでいいんだけど、今日はわけが違う。なぜなら。
「もう行かない」
急いで玄関のドアを開けると、名前は廊下に座り込んで丸まっていた。昔からそうなんだよね。機嫌が悪くなるとカタツムリみたいになって殻から出てこなくなる。
「なんで?今ならまだ行けるよ。楽しみにしてたじゃん」
今日は名前と近所の夏祭りに行く予定で、数日前から約束してたんだけど。まあ、こうなるとは思ってた。
「お祭りなんて行かない」
無表情で淡々と同じことを繰り返す。髪型も服もかわいく整えてあるのに、今更行かないなんてもったいないでしょ。他のやつに見せるのももったいないけどさ。
「ほら、行くよ」
「行かない」
散歩に行きたがらない犬を引っ張るようにして名前の腕をとると、むすっとしたままの名前の手を引いて無理やり外に連れ出す。これはちょっとやそっとじゃ機嫌を直してくれそうにないかも。
*
「迷子になるからね」
夏祭りの会場に着いてすぐに、名前がふらふらどこかへ行きそうだったのでわざと声に出して手を繋ぐ。実際、デートのときに何度か見失ってるからリード代わりに繋いでおかないと。
「何か食べたいものはある?」
一言も話さなくなった名前が心配で目線を合わせてあげると、名前は意外にもあっさり口を開いた。
「あれ」
指を指す。
「ふわふわしたやつ」
「綿菓子食べたことないの?」
こくん、と頷いた。名前と一緒に過ごすようになって、彼女のいろんな初めてをみつけるのが楽しくなった。
「おいしい?」
「あまい」
一つ買ってあげると、名前はおそるおそる口に運んでからちょっと目を輝かせた。気に入ったみたい。
「次は?」
「たこ焼き」
ご飯とデザートの順番なんてもう気にする必要ないか。たこ焼きを頬張った名前は、そのあとにクレープを食べて焼きそばも食べた。行きたくないとか言ってたわりに食べ過ぎじゃない?
「金魚」
次はなにを選ぶのかと思ったら、名前は金魚すくいのコーナーで立ち止まった。
え、ちょっと。
「金魚は食べちゃだめだよ」
咄嗟に後ろから声をかけると、名前は珍しく少し頬を膨らませて振り返った。
「食べない……」
怒ってるみたいだ。
ごめん、なんでも食べるからつい。
*
しばらく二人で屋台を歩き回った。満足そうな名前の手には、金魚が二匹。ほんとは一匹しかとれなかったんだけどね。
『一匹だとかわいそう』
なんて名前がいいだすから、屋台のおじさんがサービスしてくれたの。二匹で寄り添ってる姿は俺と名前みたい。
「機嫌直った?」
忘れてきたころにこんなこと聞いたらまた不機嫌になるかと思ったんだけど。
「凛月」
「ん〜?」
「好きだよ」
そうだねぇ。俺もす、き……
「…………え」
一瞬なにを言われたのか理解できなかった。歩いていた足が止まるくらい、衝撃的すぎて。
「つれてきてくれてありがとう」
名前は立ち止まった俺を振り返って、少しだけ笑顔を見せる。花が咲くように笑うって、ほんとにこういうことをいうんじゃないかなってくらい、名前の笑顔は優しくてかわいい。滅多に見れないから、彼女のこの笑顔に俺は弱いんだ。
「うん……なんか調子狂うじゃん、そういうの」
好き、なんて普段いわないくせに。
俺ばっかりどきどきしすぎじゃない?
赤くなった顔が見られないように俯いて歩いた。
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