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惑星ヴォルドール。少しじめじめと感じる気候は、ウィンダミア育ちのイシスにはなかなかに辛いものであった。首都から少し離れた森の中で、潜入前のブリーフィングのために顔をあわせている。
ウィンダミアに対する潜入捜査のために身につけたのは、猫のような耳のカチューシャと自分の耳を隠すための簡易的な帽子。そして通気性のいい、ジメジメした場所で着るには最適と思われる麻のような素材のワンピースだ。薄焦げ茶色の素材に林檎のような鮮やかな赤色で刺繍がされている。

イシスをはじめとしたワルキューレのメンバーと、それからハヤテ、メッサー、ミラージュは潜入捜査として惑星ヴォルドールにやってきていた。
もとより仲の良かったワルキューレメンバーとも、新たにメンバーとなったフレイアとも、イシスは上手くやっているつもりだ。カナメとは一番古くからの知り合いということもあり、最近はよく一緒に飲みに行ったりご飯を二人で作って食べたりしている。マキナやレイナとも整備室へ入り浸ることが多いし、フレイアとはこの前一緒にブランド新作のウィンドウショッピングへ行ってきた。
美雲と二人でミニライブと称し他惑星へ向かったこともあった。ちょっとした買い出しに行った時に、街中で流れてきた曲が素敵だったので二人で口ずさんでいたら人だかりが出来てしまったのも記憶に新しい。


そんな愉快なメンバーと共にやってきた惑星は、何故ウィンダミアが支配下に置きたいのか理解できないような場所だった。特に貴重な資源が採れるわけでもなく、政治的な価値が高いわけでもない。


「陸地の62%が湿原で覆われた水と緑の惑星。主な資源は木材、果物、そして天然水。」

「戦略的価値ゼロ…」


きっとこれほど大掛かりな作戦は国家をあげてのことだろうから、侵略先はロイド宰相が考えていることだろう。しかし何故ここに手をつけたのか、一体ロイドは何を考えているのかイシスには分からなかった。


「私とマキナ、レイナ、メッサー中尉は南側から首都に潜入。美雲とイシス、フレイアは、ミラージュ少尉、ハヤテ准尉と北側から。」


了解の意思で頷くイシスの目の前でピカピカとルンが光って跳ねまわった。


「了解だーにゃん!」

「にゃんは要りません、にゃんは」

「うにゃん!」


ミラージュに言われても猫耳の可愛らしさにテンションがあがっているのか、フレイアは猫口調を辞めるつもりはないらしい。


「ていうか俺、猫アレルギーなんだけど」

「ヴォルドール人はネコ型哺乳類から作られた種族だから…」

「文句があるなら来るな」


猫耳を装備したメッサーに、ハヤテは猫耳付きの帽子を手に愕然としていた。イシスから見た感想を述べるのであれば、メッサーもよく似合っているがハヤテもまたよく似合いそうだと思うので、早くその帽子を被れーと念じたくなるほどだ。


「ん?そういえば、こっちは二人護衛役がいるのに、そっちは一人なんだな」


ハヤテのぼそっとしたつぶやきにメッサーは目ざとく顔をあげた。


「イシスさんは戦える。」

「いや、それだと三対一になるじゃんか」

「お前がそれだけ頼りにされていないということだ。」


辛辣な物言いに、ハヤテのこぶしが握られる。苦笑いしながら、イシスはハヤテの肩に手を置いた。


「まあまあ、メッサーくんの言葉には何重にも深い意味があるわ。言葉をよく噛み砕いて、自分の中で消化することね」

「わかりました…」


落ち込むハヤテに、ぴょこぴょこと楽しそうに猫耳を弾ませるフレイアがちらりと目線を送った。釈然としないハヤテに何か言うべきかと悩んでいたイシスは、より彼と仲がいいフレイアに任せることにした。


「ハヤテも負けんように頑張らんと!」

「分かってるよ…」

「そう、負けてられん…見ててください美雲さん、ゴリゴリ役に立つとこを……って、あれ?」


フレイアはそこでようやく美雲が居ないことに気づいたらしく、あたりをキョロキョロと見回している。残念だが見回して分かる場所に居るはずはない。


「クモクモならとっくに行っちゃったよ」

「単独行動クイーン」


またですかと頭を抱えるミラージュに、イシスは心の底から同情した。


「にゃんと…」






【07.猫型哺乳類】






グループに分かれて行動しはじめしばらくして、ハヤテのくしゃみに釣られて出てきた商人気質のオバサンたちに囲まれたりするうち、端末に通信が入っていた。カナメからのそれは、街に配備されている警備兵の血液からセイズノールが検出されたそうだ。更に追伸のように「万が一ウィンダミアの者と出くわし、知り合いだったとしても単独行動をしないこと」と書き加えられている。


