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こんなにも何かを愛しいと思ったことはなかった。
あの歌声さえあれば、他には何も要らないとすら、幼いながらに感じた。
好きだよ、という言葉に、私も好きだよと返してくれた、あの声。
どこだ…どこへ行けば、もう一度…







【03.風の歌】






「ええ!?じゃあ、本当に私もワルキューレと一緒にワクチンライブに…?」


素っ頓狂な声をあえたイシスに、カナメは苦笑いで答えた。アルクマーンとして知られている、美雲と同レベルの神秘さはどこへやら、とでも思っているのだろう。しかしイシス自身から言わせてもらえば、イシスはただ普通の女の子だ。ただちょっと、随一とうたわれる美雲と同じレベルの声帯フォールド波を持っているだけの、普通の子だ。


「そうよ、美雲と同レベルのフォールド波を持っているあなたが出てくれたら、ライブの効力は増すからってことらしいわ。私たちの楽曲は歌えるでしょう?それにライブの中で私と二人で歌った曲もいくつか歌う予定なの」

「カナメと二人で歌えるのはありがたいっていうか、嬉しいけれど…」

「けど?」

「私もあの決め台詞言わなくっちゃ駄目?」

「言わなくっちゃ駄目」





デフォールドしてたどり着いたのは惑星ランドール。今回のワクチンライブの開催地だ。
話によれば、この惑星でもワルキューレの人気はすさまじく、そしてアルクマーンであるイシスのことも大変人気があるそうだ。プレッシャーである。
ワクチンライブのメンバーになってしまったことで、イシスもまた、美雲たちワルキューレと共に舞台袖…というか、空からの登場予定となっているため艦内の一室で待機していた。


「フレイア」

「は、はい!」

「あなたはどんな思いで歌うの?」

「えぇ…どんなって…」


美雲の表情からは意地悪さは感じられない。純粋にフレイアを認めて、そして尻を叩く意味で問うているのだろう。
ただ、ワルキューレが好きであんな風になりたいというファンとしての気持ちが抜け切らないフレイアには難しい質問だろう。助け舟のつもりなのか、マキナが独特の呼び方で遮った。


「じゃあ、クモクモやアルアルはどんな思いで?」

「そうねぇ。今日、私を満足させられたら、教えてあげる。できなければ、貴女はワルキューレに必要ない。イシスと交代なさいな」

「ちょっとちょっと、そういうのは本番直前じゃなくってもっと前にやったほうがいいんじゃなくって、美雲?」


何も本番直前に不安定になるようなことを問いかける必要はないのではないかと、そう言ってみれば、彼女なりの考えがあるのだろう。ただ笑みだけが返ってきた。


「さ、話はもういい?」


カナメの言葉に、全員がうなずき返す。


「じゃあ、行くわよ!」


全員の手が、片手で作られたWのマークで重なる。


「銀河のために」

「誰かのために」

「今、わたしたち」

「瞬間、完全燃焼」

「この歌を、思いを」

「命がけで楽しんじゃえ!」

『Go、ワルキューレ!!』


自分が担当する、最高音部のコーラス。その下でしっかりと歌われる美雲の主旋律。自分と同じくエースを支えるコーラス部隊。心が高まっていく。
専用の航空機から飛び降りていくワルキューレのメンバーに続こうとするフレイアは、どうやら恐怖からか手すりを持ったまま固まっている。


「フレイア」

「はいな!!」

「大丈夫よ、貴女なら飛べる。風を感じて、さあ!」

「は、はいな!!飛べば飛べる、飛べば飛べる…飛べばっ」


ごりごりーと謎の声を上げながら飛び降りていったフレイアの体が輝き、ステージ衣装へと転じていく。「歌は、元気!」と可愛らしい声で言い放ったのを聞きながら、イシスもまた同じように空中へ身を踊らせた。
足元から光が包んで、シンプルな制服からワルキューレ風のステージ衣装へと転じる。美雲の衣装とよく似たそれの色合いはルンの色と、それからウィンダミアの雪原のような鈍い銀色だ。


「歌は、奇跡!」


地上の客席から、フレイアを歓迎する声とともにイシスが登場したことに対する驚きの声も聞こえてきた。不慣れな空中飛行で転びそうになるフレイアを抱きかかえてステージへ降り立つと、一層歓声が大きくなった。
その後から、空中でファンサービスを欠かさなかった他のメンバーが降り立った。


「聞かせてあげる、女神の歌を!」

『超時空ビーナス、ワルキューレ!』


自己紹介に噛んだフレイアに美雲からの「駄目ならクビよ」という辛辣な一言が向けられると、再び衣装が輝き、次の曲の衣装へと転じた。
イシスのライブでは衣装チェンジはほとんど行わないため、ワルキューレ方式のこの衣装チェンジは不思議な感じがした。

インカムから流れたカウントに、フレイアが歌い出す。ワルキューレの正式メンバーではないイシスは、基本的に歌うパートは少ない。フレイアや美雲の歌を聞きながら、ダンスと、立体映像によるファンコミュニケーションを優先するのだ。
ふと、視界の端にデルタ小隊が入り込んだ。青いカラーリングの機体が、ギアウォークの形状で踊っている。


(あれは、ハヤテ・インメルマンか…いい風だ)


ルンが心地よい風を感じると同時、なぜか物悲しさが胸にあふれた。
私はもっと素敵な風を知っていると、心の中で何かが叫ぶのだ。幼い頃の途切れ途切れな記憶の中で、何かが、誰かが、風を吹かせている。

と、インカムに通信が流れた。


『アイテールより、アンノウン、衛星軌道に出現。大気圏へ突入してきます』


心臓が早鐘のようになっている。
顔を上げれば、生体フォールド波の増幅装置のV字型の機械が空から降ってきてしまう。こちらのことは研究されているらしい。
戦場になりそうな予感と共に、何故か、風を感じた。空から舞い降りてくる、誇り高き清らかな風。


「敵、ジャミング攻撃でフォールド波の増幅システムが…」

「ミサイル!!」

「まずい!」

「伏せて!」


ミサイルの雨も気にならないほど、衝撃だった。
戦場に現れた懐かしいような綺麗な風に、更には聞き慣れたウィンダミアの歌声が聞こえてきたのだ。
幼い頃、ウィンダミアで過ごした時に聞いた、共に歌った、あの声。まだ幼かったはずのあの子は、それでもしっかりと幼いながらに歌っていた。


「ハインツ…?」









2016/07/14 今昔




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