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「えっ、ハヤテが…?」

「ええ」


ワルキューレの控室で、カナメから告げられた内容はフレイアには少々重たいものだったようだ。
新人であるハヤテが初めて敵機を撃ち落とした。それは戦士として喜ばしい功績だったろう。けれど、人を殺すということがはじめてだったハヤテは相当気落ちしているらしい。


「早く行きなさい。くだらない言葉に足元をぐらつかせているような人間は必要ない」


気落ちをしているのはフレイアも同じだ。あのボーグの言葉に、今まで母国の人間と対立する立場にあるということを認識していなかったが故に、深く傷ついている。それこそ美雲の言うように、足元にあった「歌いたい」という気持ちさえ揺らいでいるのかもしれない。
イシスはネイルチップにワルキューレとのコラボ用ネイルを作りながら、人事のようにそう思った。


「えっ…」

「美雲ッ!」


鋭く咎めたカナメにつづいて、マキナも叫ぶように言った。


「フレフレは自分の故郷の星と戦争しなきゃいけないんだよ!」

「でもね、そんなことじゃこの銀河の全てに歌声を届けるなんて、できやしない。」


美雲がちらりとこちらを見たような気がしたが、イシスは特に気にしていないようにネイルを作り続けた。フレイアの細い顎を、美雲の陶磁器のような指先が持ち上げる。


「私たちはワルキューレ。あなたは何故ステージに立つの?なんのために、どんな思いで歌っているの?もう一度よぉく考えなさい」


固まって身動きが取れないフレイアに誰も声をかけられないのは、美雲が言っていることが正しいと分かっているからだろう。分かって、理解してはいても、納得はできない。そう簡単に、母国を捨ててでも銀河の全てを救うと決意するには、まだ幼すぎるのだ。
何も言えないフレイアを一瞥してから、美雲はイシスへと目を向けた。


「それとね、イシス。あなたも何を最優先するのか、そろそろ決めるべきよ。そして他のメンバーにも生い立ちを説明すべき」


美雲はそれだけ言うと、すたすたと部屋を出て行ってしまった。






【06.遠き日の記憶】






父が地球人、母がウィンダミア人というのは、その頃は誇らしいことのように思っていた。多種族間に生まれた友好の証であるとさえ言われていたのだ。更に父は優秀なパイロットとして技術顧問のような、訓練兵の教官のような形でウィンダミアで働いていた。
母はウィンダミアの中でも生粋の音楽家であり、近代音楽の作曲家として働いていた。王族の式典に使われるファンファーレや、誕生会の席で流れるダンスワルツも作っていたと聞いている。そんな母はイシスが幼い頃に無くなった。純粋なウィンダミア人であった母は、ウィンダミア人の平均寿命ぴったりの33歳で亡くなった。

父から地球人の血も引いているイシスは、母ほどでは無いにしろ地球人としてはひどく短命であると幼い頃に言われた。地球人女性が80歳前後まで生きるとすれば、イシスは長くて50歳。それでもウィンダミア人としてはかなり長寿だ。
父にはそうやって前向きに考えるようにと言われていた。

そんなイシスはウィンダミアのとある商家、コンファールト家のお世話になっていた。行儀見習のような形で5人の少女と末っ子でたった一人の男である弟と共に、学業に励み、日々の生活を共にしていた。
貴族として育てられていたイシスはテーブルマナーや一般的なダンスの技術に加え、母からは音楽の知識を、父からは戦闘技術を学んだ。イシスはどんな歌でも歌いこなせるのではないかと言われるほどの才能を見せたが、父から学んだ戦闘技術では更に目を見張るものがあった。


「おい、ハーフ」


そんな時、王族の子に戦闘機の取り扱いを教えていた父に着いていくと、一人の少年と出会った。彼が、キース・エアロ・ウィンダミア。現国王が側室との間に設けた子だ。
ウィンダミア特有の地球で言うところのロシアにも似た気候によく似合う金髪を揺らして、彼はイシスの元へやってきた。今日の空は底知れない恐怖さえも感じるほど、高く、どこまでも続いていきそうな青色をしている。時折流れる重たそうな雲も、今日もゆったりと流れていく。イシスはウィンダミアのそんな風景が大好きだった。



「ハーフって言わないで。」

「すまない、悪く言いたいわけじゃないんだ。父上には…友好の証と言われている。」

「そう。それなら構わないのよ、キース王子」


綺麗な金髪に、底知れない空のような色をしたルンが綺麗だと思った。なにより、歌を聞いてみたいと思うほどに、綺麗な声をしていた。
後から聞いた話ではあるが、この時キースも同じように、ウィンダミア人には少し珍しい髪色と、薄く控えめないろをしたルンが綺麗だと思ったらしい。更にはこの声で紡がれる歌を聞いてみたいとも。


