アナスタージアにとって、一年生の授業はひどく簡単なものであって、ついつい日記に書くことも忘れてしまった。なぜなら彼女の母親はかの有名なカゲヌイの末裔であり、父もまたホグワーツで何度も賞を受賞した秀才であり天才であったからだ。
その事実はアナスタージアを鼓舞してくれるものであったので、一年生の教科書は買ってすぐに読破してしまったし、日々母から習う「魔女」としての基礎知識はマグル生まれは勿論のこと、生粋の魔法族にも驚かれることが多かった。

それに気づいたのはアナスタージアの同室にマグル生まれと魔法族生まれが混在していただった。

アナスタージア・S・カゲヌイ。
そして魔法族であるエミリア・フォルスター。
マグル生まれの混血であるヴィオレッタ・コストル。

三人はとても良い関係だったと、自分たちでも思っている。


「ねえ、アナスタージア、エミリア、あなたたちってネクタイの結び方分かる?わたし、どうしても苦手で…」


ある日の朝、そう言われたアナスタージアとエミリアは停止した。
そう、ネクタイが結べないということにではない。なんなら、「文字を書くなら羽ペンとインクが必要」だというのに、「文字を書きたいのだけれど方法が分からない」と言われているような感覚だった。


「えっと…レティ、あなたのご両親はネクタイをしないの?」

「ええ…わたしのママは魔法族だったけれど、今はパパにあわせてマグルの町で生活してるから。パパもあまりネクタイはしないの、医者だから」


エミリアの問をどう捉えたのか、ヴィオレッタは恥ずかしそうに言った。


「なるほど。日常生活に魔法がないって、こうなるのね。」

「どういうこと?ヴィオレッタが出来ないって言うのは…その、五歳の子供みたいだと、ごめんね、私そう思っちゃったんだけど」

「だってしょうがないわよ、私達は母親っていう魔女から日々魔力の使い方や制御の仕方を教わるでしょう?でもヴィオレッタにはその機会がなかったんだもの」


アナスタージアがそう言うと、エミリアはハッとしたように目を開いた。
そうなのだ。ネクタイを付けたり、ボタンをしめたり。そういった手でできるようになったことは、たいてい魔法でどうにかなる。その手で行う簡単な作業を魔力で代替する方法を、ヴィオレッタは知らないのだ。

とはいえネクタイを自分で閉められないことには話がはじまらないので、アナスタージアはエミリアの隣に立ってネクタイの結び方を見せた。


「ありがとう!純血の人たちってとっつきにくいって思ってたけど、そんなことないのね!」


嬉しそうに言うヴィオレッタを両脇から挟んで、三人で朝食へ向かう。入学してすぐについたこの習慣は、二年生になる今日まで変わっていない。





アナスタージアが感じているスリザリン寮という場所の性質は、純血主義であるという一言に尽きるけれど、その中には様々な意味が含まれていた。


「おはよう、ミス・カゲヌイ。それにフォルスター、コルトスも」

「おはようございます」

「ミスター・マルフォイ、おはようございます」


朝食の席につこうとすれば軽く立ち上がるようにして挨拶をしてくれる、ルシウス・マルフォイ。こちらが年下であるにも関わらずこうしてくれるのは、育ちが良いからだ。女性に紳士的であれ。
スリザリン寮はとても紳士的だ。

そして身内で固まって動く傾向にある。それにも理由があった。


「伏せて!」


アナスタージアがヴィオレッタを押して無言呪文で盾を展開する。グリフィンドール寮のテーブルから飛んできたレモンタルトが空中で静止しているのを確認して、アナスタージアはそれをそっと持つとため息をついた。
こちらへ放ったらしい同級生、ポッターがへへへっと頭をかきながらやってきた。


「いやあ、悪いね!申し訳ないよ!悪気は無かったんだ!」

「いいえ、ミスター・ポッター。手元が狂うことは誰にでもあるけれど…食べ物を粗末にするのは良くないわ」

「今度から気をつけるよ。そう、君が居ない時にやろう」


挑戦的な笑みを浮かべるポッターの背後から、ハッフルパフの寮監が入ってくる。けれど喧嘩−−らしきものをしているのがスリザリン相手だと分かると、特に何も言わずに立ち去る。

