ウール孤児院と書かれた鉄柵は、少し古いように感じられた。
「お手紙を頂いた時は、正直驚きましたわ、ダンブルドアさん」
孤児たちの世話をしているミセス・コールの声に、ダンブルドアが頷いて応える。階段を登って、子供たちが普段過ごす個室がある階へと案内されているのだ。
そこまでを把握してから、はたとミヒャエラは気がついた。これは一体何だろう?今よりもずっと若い変身術のダンブルドア先生と、見たこともないはずなのに名前を知っている女性−−ミセス・コール。夢にしてはリアルすぎるし、夢だということに気づいている。明晰夢というものだろうか。
「トムに面会の方が来るなんて、はじめてのことですから。他の子たちとも色々ありましてね…良くないことが」
コンコンと叩いて開かれた扉の中には、ミヒャエラもよく知るトム・リドル。ではなく、まだ十歳になっていないであろう幼いリドルが居た。狭い部屋の中には簡素なベッドと机、それから小さな箪笥だけが置かれている。
「トム、あなたにお客様よ」
「やあ、トム。」
ミセス・コールが去り、部屋の中を見ていたダンブルドアに、幼いリドルが冷たく「触るな」と告げた。ミヒャエラが最近知った、彼の素の方だ。ミヒャエラには箪笥が何を意味しているのか、不思議とそれらが何か分かっていて、すこし複雑な気持ちになった。
ダンブルドアの視線が、窓際に置かれた小さな石や、本や壁に挟まったり張られたりしている紙に向いたのが分かる。
リドルから感じる魔法力の波長はとても強いが不安定だ。この孤児院で「良くないこと」があったというのは本当らしい。ミヒャエラは思わず幼いリドルを抱きしめたが、するりと腕が抜けてしまう。
「あなたはドクターなの?」
「いや、私は教師だ」
「……信じないぞ。診察に来たんだろう?僕が人と違うから」
「確かに違う。」
「僕はまともだ」
「ホグワーツは病院や施設ではない。学校なのだ。魔法学校だ」
リドルはそれが冗談かなにかだと思っているようで、表情は動かず硬いままだ。
「君はいろんなことができるね?そう、他の子には出来ないことが」
「僕は手を触れずに物を動かせる。動物に思い通りのことをさせられる。僕に意地悪をしたやつには罰をあてたり、傷つけることも、できるんだ」
ミヒャエラには、幼いリドルが恐る恐る言っているように聞こえた。触れられないが、それでも少しでも寄り添おうと彼へ近づく
「あなたは誰?」
「君の仲間だよ。人とは違う」
「証明しろ」
リドルが言うと、ダンブルドアが魔法を使ったのだろうか。部屋の隅にあった箪笥がボウっと燃え上がった。
「何か君の箪笥から出たがっているようだが」
リドルが箪笥をあけて中から小さな金属製の箱を取り出すと、炎はすっと収まった。箱の中からはおもちゃがころころと出てくる。リドルのものではない。彼が罰を与えた他の子供たちから奪ったものだ。
見えているものとはまた別の景色が一瞬よぎり、ミヒャエラは顔をしかめた。リドルがこんなに辛い幼少期を過ごしていたというのだろうか。
「ホグワーツでは盗みは許されない、トム。君はホグワーツで魔法を制御する術も学んでいくのだ。分かるかね?」
ミヒャエラはダンブルドアに寒気がした。
彼が何故それをしたのか理由を問うことをせず、物事の善悪だけを言う。例えば、ミヒャエラの考え方では、復讐は単純悪に数えられない。根本を正した時に、最初にどちらが過ちを犯したのかが重要だと思っている。
ましてこの幼いリドルに理由を問うこともせず己の理念を押し付けることは、教師のすることなのだろうか。本来ならば親が教えることなのかもしれない。けれどここは孤児院だ。ダンブルドアはそこを分かっていないように感じた。
今までも別に好きではなかった変身術の先生が、明確に嫌いになった。
「僕は蛇と話ができる。遠足で田舎に行ったときにわかったんだ―向こうから僕を見つけて、僕に囁きかけたんだ。魔法使いにとって当たり前なの?」
「稀ではある。しかし、例がないわけではない」
ミヒャエラは驚いた。西洋の魔法学校へ通いはじめて二年と少し。自分ができることが稀であると知ったのだ。ミヒャエラもまた、蛇と会話をすることができた。今までは日本語を喋れるのと同じくらい普通のことだと思っていた。日本語と英語と蛇語。マルチバイリンガルというだけだと思っていた。
「ミヒャエラ」
それが一体どうしたということだろう。蛇と会話ができるのは稀な能力であり、しかもリドルも同じ能力を持つらしい。
「ミヒャエラ!」
ミヒャエラにとってはカゲヌイという家系のおかげで得た能力だという確証があるが、リドルにはそれが無かったのかもしれない。孤児院育ちならば自分の家系について知る機会も少ないだろう。
「ミヒャエラ!!」
呼ばれて目を開くと、一気に入ってきた光に一瞬目が痛み、何度かまばたきをしてからもう一度目を開いてみた。
目の前には端正な顔立ちに焦りを浮かべたリドルが居て、なにか握っている感覚に右手を見やれば、ミヒャエラの手はリドルの手をきつく握りしめていた。
「ミヒャエラ、目が覚めたかい」
「ええ。おはよう、リドル。ここは医務室?」
「ホグズミードから帰ってきた時のことは覚えているかい?」
そう、そうだ。
確かミヒャエラはリドルと共にホグワーツへ帰ってきたところで、その前にはホグズミードに居たはずだ。そしてそこで、クリスマス用のドレスを選び…
「っ!! 私ったら、なんてことをしてしまったの!!」
これは、とんでもないことだ。
西洋の魔法使いたちの前で、東洋の魔法使いが使う技を惜しげもなく見せつけた上に、同輩である魔法使いたちを恐怖のどん底へ落としてしまったのだ。
「大丈夫だ、あそこにはブラックやジンボが居ただろう。何があったのかは先生方に話しておいてくれたよ」
「……けれど、私が一体『何』を使ったのかは、ミサには説明できないわ」
「そう、そして俺にも」
リドルの瞳が、いつかダンスの練習でみたような蛇の目になった。すっと細まった目は爛々と輝く赤で、それはミヒャエラが昔鏡越しに見た自分の目とよく似ていた。
「分かったわ。リドルになら話す。けれどお願いしたいの」
「なんだい?」
「このことは、決して先生……特にダンブルドア先生には伝えないで」
「勿論だ」
2018/02/02 今昔
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