「お前の母は曲を作っているんだろう?」

「そうよ、母さまは私の誇り!あんなに綺麗な曲を作れる作曲家は他に居ないんだって、皆が言ってくれるもの」

「じゃあ、聞かせてくれないか、おまえの声で御母堂の曲を」


同年代の子に、歌って欲しいと願われることは初めてだった。いつもは大人たちがお祈りのためにだとか、酒場を盛り上げるためだとかという理由で歌うように言ってくるのだ。
イシスははじめてのことに張り切って息を吸うと、母が作っていたウィンダミア民謡の流れをくんだ楽曲を歌いだした。

目をつむって心地よさそうに聞いてくれるキースに、イシスは心地よさを感じた。自分の歌に身を任せ、どこからかそよいでくる風を感じるキースの横顔を、とても美しいと感じた。草原に座る彼の手がそっと伸びてきて、イシスの指先を握る。そこから目には見えない、体では感じられない風がぶわっと吹上げたように感じた。
清々しい青い風、自由に空を飛ぶ鳥が愛した風を感じた。


「イシスの歌が、好きだ。どこまでも飛んでいけそうな気がする」

「私も、キースに聞いてもらうのが好き。」


はにかんだ笑顔で笑い合うと、途端に照れくさくなって繋いだ手を引こうとした。ところがキースの指先は離れることを許さないと、ぎゅっと力を込めてくる。


「キースには弟が居るんでしょう?」

「…ああ。ハインツが次の国王となるだろうから、私は騎士になる。イシスの父上に学び、強い騎士になると決めた。」

「あなたが心から望んで決めたことなら、きっと誰も文句は言わないわ。でもね、辛くなったら教えて」

「え…?」

「また、歌を聞いて欲しいの。元気になれるような歌、覚えてくるから!」


これもまた後日聞いた話だが、キースにはその時のイシスがとても眩しい風に感じられたらしい。

二人は共に剣を学んだ。国王の意向で共に座学も学んだ。
強さへのひたむきさや真剣さはそっくりで、武を学ぶ時は兄弟と言われても納得すると言われたほどだ。姿形が似ていないのに、並べておくのが筋であるように感じる。イシス自身も、二人が一緒に居れば何でも出来るような気がしていた。

そんなある日、イシスは誕生日を迎えた。
父親からの武道書と、それからコンファールト夫妻から可愛らしい髪留め、コンファールトの姉弟たちからは暖かそうなワンピースを。あの末っ子ボーグが誕生日を覚えているような感じもしないので、きっと姉たちに付き合わされたのだろう。
更には国王からも「これからも国に住まう者のために励むよう」というメッセージカードと共に、剣を磨くための道具一式を頂いた。ウィンダミアで用意できるものの中でも最高級であろうそれに、イシスより父親の方が「お礼状を書かなくては」と声をあげた。

最後に開けた箱は、キースからのものだった。彼のルンと同じ色の石が填め込まれた、雪の結晶を模したピアスだった。小さなメッセージカードが添えられており、「自分にも同じものを用意したので、一緒につけてほしい」といった内容が書かれていた。
心臓が下からせりあがってくるような、きゅんと疼く何かを感じた。前髪をかきわて顔を見せたルンが、熱く明るいピンク色になっている。


「お、お父さん、どうしよう!!」

「キース王子からの贈り物か?」

「お揃いの、ピアスだって…私もピアス、開けてもいいかしら」

「せっかくだ、つけなさい」


母を亡くしているためか「母からもらった体に自分から傷をつけるなんて」というような発言をすることもあった父だが、この時は穏やかに微笑んで許しをくれた。


思い返えしてみれば、年齢に相応しい可愛らしい初恋だったのかもしれない。今もまだ、どこか胸の中でつかえになっている、セピア色にもなりきれない小さな思い。先日の白騎士の機体を見て高揚した心が、なによりの証拠だ。
イシスはあれから7年以上も経過しているというのに、キースの側で歌い感じたあの風が恋しい。彼の隣で歌いたい。彼のために歌いたい。こればかりは、どうしようもならない思いだ。所詮頭で考えたことなど、心が発することには敵わないのだから。





「それじゃあ、あの時『裏切り者』って言ってたあの人が、お世話になっていたお家の弟さん?」

「で、白騎士がそのイシスの想い人の可能性が高いってこと?」


カナメとレイナの問いに、イシスは頷きだけで返した。
これ以上、実際におきたこと以外の「思い」を語ってしまうと、本当に今すぐにでもウィンダミアへ飛び立ってしまいそうだ。人生30年、思い立ったが吉日だと言って、無理にでも船を出してもらいたくなってしまう。

どんなに衣装とあわなくても着けていたピアスに触れ、イシスはぼんやりと思い返した。
幼い頃から城の女中たちがはしゃぐほどの顔だった彼のことだ。今やワルキューレが霞むほどの美貌に成長していることだろう。


「会いたい、な」


ぽつりと呟いた言葉は、イシスの恋愛話だ!とはしゃぐマキナとそれに乗るレイナたちにかき消されて、誰にも届くことはなかった。




2016/07/18 今昔




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