そう、これが原因なのだろうと、アナスタージアはあたりをつけた。
大人の中でも、スリザリンを嫌う者が多い。それはもう学校としてスリザリンを徹底的に敵として教え込んでいるから。嫌われ役が居ればほかが結束する。つまりはそういうことなのだろう。
アナスタージアからみたスリザリン寮は、家族意識が強い。


「そう、勝手にしたら良いのだわ。けれどね、ミスター・ポッター。スリザリンにこんな簡単なイタズラに引っかかるような人は居ないわ」

「それはそれは、ご忠告どうも」


レモンタルトを持ったままスリザリン寮のテーブルへつくと、周囲の上級生からの眼差しが熱い。隣に居るルシウスには「上手くいなしたな」と褒められるし、なんだか頬が熱くなる。ルシウスはアナスタージアにとって憧れの先輩だった。

ヴィオレッタに至っては守られたことに感激しながら、アナスタージアが守ったレモンタルトを食べている。トーストもサラダも食べずにタルトだけを食べる様子に、エミリアはふふっと微笑んでいた。


「それにしても、さっきのあの呪文はどうやったの?」

「あ、わたしもそれ気になるー」


ザクロジュースを片手に隣に居たルシウスも、気になるようでこちらへ目線を向けていた。


「無言呪文を使っただけよ」

「でも、盾の呪文みたいに弾いたりするわけじゃなくて、タルトが空中で止まったわ」

「盾の呪文と基礎は変わらないの。ただ、魔力を硬い板にするんじゃなくて、クッションのように使うのよ。だってタルト、勿体無いじゃない。作ってくれたしもべ妖精もかわいそうだから」


そい言い切ったアナスタージアに感心してみせるルシウスと、今度教えてねと意気込むエミリア、レモンタルトを頬張るヴィオレッタ。周りには本当に良い人たちばかりで、アナスタージアはスリザリン寮にはいれてよかったと、その日、両親へ宛てた手紙へ書くことにした。




そしてその日の夕食の時間帯。二年生に進級して、初めて迎える側の組分け儀式にアナスタージアはなんだかどきどきしてしまった。
今年の一年生も不安そうだったり、楽しそうだったりしながら帽子を被り、帽子が叫んだ寮のテーブルへと向かう。その様子はちょっぴり面白くて、去年は自分も先輩たちを楽しませていたのかと思うと、ちょっと恥ずかしい。


「ブラック・レギュラス!」


早々に名前を呼ばれた少年に、アナスタージアはあっ!と声を出しそうになった。昨年の組分けでバラバラになってしまって以来、全然話していない幼馴染。その、弟。レギュラス。
真っ黒な髪の毛がさらさらと揺れる。帽子は被って少し待って、レギュラスと会話しているように見えた。


「スリザリン!」


帽子が叫んだ名前に、スリザリン寮の生徒たちは拍手をして迎え入れる。他の寮からの拍手はまばらだ。
レギュラスはスリザリン寮へ目を向け、そしてあっと驚いたような顔をした。アナスタージアは目があったような気がしたけれど、自意識過剰だと言われそうで、なんとなく微笑むだけにとどめた。


「お久しぶりです、ミスター・マルフォイ」

「ああ、レギュラス。君ならスリザリンに来ると分かっていた」


ルシウスを見つけて嬉しそうにやってくるレギュラスに、ルシウスはアナスタージアとの間に彼を座らせた。定型文的な挨拶をかわすと、レギュラスはくるっとこちらを向き直って、にっこり微笑んだ。


「アナスタージア、久しぶりですね」

「久しぶりね、レギュラス。」

「母がまた休みにでも顔を出してほしいと、言っていましたよ」


ふんわりと。花がほころぶように嬉しそうな顔をするレギュラスに、アナスタージアはこころがポカポカするのを感じた。
昨年シリウスと離れ離れになってしまったことが、思いの外堪えていたのかもしれない。レギュラスと同じ寮になれて本当に良かったと、ぽろっと1つ涙が溢れた。







2019/06/14 今昔




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