「カナメは心配性ね…」

「大丈夫!私に任せんかね!!」


座って息を整えていた4人の中で突如立ち上がったフレイアに、イシスは度肝を抜かれた。


「レッスンと一緒にちゃぁんと潜入訓練を受けてきたかんね!」

言いながら、ぴょコリとルンが顔を見せた。


「お…?」

「どうした」

「この匂い…」


さらに走りだしたフレイアに、イシスは盛大なため息をついた。いい年をしてルンを光らせるなんてお行儀が悪いし、ルンを通して伝わってきた感情は「嬉しい」だ。潜入捜査の訓練、とは。某SNSの利用許可があればそう投稿したい。


「るんるん、きったー!」

「俺より目立ってるな」

「はぁ…ミラージュ、追いましょう…」

「貴女だけでも常識人で良かったです」


3人が追いかけていくと、フレイアはリンゴ屋の前で1つの林檎を手にくるくると踊っていた。その匂いも見た目もイシスにも心当たりがあり、すぐにウィンダミアアップルであると分かった。
懐かしいその香りは甘く、そしてさわやかな味が思い出されて口内に唾液が出てくる。


「懐かしい!もしかしてウィンダミアのエクスデール林檎かね!」

「おっ!いい鼻しとるがね」

「色も形もツヤもいい。オジサン、いい林檎揃えてますね」


フレイアの横から顔を出したイシスがそう言えば、屋台のオジサンは嬉しそうに鼻の下をこすった。


「ウィンダミア産なんですか」

「ヴォルドール産のは流通が制限されちまっててさ。ま、こいつも味は悪くにゃーで。な、お嬢ちゃ……」


よだれが垂れそうなほどに蕩けきった表情をしているフレイアに、イシスは林檎4つ分のヴォルドール通貨を取り出した。

林檎を買って再び歩き出すと、フレイアとイシスは揃って服で軽く林檎を拭くと、一気にかじりついた。甘いがくどくない、独特の果汁が口に広がって美味しい。


「フレイア、匂いで品種まで分かるのね」

「うん!うちの実家は林檎農家だったんよ」

「なるほど、それで」

「イシスさんのお家は?」

「私は…この前も少し話したけれど、とある商家に住まわせてもらいながら、王家で教育を受けていたから…なんとも。」

「凄いお家やったんね」

「どうだろう。そんなえらくは…あれ?」


フレイアと話すうちに、イシスのルンが何かを捉えてしまった。風の歌とはまた違う、切なく哀しい歌声。


「どうした?」


後ろからハヤテが声をかけてきたが、同じように歌声を聞き取ったらしいフレイアは無言で走りだしてしまった。
イシスは後ろから一緒に走りだしたミラージュたちに、何か歌が聞こえることを告げ、フレイアの後を追った。

物見櫓のような場所へ登って見えたのは、小さな兄と妹がアルクマーンの曲を歌うところだった。哀しい色のそれに、イシスのルンまでもが暗い色に染まっていきそうだった。
兄妹は見張りとして立っているらしい1機にむけて歌っており、そのエンブレムを見たミラージュが調べると、どうやらヴォルドール航空団のエースパイロットの機体であるらしい。その機体に「父さん!」と呼びかける兄妹たちに、イシスは少しだけ胸が痛んだ。
兄弟や家族といった血縁については思うところがあるであろうキースもまた、この現状を知っているのだろうか。

そのとき機体の足元に、一台の軍用車が停車しスピーカーを通して声が聞こえた。


「286号、風が変わる。交代だ」

「エースパイロットを道具扱い…」


そのまま機体は交代のためなのか基地の方へと戻っていってしまう。再びお父さんと呼び掛ける兄妹たちの声は一切届いていないようで、完全なヴァール状態であることが伺える。
あの兄妹たちはどこからかアルクマーンやワルキューレの歌がヴァールを治してくれると聞いたのだろう。自分の歌を必死に歌う少女を見て、イシスは涙腺が少しだけ緩んだ気がした。


「やっぱり嘘だったんだよ、歌で病気が治るなんて…」

「っ…嘘じゃない。ワルキューレの歌は…」


少女の悪気の無い一言に再び走りだしたフレイアと同じように、イシスもまた陰鬱なきもちになった。ハヤテとミラージュが後を追ったのでフレイアは大丈夫だろう。
フレイアがうっかりここで歌ってしまえば、確かに一旦はあのエースパイロットも人間に戻るかもしれない。けれどここは敵地の真ん中だ。捕まってしまえば二度と銀河全体に歌を届けるなんてことはできなくなってしまう。


「キース、何を考えて、この戦争をしているの?」


居ないはずの彼を思うと思わず歌いたくなったが、イシスは身につけたピアスを触るだけにして必死で口をつぐんだ。











2016/07/19 今昔




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